第3話 マルクの処分不服申し立て 前編
「旦那様。今回の件について、皆に緘口令を敷いてまいりました」
ワルターの執務机の前で、マルクがそう報告した。
『今回の件』というのはモンテガーノ侯爵と『おしごと』ツアー一行の間に起きたアレの事だ。
マルクはワルターの指示により、ポーラが感情的になってつい子供達に話してしまった『伯爵家に対する損害の可能性』に対する緘口令を敷きに掛かっていた。
幸いその話を聞いていたのは、あの場の子供達の他にはモンテガーノ侯爵を引き留める役割を担っていたメイド1人だけだ。
ポーラが説明した様な思考に辿り着く事が出来る者も、あの時の状況を知り、且つ色々な前提知識を持つ者だけに限られる。
今回の場合で言うとその条件に当てはまるのは、セシリア・マルク・クレアリンゼ・ワルターくらいの物だろう。
緘口令を敷くべき人数が少ないのだ、作業自体は大して難しくも無い。
「あぁ、御苦労」
執務疲れから来る眉間の皺を揉み解しながら、ワルターが短くそう答える。
そんな主人をマルクは眺めていた。
それはいつもと同じ主人からの指示待ち状態の使用人の姿に見えるが――。
「何だ、不満か」
主人のそんな声に、マルクは少し驚いた。
そんな彼の驚きを敏感に感じ取り、ワルターは思わずフッと笑う。
「お前が私に仕えて長いのと同じ様に、私だってお前を傍に置いて長いのだ。その位は読めて当然だろう? そうでなくとも今日のお前は少し感情的な様だしな」
マルクの心情は、そんなあからさまに顔には出ていない。
彼だって一端の執事だ。
思った事をすぐに顔に出す様な甘ちゃんには育っていない。
だからこれはワルター同様に仕事疲れがあった事に加えてこの件については感情の振れ幅がいつもと比べて大きい事、そしてワルターが長年の主人で且つ洞察力に優れているからこその、それこそ事故の様な物だった。
何だ、不満があるなら言ってみろ。
そう、ワルターがマルクに視線で促した。
するとマルクは深く息を吐いた後で「では言わせてもらいますが」と口を開く。
「何故緘口令など敷いたのです」
「何故って、この話が漏れれば誰にどう利用されるか分かったものではないからだろう?」
『伯爵家に対する損害の可能性』。
そんな物が邸内に噂として出回ってしまい、何かの拍子に邸外にまで漏れてしまえば、それを聞いた者達に悪用される可能性がある。
これはそれを避ける為の措置だ。
しかしその説明に、マルクは首を横に振る。
「違うでしょう、旦那様。貴方はあの少年を庇っているのです」
「まぁ、それもあるな」
ワルターは彼の言を敢えて否定はしなかった。
どうせ隠した所でバレているのだ。
隠す意味も無い。
しかしサラリと肯定した彼に、マルクが噛みつく。
「旦那様が緘口令を敷いたせいで、今回の件は『領地を揺るがす可能性があった事件』から『ただ嫌な貴族にぶつかっただけの事件』になってしまいました。しかし現実にその可能性は存在したのです! それに対する処罰はあってしかるべきだと、私は思います」
モンテガーノ侯爵とメイドの声がそこら中に響いていた為、この騒動自体は隠しようがない事実だ。
既に邸内中に噂も出回っている。
しかしワルターとマルクの迅速な対応によって、この件についての使用人達の認識は比較的軽い物になっている。
「何か貴族が怒ってたらしいよ」
「子供がぶつかったんだって」
「セシリア様がその貴族達の間に入ってくださったんだと。ありがたいなぁ」
大体、こんな感じだ。
「だから例の少年にはきちんと、使用人棟の掃除をペナルティーとして課したではないか」
「使用人棟の掃除など、たかが知れています!」
「確かに使用人棟内だけでは掃除の範囲が狭いかもしれないが、あの少年はまだ未就業児だ、使用人棟の外には出せまい。ペナルティーの為にわざわざ他の使用人に同伴を命じるのも非効率だし」
「そういう事が言いたいのではありませんっ!!」
のらりくらりと躱す主人に、マルクは思わず声を荒げた。
「私はもっと厳正な処分が必要だと申しているのです!」
ペナルティーが掃除だけなど、処分としては軽すぎる。
あの場でのセシリアの機転が無ければ、もしかしたら伯爵家や領地・領民達に損害を与えていたかもしれないのだ。
あまつさえそれをやらかしたのが本来主人を支える立場である使用人の子供だというのだから、筆頭執事としてはそう易々と許容できるものではない。
しかし。
「緘口令を敷いたことによって、あの件の重大度は下がった。無かった事になったと言っても良い。無かった事に対して罰は与えられないだろう?」
「しかし!」
これは他貴族に付け入るスキを与えない為の緘口令でもある。
緘口令は必要だ。
そして緘口令が敷かれている限り、事の重大さは公にはならない。
公にはならない事に対して処罰をする事は出来ない。
それは分かっている。
しかし分かっていても、それに対して抱く気持ちは変わらない。
主人に対してマルクは「ここは譲れない」と言わんばかりに食い下がる。
彼がこうまで安心して食い下がれているのは、主人がそれを許可したからに他ならない。
彼が自分の仕事に誇りを持ち、筆頭執事としての役割を果たそうという義務感に駆られている事も、おそらくその一因だろう。
(分かっている。マルクはそういう奴だ)
仕事は出来る。
責任感も強い。
しかし何分、頭が固い。
彼の役割上必要な事とはいえ、彼の真面目さはこういう所で時折面倒臭さを発揮する。
そしてその持ち前の真面目さと責任感の強さのせいで、常日頃からその熱を自分の内に蓄積しがちでもある。
こうして適度にガス抜きをする機会を与えてやらねば、彼がパンクする。
彼の精神的健康の維持は、ある意味では自己責任だ。
こちらが考慮すべき点では無い。
しかし。
(全く、手の焼ける幼馴染だ)
ワルターにとってマルクは、幼い頃からずっと近くに居て苦楽を共にしてきた戦友の様な存在だ。
「自己責任だ」と、そう易々と切り捨てる事は出来ない。
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