第9話:悪役令嬢は神絵師に5000兆円捧げたいと思いました。

 前世の私には、決定的に欠けていたものがある。財力だ。

 当時の私は高校生だった。僅かなバイト代では世界中の神絵師を養っていくことはできない。好きな絵師や漫画家が、仕事が無く苦しんでいたり、連載を打ち切られていく様子をただ見ていることしかできなかった。

 だが、今は違う。悪役令嬢に転生した私は、胸を張ってこう言うことができる。


「さあ、ハンス。こちらの神絵師に5000兆円を捧げなさい!」


 寮の談話室の片隅で、私は天井に手を伸ばしながら宣言した。目の前ではリデルが照れくさそうに縮こまっており、隣ではハンスがきょとんとした顔をしていた。


「ゲルダ、絶対絶対それがやりたかっただけですよね!? だいたい、この世界のお金の単位は『円』ではなくて『ゴート』です! それでその、いきなりそんな大金を貰っても困ります!」


「正当な報酬ですわ。これからこの世界に漫画を広めていくとなれば、単純にたくさん漫画を描いてもらうことになりますもの。『広める』というのはただ読者を増やすだけではなくて、作家も、出版元もいずれ増やさなければいけませんわ。そうとなれば、それに伴うお金のことを蔑ろにした状態で計画を初めていくのは、後々のことを考えるとよろしくないと思いますのよ」


 すると、横で話を聞いていたハンスが口を挟んだ。


「事情は概ねわかりました。要はリデルさんが描かれた『マンガ』というものを多くの方に広めていきたいということですよね。でしたら、ゲルダ様。怖れながら、僕から一つ提案があります」


「何ですの?」


「最初に、リデルさんの意志をきちんと確認しておいたほうがよいと思います。自分の漫画が多くの方に読まれ、注目を浴びる可能性があることを、良しとするかどうか」


 リデルの漫画が広まり、多くの人々に読まれれば、様々な人が作品についての感想を抱き、意見を交換しあうだろう。決して良い感想を抱く人ばかりではないはずだ。つまらない、くだらない──そんな心無い感想が飛び交う可能性もある。これは、リデルの名前を伏せて作品を発表すれば済む問題ではない。


「たしかに……ハンスの言う通りですわ。私、少し焦りすぎていたかもしれませんわ。リデルの意志を聞かずに突っ走っては、リデルを傷つける結果になってしまいますもの」


「はい。ですから、リデルさん。もしもご自分の漫画が広まることを不快に感じるようでしたら、遠慮なく仰ってください。リデルさんの意志にそぐわないのでしたら、僕が止めさせますので」


 リデルはもじもじと照れくさそうに視線を泳がせながら答えた。


「いえ、嫌ではないんです。自分の漫画がこんなに褒められたことってなかったんで、少し戸惑っているだけなんです。私の漫画なんかで、本当にいいんでしょうか」


「クオリティについてでしたら、問題無いと思いますわ。今すぐ腕を焼肉にして食べたいくらいの神絵師ですわ!」


「完成度に関しては、僕も問題無いと思いますよ。先程見せていただきましたが、名だたる芸術家にも負けないほどの素晴らしい作品だと思います。自信を持ってください」


 私とハンスがそう言うと、リデルは顔を上げ、力強く頷いた。


「ありがとうございます。そう言っていただけるなら、是非やらせていただきたいです」


私はリデルの言葉に感謝しつつも、こう問いかけた。


「でも、本当に大丈夫ですの? 『皆さんに広める』となれば、リデルの好きなキャラクターばかりを描くわけにはいかなくなると思いますわ。もちろんこちらも、なるべくリデルが自由に描ける機会を作れるように努力しますけれども……でもやはり、最初は漫画に親しみのない方でも興味を持てるような題材をお願いすることになると思いますの」


「大丈夫です。そこのところは私もわかっています。それでもやらせてもらいたいです。その……こういうやり方で、自分が『嫌だ』と感じている仕組みを変えていけることが、嬉しいんです。だから、やりましょう」


 リデルの言う「こういうやり方」の意味が、私はいまいちピンとこなかった。だがリデルの瞳から、もう不安や戸惑いは感じなかった。真っすぐに私の瞳を見つめていた。


「でしたら、問題は無さそうですね」


 ハンスがそう言った。私も深く頷く。三人の意志が一つになった。ならば、次は作戦を実行するために行動していかなければならない。私は胸を張って、高らかに宣言した。


「そうですわね。ではやはり、まずはここで神絵師に5000兆円を……」


「いや、いやいや、だからそれは待ってください!」


リデルが慌てて止めた。私はブーブーと口を尖らせながら足をバタバタと動かした。


「なぜですの? なぜ神絵師を養わせてくれませんの?」


「う、それは……その、報酬をくださるのなら、単価とかをきちんと決めましょう」


「むぅー、それはそうですけど。リデル、自分の実力を安く見積もるべきではありませんわよ?」


「そういう理由で言っているわけではないんです。ゲルダの気持ちにはとても感謝しているんですが、その……」


 リデルは両手をもじもじと動かしながら、照れくさそうにこちらを見つめた。


「お金に依存するような関係には、あんまりなりたくないんですよ。友達、ですから……」


「まあ、まあまあ!」


私は瞳を輝かせてリデルに飛びついた。リデルの方からそう言ってくれたのは初めてかもしれない。


「きゃっ、ちょっと。なんでひっつくんですか!」


「喜びを全身で表現しているんですわよ! りょーかいですわ、そうですわよね。私たちの関係は、億万長者と神絵師ではなくて友達ですもの!」


 私とリデルのじゃれ合いを、ハンスは嬉しそうに眺めていた。そしていくつかメモを取ったあと、こう提案した。


「お金に関しての方針は決まったようですね。ではゲルダ様。早速ですが、今週末に一度ご実家に顔を出しましょう。『マンガ』を出版するとなれば、アナスン侯爵のご協力は必須ですよね?」


私はリデルに抱きついたままガッツポーズした。


「もちろんですわ! ハンス、早速馬車の手配を!」


「承知いたしました」



 寮の自室に戻ると、私は早速荷造りと企画書作りを始めた。父であるアナスン侯爵ことカイウス・アナスンは金儲けが大好きな強欲な貴族だ。悪役令嬢の父に相応しいプロフィールだろう。だが、一方であのハンスが尊敬し、忠誠を誓っている厳格な人物でもある。しっかりと計画を立ててプレゼンテーションをしなければ、あの父は説得できない。

 その時、扉をノックする音がして、リデルが部屋に入ってきた。


「ゲルダ、少しいいですか。……その、ありがとうございます」


「何がですの? お礼を言われるようなことはしていませんわ」


「いいえ。言うようなことです。この方法なら……登場人物同士、誰も争い合うことなくクリアできるかもしれませんから」


「以前のループでは、そういうことがあったんですの?」


 リデルは小さく頷いた。


「……はい。それぞれのルートで、所謂ライバルキャラがいましたから。ゲルダともハンス様やルードヴィヒ様を取り合ったりしたんですよ。……私は、お二人のこと、好きでもなんでもなかったのにね。ほんと、酷い人ですよ。私……」


 リデルは俯きながら肩を竦めた。リデルの言うとおり、ゲームの中でのゲルダは悪役だった。取り巻きたちと共にリデルに犯罪まがいのいじめをして、追い詰める。ハンスやルードヴィヒは、そんな逆境の中でも優しさと純真さを失わないリデルに惚れ込んでいく……というストーリーだった。


「でも、ゲームを進めるために仕方なかったんですのよね? だったら、好きになれない人と結ばれるまで時間が巻き戻るだなんてルールを作った世界の仕組みのほうがよっぽど酷いですわ!」


「……ありがとうございます。それでも、時々思い出してしまうんです。ただゲームを進めるためだけに攻略対象との距離を縮めようとする私と、攻略対象を愛するが故に私にきつく当たるライバルの方々。本当に攻略対象に選ばれるべきなのはどっちだったのかなって。何度も自分を責めました」


「これまで、どんなふうにゲームを進めてきましたの?」


「始めて間もない頃は、『特に好みの人はいないし……』と思って、どの攻略対象とも関わらないようにしてたんです。そしたら、どうがんばっても夏頃にバッドエンドになることに気づいて……ゲームの仕組みを知るために、興味は無くても攻略対象に関わってみることにしたんですが……そこからは、前に話したとおりです。ライバルとは攻略対象を取り合いましたけど、攻略対象のことはどうがんばっても恋愛対象としては見れなくて……」


 リデルの話を聞くたびに、この世界は「誰にとっても不幸な世界」だと感じる。リデル自身にとっても、攻略対象たちにとっても、ライバルキャラにとっても。かといって、これはリデルが攻略対象に恋をできるようになれば済む問題ではない。ハンスやルードヴィヒのルートならば私が不幸になるし、エンデやライマンのルートなら他のライバルキャラが報われない。

 必ず誰か報われない人がいて、その犠牲の上にヒロインと攻略対象の幸福が成り立つ世界。この世界で誰も傷つかないエンディングを迎えることは、不可能なのだろうか。

 私がそう考えながら窓の外を見つめていると、リデルは私の隣に座って笑った。


「でも、これからはゲルダと争わなくていいんですよね。目的も攻略対象の攻略からゲームのクリア条件の変更になりましたし。そのための手段だって、今まで隠れながら描いてきた漫画を堂々と描いて、発表することですし……それが、嬉しいんです」


「そう……そう言ってくれるなら、嬉しいですわ」


「はい。だからこそ、ゲルダにお願いしたいことがあります。……あまり、一人で無理をしないでくださいね」


 私は少しギョッとした。床には今週末に実家に帰る際に持っていく荷物が散らばっていた。机には没になった計画書が何枚も丸めて置いてあった。ここまで「悪役令嬢」としての自分の勢いに任せて邁進してきたが、ふとした瞬間に冷静になることがあった。

 世界の仕組みを変える為に、この世界の歴史を変える書物を作る。その為に、まだこの世界に広まっていない漫画を広めていく。……前世ではただの女子高生だった私に、そのようなことが、本当にできるのだろうか。


「ゲルダなりに気合いを入れているのはわかりますし、それはそれでゲルダらしいですが、たまには息抜きしても大丈夫ですよ」


 リデルは私が没にした計画書を一枚ずつ広げてまとめ、机の端に置いた。


「一度だめだと思った計画でも、一応まとめて取っておきましょう。失敗でも、後から見直してみたら思わぬ発見があるものです。それと、何かアイディアが閃いたら、是非また聞かせてください。……私も一緒に、考えますから」


「リデル……」


「その、なかなか素直に言えないですけど……私だって、ゲルダの力になりたいんです。だから、一人で抱え込まないで。二人で、どうすればいいか考えていきましょう」


 私は深く頷いた。リデルは暖かく微笑んでくれた。窓の外から2羽の小鳥の声がした。雲は音も無く流れ、穏やかな風が吹いた。

 悪役令嬢とヒロイン。ゲームでは相容れない者同士だったとしても、この世界でもいずれ対峙しなければならない時が来るのだとしても。そんな未来を打ち砕く為に、二人で手を取って歩いていこう。私たちはそう誓った。


「ありがとう、リデル。私の計画がうまくいくかなんてわからないけど、一緒にがんばっていこうね」


 リデルは私の手を握り、春風のような笑顔で頷いた。



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