*3* マズい……色々と勉強不足かも。


 最近すっかり定位置になりつつある図書館西側の一角で、私は今日も勉強に精を出す。一週間前にスティルマン君に教えてもらったこの場所は、古い神話の本ばかりを集めてあるからか本が傷まないように日差しが入らない。


 結果として夏場はかなり涼しくて過ごしやすい快適な場所だ。まぁ、その代わりに冬場は底冷えしそうだけど……。


 しかも初等科で習うようなことを書いた、この首都の子達からしたら一般的な内容の書物が多いので人が全くといって良いほど来ない。お陰で私は誰に嘲笑されることもなく静かに勉強できる環境を手に入れた。


 初等科の子達にしたって由緒あるお家の子供部屋なら、こんなところに来なくても本棚にあるんだろうね。


 目の前に広げた、たぶんこの図書館でも指折りの古さを誇る神話の分厚い本。最近ではわざわざ机のある場所まで持って行かず、床に座って膝の上で開いて読んでいる。


 火気厳禁な図書館で使う灯りは“星火石せっかせき”と呼ばれる星の欠片をはめ込んだランプで、入館時に学年と氏名を記入すれば入口で貸し出してもらえるのだが、触れても熱くもなく蝋燭のように匂いもしない。


 真珠色に輝く“星火石”のランプは私の大のお気に入りとなった。帰る時に街の雑貨屋で買っていく物リストの一番のりだ。


 それにスティルマン君の教えてくれたように、ここの本は神話にはあまり興味がない私にでも星の並びや動きなどが分かりやすく記載されているので退屈しない。頭に入るかはまた別として。


 故郷だとどうしても農作物の植え付けだとか、収穫時期だとかの系列でしか星を憶えないから私は【星詠師】でありながら、未だに各星座の座標を知らなかったりする。


 学園内の【星詠師】の中ではペーペーとはいえ、意識低すぎではあるなと我ながら思う。事実二日前のミニテストの点数にもろに跳ね返ってきた。だって知らないよ……恋人同士で季節ごとに追いかけっこする星なんか。


 そんなロマンス勝手にやってろよ! 前世から夜空なんて“外が暗いから夜だな”程度の認識で、星を見上げる余裕もロマンも持ち合わせてませんでしたからね!


 教師から返されたテストにあった赤文字に、思わずそう叫びたくなったけれどミニテストでその星座を間違えたのはまさかの私だけだったらしく、クラスの話題を攫った。無論悪い方面に。この学園は生徒にまず人の心を教えるべきだね。


 また私が間違えた星座が良くなかった。この星は恋愛要素をお話に含んでいることから乙女に人気の星でもあるらしく、さっぱり知らなかった私のことを同級生の女子生徒達は『やっぱり田舎者はロマンスよりも食欲なのかしらね?』と嘲った。


 それ自体は良いんだ。今だってこうしてロマンス小説よろしく、甘い神話として記された頁を読んでも全く興味が出ないから、その場ではそれを言ってきた女子生徒達を丸っと無視したくらい。


 ――ただ、その後の話が良くなかったのだ。


 そんな風に全く相手にしない私が面白くなかったのか、その話題を続けるうちのクラスの女子生徒に対し、休み時間に水色君に会いに来ていたヒロインちゃんが『苦手なことは誰にでもありますわ。それを話題にするだなんて、非常識ではありませんか』と胸を張って庇ってくれた。


 ちなみに私と推しメンは同じクラス。私は偶然教室の中に居合わせたのだけれど、要するに彼女はあろうことか本人のいる教室内でその優しさを見せつけて下さったのだ。


 あのヒロイン力には本当に吃驚した。彼女の決して大きくはないその声に皆が一斉にこっちを向くから、一周回って新手の嫌がらせかと思ったよ。冗談抜きで。


 一体私がヒロインちゃんに何をしたというのか。


 何かをするにしたってもう少し情報やら根回しをした後にしますから、まだソッとしといて欲しかった。意図せず大衆の目に晒されるとか本当に無理。いくら前世より根アカになったとはいえ、モブの心の弱さを舐めないで頂きたい。


 そしてお前も四六時中横にいるなら彼女を止めろ水色君。頬を赤らめて『アリシアは優しいね』とか……暢気か。こっちはその優しい彼女のせいで公開処刑だぞ?


 もう一度言う。


 私と推しメンは同じクラスなのだ。


 ぼっちという一点のみお揃いの推しメンは、普段なら休み時間は教室からさっさと出て行ってしまうのに、運悪くその日に限ってその場に居合わせてしまった。


「よりにもよって何であのタイミングなのか……。スティルマン君に聞かれるとか最悪だわ」


 お分かりだろうか? 好きというか、憧れの人物の前で瀕死の重傷を心に負った私の気持ちが。


 本来入学して二ヶ月弱といえば、一番気合いを入れないといけない時なのだ。ここで初期ブーストをかけておけば、後々の中盤イベント辺りで焦らずにゲームスチルを集められる。


 そもそもが乙女ゲームの鉄則として、初期の数ヶ月はひたすら攻略対象を無視し、声をかけても眉を顰められたりしないレベルまで、学力や魅力をガツガツ上げる必要がある時期だ。


 したがってその時点で馬鹿のレッテルを貼られるとキツイ。別に私は何も自分がスティルマン君を攻略しようだなどと、そんな大それたことを考えているわけではない。


 断じてそんな身の程を知らないことじゃなくて、だ。


「せっかくこの場所の存在教えてもらったのに……絶っ対っ、ここで勉強してないと思われたっ……!!」


 一瞬だけ視線が合ったのに、私の推しメン様は安定の不機嫌さを滲ませた一瞥をくれたのだ。要するに“この無能”と。これではこの先サポートどころか助言を聞いてすらもらえないじゃないか。


 膝の上に開いて突っ伏した頁では、あの破廉恥な恋人同士の星座に関する神話が私を嘲笑っている。


 さらに私に追い討ちをかけているのは入学からの二ヶ月弱で未だ初期に見つけた攻略対象キャラクター以外、他の星のエフェクトを持つ攻略対象に出会っていない焦りだ。


 それもこれも全部――……この学園が広すぎるせいだ。星形のエフェクト持ちとかもっとあっさり見つかると思って高を括ってたのもあるけど、いくら何でも遭遇率が低い。


 私が前世でプレイした時は、確かあと三人くらい攻略対象キャラがいたような気がするんだけど……如何せん自信がない。大体からして私はこのゲームを本当の意味で最後までプレイしたことがないのだ。


 乙女ゲーム的な楽しみ方からは大幅にズレた、推しメンことスティルマン君の破滅エンドしか見たことがないからね……。


 あれだけプレイしたのに最後までやったのは二回あるかないか。むしろ何の目的の為にハッピーエンドルートのないゲームしてたんだ、前世の私は。


 ただ記憶にあるその二回だけは、かなりヒロインちゃんと惜しいところまでいけたようなシナリオルートがあった、と……思う? それとも前世の記憶間違いか、さもなければ私の都合の良いシナリオ改変だろうか。


 でもどちらにしても記憶にあるのは“ここまで期待させておいてバッドエンドなのかよ”と思う内容だった気がする。


 あんまりにも後味が悪かったことから、公式サイトのご意見板に抗議文を書いたくらいだ。作中屈指の嫌われ者なスティルマン君ではあるが、それでも一部の作品ファンからもそれなりの数の書き込みが寄せられていた。


 大概が、


 “元から嫌いなキャラなのに、このシナリオのせいでヒロインのハッピーエンドに泥が塗られた感じがする”


 “どうせ死ぬなら余計なルートで手間を取らせないで欲しい”


 “むしろ必要ない。蛇足”


 “何がしたかったのか意味が分からない”


 と、否定的な意見が目立ったけれど。


 まぁ――今はそんなことはともかく。


 正直この発見確率では今年中に全員見つけられるか危ういのではないか?


 ゲームの時にはあったマップからマップへのジャンプが出来ないことが、今回は大きなタイムロスに繋がっている。攻略対象キャラを探すだけで足腰鍛えられそうだから、健康的ではあるけどね?


 全校生徒の数と教室の数、教職員の数にイベント発生場所の数。どうあがいても一日が二十四時間じゃ足りない。何この無理ゲー。


 そもそも寮の門限だってあるのに……これは、あれなの? 私に分裂しろとでもいうのか。そんな秘術知らねぇわ。


 毎日寮に戻ってからも深夜まで勉強しながら、移動時間は周囲に攻略対象の気配がないか探りながら移動するものの――……日にちを思い出せない上に、入学してから今日まで方向音痴な私はよく使う教室の行き来くらいしか出来ていない。


 最近だと視界の端で鏡や窓ガラスが光でチカッとするだけで、星のエフェクトかと思って物凄い勢いで振り返ってしまう。きっとあの時の私の目は、何か危ないお薬の禁断症状末期の人みたいだろう。


「いや……待て、違う……私には推しメン様を幸せに導くという使命があるじゃない。大丈夫だ強く生きろ。でもあんまり馬鹿だと思われたくないし、取り敢えず次の試験で平均点取らないと、この時期これ以上同級生との点差がつくと追い付けなくなるから……」


 あの目は実際に向けられると、ときめくどころかかなりへこむわ。まさか絵で見るのと実際に見るのにこんなに大きな差があるとは。


 てっきりドMだと思ってた自分の性癖が意外と普通だったことに安心しつつ、それどころではないと再度本に集中しようとしていると――。


「やぁ、人の気配がすると思って来てみれば……こんな所に生徒がいるのは珍しいね。君はもしかして今年の新入生かな?」


 不意に柔らかなテノールがかった美声が頭上から落ちてきて、驚いた私は顔を上げ……直後に非常に困惑する羽目になった。


 真っ先に私の頭に浮かんだのは“この人どこかで見たことある”だ。


 でも勿論そんなはずはない。辺境領から新入生の私が、お金持ちのご子息やご令嬢が通っているこの学園に知人がいる訳がない。だからこの目の前にいる黒いローブに身を包んだ、某・額に傷持つ少年のいる魔法学園のような出で立ちの男性キャラとは初対面のはずだ。


 それともまさかこれが“運命の出逢い”とかいうやつでも……うん、ないな。もし仮にいたとしても少なくともこの男性のお相手は私ではないだろう。


 幾つも浮かぶ疑問を脳内で纏めようとするけれど、上手く纏まらない。無言のままマジマジと観察していたら、何だか色が薄ーいんだけど、周囲を飛び交う巨峰色の星形エフェクトが見えてさらに私を混乱させた。


「おっと、驚かせてしまったかな? 読書中に急に声をかけてすまない。つい自分の専攻の本を読んでいるようだったから嬉しくて」


 見た目はとても柔和そうな“熊”かな。優しそうな深い巨峰のような紫の瞳と、同じ色の癖の強い髪。一見すれば騎士団にでもいそうな人なのにその物腰はとても穏やかで、彼が文系畑なのだと分かる。


 あと付け足すなら驚いたのはそこじゃないです。しかし分かってもらう為に“ここはゲームの世界で、私は前世の記憶を持って転生してきたんです”などと言おうものなら、速攻で医務室に連れて行かれそうだから黙っておくけどね。


 ただ何というのか、この人絶対に学園卒業してる年齢だよね? オーラも見た目も大人というか落ち着いてる。


 だとしたら考えられるのは最終学部の人か、さらに上の院生だけど――……どっちにしても何でそんな人がこんなところにいるんだろう。


 そもそも星のエフェクトが見えるということは攻略対象だということだろうに、何で星の色がこんなに薄いんだろうか?


 あー、このモヤモヤした感覚何かに似てると思ったら、あれだ。ゲームのプレイを始めたばっかりの頃に似てる。慣らし運転というか、チュートリアルみたいにさらーっと紹介もなしにキャラクターが出てくるやつだ。


 でもそれにしたってこのキャラは知らない。ゲームのプレイ中に見切れた背景スチルにもこんなのはいなかった。でも確かにどこかで見たことがある気もするような……何だろうかこの矛盾。


「でもどうやら君の読書の邪魔をしてしまったようだね。それじゃあ、自分はもう行くから――」


 ずっと私が無言であることが、不愉快さから来るものだと勘違いした熊はそう言って、寂しげな表情をしたまま立ち去ろうとする。


 私は熊のローブの裾を咄嗟に掴んだ。すると熊は私の取った行動に驚いたのか、目を丸くして立ち止まった。

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