第3章:セシリア、4歳。執務室を効率化する
第1話 執務室の効率化
四度目の執務室での『おべんきょう』中。
セシリアは父とマルクの様子をジッと見つめていた。
「ワルター様、こちら、お願いします」
「あぁ、分かった」
いつもの様に書類の仕分けを終えたマルクが、ワルターの所にそれらを持っていく。
作業台からワルターの机の斜め後ろにぐるりと回り、新しい書類を今置いてある書類の下に差し込む。
そしてまた、ワルターの机をぐるりと回って作業台に戻る。
そんな2人の様子を観察しながら、セシリアは半ば無意識的に顎に手を当てた。
何かを考える様なその素振りに最初に気が付いたのは、兄・キリルだ。
「どうした?セシリー」
そんな兄の声に、ワルター達の方に視線を向けたままで答える。
「なんだかマルク、行ったり来たりで大変そうだなって」
「……うーん、確かに」
キリルもマルクの方へと目を向けた。
彼は相変わらず忙しそうで、今も父の周りを行ったり来たりしている。
しかしそれはいつもの事だ。
「まぁでも、それがマルクの仕事なんだから仕方が無いんだろうな」
仕方がない。
その言葉は尤もの様に聞こえる。
しかし。
「『お父さまの周りをウロウロとする事』がマルクの仕事なの?」
それは固定観念に囚われないが故の、本質を突いた思考だった。
キリルが言った『それ』とは、『父の補佐をする事』である。
それを成す為の手段が『父の周りをウロウロとする事』であり、別にそれ自体が彼の役割ではない。
仕事を成す為の手段が、役割に成り替わる。
そんなちぐはぐな状態が今なのだと、セシリアは暗に示した。
実はこの時、彼女は別にそのおかしさを指摘したかったわけでは無く、ただ純粋に思った事を口にしただけだった。
しかしこの言葉が、とある計画の出発点となる。
「そう言われれば確かにそうだ。手段と役割を取り違えるなんて、全く以って本末転倒だ。となるとそんな現状をどうにかしたい所だな」
急に真面目な表情になって、兄は考え始めた。
そんな兄に倣って、セシリアも「うーん」と悩む素振りを見せる。
兄が呟いた通り、お題は「マルクの現状をどうにかする事」である。
父の補佐をする為にウロウロするマルクが、十分にその能力を発揮しつつウロウロしなくて済む方法を探せばいい。
数秒間考えたセシリアは、ふと最初から抱いていた疑問を口にする。
「どうして、わざわざ回るのかなぁ。真っすぐ行けばいいのに」
その言葉を聞いて、兄がピクリと反応した。
「……なるほど。『わざわざ毎回お父様の後ろに回り込む様な事をしなくてもお父様の正面から書類を渡せばいいのに』って事か」
呟く様にそう言って、思考の沼に没頭し始める。
「でも流石に執事のマルクがお父様に書類を手渡すわけにはいかない。その度にお父様は作業の手を止めて受け取らねばならないし、そんな面倒を強いる事をあのマルクが許容する筈も無い」
マルクは執事として素晴らしい。
流石はこの家の筆頭執事だと言うべきか、彼のプロ意識はとても高い。
そのプロ意識が故に、周りに対して以上に自分に厳しい彼である。
そんな彼が主の面倒になる仕事をする筈が無い。
そんな事をさせるならば幾らでも自分が面倒を負うのが、彼という人だ。
――ならばどうすれば良いのか。
キリルは少しゆっくり5秒間、考えた。
そしてつい先程まで勉強の為に使っていた開きっぱなしのノートの端に、この部屋の見取り図を書いていく。
見取り図と言っても入口の位置とマルクの使っている作業台、そしてワルターの執務机だけしか書いていない、簡単なものだ。
「こうしたら、マルクの机から最短距離になる」
そう言って見取り図に書き込まれた矢印は、作業台から執務机まで一直線に引かれていた。
「マルクがこういう動線を使う様に現状を改善する事が、今回の目標」
まずはこうしてゴール地点を明確に設定し、それを叶える為の策を考える。
「わざわざ回り込む理由は……お父様の正面側からじゃ持って来た書類を置き難いし、それを押して置いたとしてもお父様の執務の邪魔になってしまう可能性があるから。でもそれだけが理由なんだったら、お父様の机上の物の配置を変えれば良い……」
そう言うとキリルは、いつもはマルクがワルターの右側に置いていく三つの山束を、見取り図の机の上、正面側に並べる様にして書く。
そんな彼のノートを、セシリアは「興味津々」といった感じで覗き込んだ。
そして「うんうん」と頷いた後で「あっ」と何かを思い出し、思考に没頭した彼の肩をツンツンと突く。
「マルクはお父さまの所に書類を持ってくる前、トントンって揃えるの。でもね、それにもちょっと時間がかかるの」
「なるほど。それもこの際、どうにか出来ればベストだな。――よく見てるな、セシリアは」
「偉いぞ」と兄に頭を撫でられて、セシリアは嬉しそうに微笑んだ。
そしてもっとその優しい手で頭を撫でられたくて、更に思い出した事を口に出す。
「あとね、書類を置くときも、マルクは置いてた書類を持ってきた書類の上に置くの」
「それはもしかして、先に渡した方の書類を優先して処理してもらう為にしているのかな。じゃぁもしその行動も不要となれば、マルクの余分はもっと削る事が出来るって事だ」
ほんの少しの手間であっても、手間は手間だ。
その手間が省ければ、それだけ仕事は楽になる。
でもその方法というと、なかなか難しい。
今までのやり方を変える。
そこに今以上の手間が掛かってしまっては意味が無い。
その為には幾つか上がった問題を一つずつ、手間を織り込まない様に注意しながら組み立てていかねばならない。
「書類が崩れちゃうからトントンしないとダメ。だから崩れない様に出来ればいいと思うの」
セシリアはまず、マルクが書類を揃える手間を省くべくこう口を開いた。
「そうだね。……なら例えば、箱に入れるとか? でもそうしたら箱から取り出す手間が新たに発生しちゃうからなぁ」
そんなキリルの言葉に、反応した声があった。
3兄妹の中で最後まで勉強に勤しんでいた、マリーシアだ。
「では、箱のようで箱でない形にすれば良いのですよ」
丁度勉強で一段落付いた所に聞こえて来た兄妹の会話にそう応じると、自分のノートにサラサラとペン先を滑らせていく。
「書類が倒れない様にした上で机の正面側から書類を置いて椅子側から容易に取り出せる様にするならば、箱型をベースにして此処と此処の邪魔な壁は取り除いて……」
「うん、いいね」
そうやって書いた絵をキリルの机の上へと置いてやれば、キリルは満足げに頷いた。
しかしすぐに少し考える様な素振りを見せる。
そしてマルクが行っているもう一つの手間を省く為に、こう言葉を続けた。
「それならこれに、こんな感じで可動式の板みたいな物を取り付ければ……」
言いながら、マリーシアの絵にキリルが加筆を加えていく。
「それは面白い案ですね」
「問題はこの板の上に物が乗った状態で、どうやって安全に動かすか」
「キリルお兄さま、じゃぁこんなのは?」
こうしてひょんなことから始まった執務室を改造する夢想は、段々とその具体性を増し現実を帯びていく。
一方そんな3人の会議に遅ればせながら気が付いたのが、マルクだ。
「3人でキリルお坊ちゃまの机に集まって、一体何をしているんですか?」
集中力を欠いて三人で集まっているなんて珍しい。
咎めるでは無く驚いたような響きだけを持つ言葉に、三人は揃って顔を上げる。
「執務室での、仕事の効率向上について考えていたんだ」
キリルがそう言い、続いて見取り図を使って簡単にその経緯と案を伝える。
更にマリーシアが書いた簡単な図案を見せてまた少し説明し、ついでに話している途中で思い付いた内容を走り書きする。
そうして一連の話を一通り聞いた後、マルクはキリルとマリーシアが書いた『計画用紙』を手に取った。
(なるほど、これは)
最初の内は子供達の『遊び』だと思って聞いていた話だったが、よくよく聞いてみると自分では気付かなかった現状の手間を掬い上げ、上手く計画に落とし込めている。
実際にやってみなければ明確に言う事は出来ないが、この二枚の用紙を見る限りその具体性と利便性は『子供達が作った』という事を抜きにしても十分完成度は高い。
「……確かに私が雑事に割く時間を減らす事が出来れば、その分別の仕事に時間が割けて旦那様の執務を更にお助けする事も出来る様になるでしょう。そして執務に関する旦那様の負担を少しでも減らせれば、それだけ旦那様が楽をする事が出来ます」
やはりと言うべきか、あくまでも主人第一の考え方をする彼に、キリルは思わず苦笑した。
セシリアは「お兄さまの言う通りね」とクスクスと笑い、マリーシアは「それでこそのマルク、という感じもしますが」と困ったように笑う。
そんな面々の中、マルクはやっと紙から視線を上げた。
ニコリと笑いながら三人の顔を端から順に見回し、こう提案する。
「これ、試しに職人に作らせてみましょうか」
旦那様に相談してからになりますが、おそらく許可を出されるでしょう。
そんな風に言葉を続けたマルクは一応と言いながら、キリルとマリーシアの『落書き』達を貰っていった。
マルクが去った後、キリルが困った様に微笑んだ。
「確かに僕達なりに真面目に考えはしたけど、あくまでもあれは僕達の知的欲求の赴くままに作った遊びの産物だったのに」
その言葉を受けてマリーシアが答える。
「私も流石に現実にやろうと彼が言い出すとは思いませんでしたが、それはそれで別に良いのではないですか? マルクだって使えると思ったからこそ持って行ったのでしょうし、お父様のお役に立つというのならそれで」
マルクが持って行ったのだから悪いようにはならないだろう。
そう言ったマリーシアに、セシリアがキョトンとする。
「2人共、本気じゃなかったの?」
その響きは「私は本気だったんだけど」と言っているも同然で。
「「え?」」
「え?」
両者は此処で初めて、互いにそんな短い言葉で互いの意識のズレを共有したのだった。
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