第2話 執務室効率化のための……商談?



 執務室で『落書き』をしてから、僅か一日後。

 オルトガン伯爵家の三兄妹は朝食を終えた席で、母から『とあるミッション』を言い渡された。


「キリル、マリーシア、セシリア。今日の昼食後、貴方達三人には商談をしてもらおうと思っています」

「「「商談?」」」


 母の言葉に、3人の疑問の声が綺麗に合わさった。

 それもその筈、兄妹達の日常では絶対に聞かない言葉である。


「お母様。その商談というのは『商人と取引等について話し合うこと』という意味の商談で合っていますか?」


 聞き間違いか。

 若しくは同じ音の、自分達の知らない言葉があるのか。


 キリルがそんな憶測に期待してそう問いかければ、クレアリンゼがにこりと微笑む。


「えぇ。ただ今回は、既製品の取引ではなくてオーダーメイド品の注文ですけれど」


 キリルの言葉をさらりと肯定したどころか更にハードルの高い事を言う。

 そんな母に、キリルは唖然とする。


 既製品ならば

「○○が欲しいんだが」

「分かりました、お値段はこのくらいでいかがでしょう?」

「よし、それで頼む」

 という比較的簡単なやり取りで成立するが、オーダーメイド品となれば話は別だ。


「オーダーメイド品、って何? お母さま」

「オーダーメイド品というのは、受注生産品、つまり、注文してから作り始める品という意味よ。注文後に一から作り始めるから、注文時に要望などを伝えておけばその通りの一点ものを作ってもらう事も可能なのよ」


 母はこうやって、日常生活の中で時折子供達に課題を与える。

 今まではキリルとマリーシアの2人に対して与えられていた物だが、どうやら今回からは参加メンバーがもう1人増える様である。


 2人の様子を見遣りながら、キリルは思う。


(それにしても、また大変そうな課題を)


 そう思えば、思わず苦笑いになる。



 確かにオーダーメイド品ならばこちらの要望を盛り込める。

 しかし同時に、きちんと相手に自分の思い描く完成像を伝えられねば自分の望むモノは得られない。


 しかも伝える相手は、キリルが初めて接する相手である。

 相手がキリルの心中を的確に察してくれるとは思えない。

 つまり自分の説明能力に頼るしかないという訳である。



 などと思考を巡らせていた彼は、末妹の明るい声で思考を現実世界に引き戻される。


「お母さまの言うとおりなら、オーダーメイド品はとても『効率的』なのね!」


 だって自分が欲しいものを、探す労力無く手に入れることが出来るもの。

 そう続けられた声に、クレアリンゼは「そうね、でも」と言葉を付け足した。


「一点ものを作るのだから、オーダーメイド品には時間も、それに見合うお金も必要なのです」


 物事には大抵、メリットとデメリットがある。

 それはある意味で、世の真理に近いものだ。



 メリットだけでデメリットが存在しない。

 そんな事態に出会う可能性は、全く無いとは言わないが限りなく低い確率ではあるだろう。


 今回もそこに例外は無く、デメリットはきちんと存在する。


「それでも私が今回の件を行おうと思ったのは、その対価を支払ってでもソレを行う価値があると思ったからです」


 今回クレアリンゼがソレを成す為の商談を彼らにやらせるのは、『教育』の一環である。

 この経験を経て、彼らはきっと新たな事を幾つも経験し、学ぶことになるだろう。


 その学びの一環として、子供達には『彼らにコレを任せる事にした背景と考え方』を理解してほしい。

 そんな考えを胸に、口を開く。


「何をするにしても、メリットとデメリットというのは存在します。そんな中で自身の行動を決める時に一番大切なこと。それは『メリットとデメリット、どちらが大きいかをきちんと見極める事』」


 彼女はそう言うと、三人の子供達に微笑みを向けた。


「それが上手く出来なければ、本当の意味での『効率化』は見込めません」

「……それはつまり、メリットとデメリットを『コスト』という同じ単位の数値に直して比較し、前者の方が長期的に見て『よりコストの削減が見込める』とお母様は判断した。そういう事ですか?」

「その通りよ」


 考えながら告げられたマリーシアの言葉に、クレアリンゼは「良くできました」と褒めてやる。

 嬉しそうに頬を染めた妹を見ながら、しかしキリルは心穏やかではいられなかった。



 つい最近、不可抗力ではあったものの『誰か』のメリットとなる事を提示した自覚が彼にはあったからである。

「あの、まさかとは思いますが……」と前置きをして、恐る恐るといった感じでこう尋ねた。


「もしかしてお母様は、昨日の執務室での件を具体的かつ現実的に考えようとしていますか……?」

「えぇ。だってとても良い案ですもの。貴方達の案はそのまま、実行する予定ですけれど」


 苦い声で尋ねてきた彼に、クレアリンゼは平然とした調子で「それが何か?」と言葉を返す。


 対するキリルは思わず頭を抱えた。

 そしてこう、反論する。


「お母様、昨日のその件はセシリーの小さな疑問から始まった仮想的な物の産物、言わば遊びの延長の様な物です。そんなものを、しかも昨日の今日で作ると決めてしまうというのは……」


 せめてお父様やお母様、マルク達が手直しをしてからにしてください。

 慌てた様にそう言葉を続けるが、クレアリンゼはただ笑顔でこう答えた。


「たとえあれが貴方達のただの遊びが生んだ産物だとしても、昨日の今日だとしても関係ありません。『良い物は良い』ただそれだけです。貴方達の案は大きな手直しをする必要ない程良く出来ていました」


 マルクによる微修正は必要でしょうが、それはあくまでも「企画書としては修正が必要」という程度。

 旦那様も私も目を通したのだから、その提案に問題は無い事は保証する。

 だからそこは自信を持ちなさい。


 クレアリンゼはそう言葉を続けてキリルを宥める。

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