第18話:さっそく、宣伝を始めました。

 この世界には、「紙魚」という生き物がいる。人に害を与える紙魚もいるが、逆に人にとって有益なものもいる。

 例えば、この転写用の版を作る為に使用した塗料だ。スライム状の紙魚を塗料にして版に張った布に塗る。描き上げた漫画の上に版を乗せ、光の魔法で版を照らす。すると、絵が描かれていない部分の塗料だけが硬化する。少し時間を置いてから、版を水で洗えば、硬化しなかった部分の塗料が落ちる。そしてこの版の裏面に、透明な塗料を塗れば版の完成だ。


「そして、これをババーンと転写してやりますのよ!」


 夜明け前の早朝。第二地区の市街地にて、私はまだ薄暗い空に向けてそう宣言した。

 私の右側には版を持ったハンスがいる。左側には眉間に皺を寄せているルードヴィヒがいた。広告掲示の許可を貰った壁面の前で、私とハンスは早速準備を始めた。


「じゃあ、版は私が持ってますから、ハンスは魔法のほうの準備をしてくださる? それで、壁からこれくらい離れて……っと」


「かしこまいりました。それにしてもゲルダ様。なぜ最初の掲示場所を第二地区にしたのですか? たしかに、特定の都市に人が集中しやすいですが……」


「ふ、ふふん。それはもしも狙いが的中したら教えてさしあげますわ」


 ……もしもこれで見当違いの結果が出たらカッコ悪いので、今はあまり答えたくなかった。

 最初に第二地区の街を選んだ理由は、単純に人の出入りが激しいからだ。今、私たちがいるこの街は第二地区の中でも一際栄えた街だった。この街に広告用の漫画を掲示すれば、この街に住んでいる住人だけではなく、地方に向かう行商人や、第三地区からの出稼ぎ労働者の目にも触れるはずだ。


「ヒ、ヒントをあげるとすれば、人の流れってとこですわね。第二地区内だけではなく、第三地区のことも見据えたうえでの設置場所ですわ」


「なるほど……、この漫画についての話題をより広い地域へと広げるため、ということですね」


「そ、そういうことですわね」


 私たちがせっせと準備をしている横で、ルードヴィヒはあくびをしながら私たちの様子を見物していた。


「ちょっと! ルードヴィヒ様も手伝ってくださいませ!」


「やだ。そんな面倒なことは執事に任せておくに限るさ。というか、そんな小さな版で転写しても全然目立たないだろう」


「ふっふん。見てなさい。今にぎゃふんと言わせてやりますわ!」


 私がパチンと指を鳴らすと、ハンスが一冊の魔術書を取り出し、私が持っている版に向けて開いた。まるでスポットライトのように、魔術書から強い光が放たれて版を照らす。光は版を通って壁を照らした。光源と版の距離を近づけ、壁からは離れることで、壁に映る影はより大きくなる。前世で小学生の頃にやった理科の実験の応用だ。

 そして、版と同じ形をした、版よりも何十倍も巨大な影が壁面に現れた。壁面をよく見ると、影になった部分だけに薄い膜が張っていた。


「大成功ですわ!」


 私の身長の倍はあるもう一つの版が壁面に出来上がった。紙魚は光の無い場所を好む種類が多いそうだ。版の完成時に塗った「透明な塗料」には影を渡り歩く性質を持つ紙魚が使われていた。


「……アホな婚約者のわりに考えたな」


「ごく自然な流れでアホ扱いされましたけど、まあ水に流してさしあげますわ。あとは版の上から塗料を塗って、版の膜を取り除いたら完成ですわ!」


 私は馬車からせっせと塗料を運び始めた。ルードヴィヒは呆れ果てた顔をした。


「そこは手作業なのか」


「仕方ありませんわ。そこまで考える余裕がなかったんですの」


「……お前も変わったな。前は肉体労働なんて絶対にやらなかっただろ」


 私はつい黙り込んでしまった。前世の記憶を取り戻す前の私はそうだったのだろう。以前の自分との違いを指摘されるたび、一人だけ別の世界にいるかのような疎外感を感じた。

 ルードヴィヒは私が運んでいる塗料の缶をじっと見つめた。


「……これ、黒一色だけか?」


「そうですけども」


 ルードヴィヒは黒い栞を取り出した。すると、塗料が缶から溢れ出て、黒い球体となって宙に浮かび上がった。そのまま黒い球体を壁にぶつけると、その場で球体が弾け、霧状になって消えていった。

 その場には真っ黒な壁面が残った。ルードヴィヒがパチンと指を鳴らすと、膜が張っていた部分の消え去り──壁面全体を紙面とした漫画が完成した。


「効率化考えろ。俺は手作業なんてごめんだね」


「私にはそんな魔法使えませんわよ」


「じゃあ執事に覚えさせろよ。面倒なことをやらせる為の執事だろ」


「前から思ってましたけど、なんかハンスへの当たりが強くありません?」


 私とルードヴィヒが睨み合っていると、ハンスが間に入って両者を宥めた。


「ま、まあ、お二人共。無事に作業も完了したことですし、次の地点へと急ぎましょう」


 ルードヴィヒはハンスを一瞥し、馬車のほうへと戻っていく。だが馬車に乗り込む直前、ルードヴィヒは一度足を止めて、完成した漫画を見つめた。そして、漫画の登場人物である少年・クリストフの絵を指した。


「なあ、婚約者。あの少年のデザインは、あのお嬢さんが考えたのか?」


「あのお嬢さん」とは、リデルのことだろう。


「ええ、そうですわよ。やはり神絵師が生み出すデザインは神ですわよね。金髪美少年! あ、ちょっとハンスに似てるかもしれませんわね?」


 私は思わず壁面に描かれた漫画を見ながらにまにまと笑った。やはり友達と一緒に作った漫画がこうして形になるのは感慨深いものがある。そういえばリデルが傍にいないのは久しぶりだ。早く寮に戻って、完成した漫画のことを伝えたかった。

 一方、ルードヴィヒは険しい表情でその漫画を見つめていた。


「なあ、婚約者。本気で第一から第四まで全ての地区に描く気か?」


「そのつもりですけど……」


「第四地区はやめれば? あんなとこに描いても、誰も見ないだろ」


「断固、お断りですわ。第四地区は、個人的に是非見てほしい人がいますのよ」


 私は第四地区でドロティアから貰った絵物語を取り出した。掌ほどの大きさの紙に、ドロティアと青年の絵が描かれている。世界の仕組みや収益のこと抜きで、ただ純粋に、私たちが作ったものをドロティアに見てほしかった。


「作品が完成したら、またドロティアに会いに行きたいですわ」


 ハンスが深く頷く一方で、ルードヴィヒは険しい表情を浮かべたまま馬車に乗り込んでいった。







 寮に戻ると、私は授業で出された課題の提出に向かった。ここ最近、漫画制作のことで頭がいっぱいだったため、課題に手を付けるのが遅れていた。

 周回知識を活用できるリデルや、元から優秀なハンスと違い、私には端役相応の知識と能力しか無い。漫画制作をしつつ、学校の課題もこなすのは大変だった。

 私は職員室の扉をノックして、中に入った。中にいた教員は一人だけだった。ライマン・ウィゾルデ。攻略対象の一人だ。


「失礼いたします。ライマン先生、課題の提出に参りましたわ。まだ、提出は間に合いますかしら」


「やあ、ゲルダさん。ギリギリセーフってとこかな」


 ライマンはそう言って暖かく微笑んだ。攻略対象たちの笑顔はどれも眩しい。さすがに顔立ちが整った男を多数生産し、コンテンツとして売り出すだけのことはある。

 私がライマンにレポートを手渡そうとした時、レポートの紙の間から小さな紙片が滑り落ちた。ドロティアから貰った絵物語だった。


「し、失礼いたしました! 間に挟まってましたのね……」


「ああ、いいよ。私が拾うから……っ!?」


紙片を拾い上げたライマンは、そこに描かれた絵をじっと見つめた。


「ゲルダさん。この絵を、どこで……?」


「え? ああ、その、知り合いの子からいただきましたの」


「……そうか。はい、今度は落とさないようにね」


 私は手渡された絵物語をしっかりと握った。早く寮に戻ろう。リデルたちが、今頃作業を進めているはずだ。そう考えながら職員室を出ようとした時、ライマンは窓の外を見つめながら呟いた。


「ゲルダさん。最近、リデルさんたちと何かしてるみたいだけど、何してるの?」


 ニヤニヤと笑いながら、私はウィンクする。


「それは先生にも教えられませんわ。面白い物を作ってるとだけ言っておきますわね」


「それは楽しみだな。出来上がったら、私にも見せてくれるかな」


「勿論ですわ!」


 もしかしたら、ライマン先生がお客さん第一号になってくれるかもしれない。そう考えながら、私は軽い足取りで寮へと戻っていった。

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