第50話 スペシャルゲストの途中参戦

 


 そして彼の表情に気付いているのかいないのか、彼はあくまでもマイペースに行動し始めた。


「シンディー、もう一枚雑巾はあるかな?」

「え? あ、はい、あと数枚でしたら予備を持っていますが……」


 それがどうしたのだろう。

 そう問いたげな彼女の視線に、キリルがニコリと微笑む。


「そ、良かった。じゃぁそれを僕にも貸してくれないかな? 時間もあるし、最後の10分間は僕もツアーに参加しよう」


 キリルはサラッとそう言うと、「雑巾ちょうだい」とシンディーに向かって手を出した。

 しかしあまりにも自然に使用人の仕事をしようとするのでつい忘れがちになるが、本来貴族であるキリルやセシリアがこのような雑事をする事は、決して無い。


「え?えぇっと……」


 元々このツアーには『セシリアお嬢様も参加する』という事が予め通達されていた。

 だから使用人達もそれに応じる形で、ツアー中に他の子供達と差をつけることなく同等に仕事体験をさせる事に大きな混乱や葛藤は無かった。


 しかしそこに、キリルは含まれていない。


(キリル様にまで使用人の仕事をさせてしまっても、いいものなんでしょうか……?)


 シンディーがそう悩むのも無理はない。

結局彼女自身にはその判断は出来ず、彼女は彼の後ろに控える執事を頼った。


少し困った様にロマナを見遣り、彼に助けを求める。


 その視線に、ロマナはすぐに気が付いた。

そして深いため息を吐きながら、こう答える。


「キリル様は言い出したら聞かない方です。この際仕方が無いでしょう」


 そう告げた後、彼は唐突に自分の袖をまくり始める。


「シンディーさん、私にも雑巾を一つ貸してください」


 まさか主人がやると言っているのに、彼に仕える者がその横で床に這いつくばって掃除をする主人をただ見降ろしているわけにはいかない。

 ロマナは言外にそう表明し、主人同様にシンディーに対して雑巾を求めた。


キリルは先程同様に、シンディーに対して手を出した体勢のまま雑巾を待っているし、その従者は彼のその行動を全く止める気が無い。

そんな2人を前に、どうやらシンディーも「仕方が無い」と諦める事にしたようだ。

彼らに渡す為の予備の雑巾を、早々に絞り始める。



 一方セシリアは、兄も参加すると聞いてとてもご機嫌だった。

 跳ねる様にさっきまで自分の居た場所まで戻ると、いそいそと床拭きを再開する。



 キリルは絞り終わった雑巾をシンディーから受け取ると、セシリアの所まで歩いてきて口を開く。


「セシリーはどこからどこまで拭いてたの?」

「ここから、ここまで」


 キリルの問いにセシリアが指を差しながらそう答えると、彼は「分かった」と言ってその隣にしゃがみ込んだ。


「じゃぁ僕はここから向こうを拭こう」


 彼はそう言うと、先程シンディーが子供達に注意した通り四角く、床を拭き始めた。


 説明を受けずにシンディーの注意通りの拭き方をし始めた兄に、セシリアが少し驚いた声で疑問を投げかける。


「キリルお兄さま、もしかしてさっき私達がしてた話、聞いていた?」

「え? 聞いていないと思うけど、何で?」


 何でそんな疑問が出て来るのか。

 そう尋ねてきたキリルに、セシリアはシンディーに教えてもらった床の拭き方について話をする。

 するとキリルが納得した声で「あぁ、それは」と口を開いた。


「チェインバーメイド達はこの館内の至る所で掃除をしているだろう? それなのにみんな同じ様な拭き方をしてるんだよ。だから僕も『そういう風に拭くものなんだな』って思ったんだ」


 それはさっき話を聞いていたからじゃなくって、『そういう風に拭くものなのだ』と最初から知っていたからだ。

キリルがそんな風に答えれば、セシリアは「なるほど」と、納得の表情を浮かべた。



 シンディーが小声で「ああいう風にいつも私達の仕事をきちんと見てくださっていて、それをさも当然かの様に仰る様な方々だからこそ、私達もここでの仕事にやりがいを感じていられるんですよ」と他の子供達に耳打ちした。

 

 その声に少し驚いたり、しきりに頷いたり、何やら考え事をする面々が居るが、そんなやり取りがある事には、伯爵家兄妹は全く気付いていない。

 だからこそ、彼らは手を動かしながらもマイペースに、話を別に転換させる。


「ねぇ、セシリー。今日のツアーはどうだった?」


「成功したかな?」と問いかけたキリルに、セシリアは「うーん」と言いながら答える。


「このツアーのゴールはみんなが『自分の就きたい仕事をきちんと自分で探すこと』だから、成功かどうかはみんなの心に聞いてみないと分からないんじゃないかと思う」


 セシリアはツアー成功の是非について、冷静な分析で答えた。


 決して本当のゴールを見誤る事が無い事。

 それはクレアリンゼが教えてくれた、このツアーでセシリアが考えないといけない大切な事だ。


 その言葉があったからこそ、彼女は今日一日、何があっても終始そこを起点に物事を考え、振る舞ってきた。



 しかし彼女は「でもね」と言葉を続ける。


「少なくとも私にとっては、思ってもみなかった『成果』があったよ」

「思ってもみなかった成果?」


ツアーが成功したかどうかは分からない。

でも少なくとも自分にとっては、今日の経験は確実に実を結んだと、セシリアは自信を持って言えた。


そんな彼女の自信の正体が知りたくて、キリルが聞き返す。

すると、彼女はこう言った。


「うん。このツアーをするにあたっての元々の目標として『此処で働く使用人やそのお仕事を、私もきちんと知ること』っていうのはあったの。それについては協力してくれた使用人の皆のお陰で、前よりもずっと知る事が出来た」


想定していた成果は、自分の中であった。

セシリアはまず、そう告げた。

そして「でもそれ以外にもあったの」と言葉を続ける。


「それと同じくらい『今後ここで働くかもしれない、みんな』の事も良く知ることが出来た。これは私自身、思ってもみなかった成果だったの」


 セシリアはそう言うと、兄に嬉しそうに笑いかけた。

 するとその言葉に、2人の話の内容が気になってちょっぴり聞き耳を立てていた子供達が『自分たちの事か』と、思わずピクリと反応する。


「そうなんだ。僕もその成果を聞きたいな」


「教えてよ」という兄の言葉に、セシリアはコクリと大きく頷いて、成果報告をし始めた。

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