第22話 『犠牲』の意味を知る
ポーラは冷たい目で「つまり」と具体例を示してやる。
「例えば我が領の特産品・柑橘類を、『侯爵領へ定価の半額で卸せ』と要求されたとしましょう。するとどうなるか。まず、それを育てる仕事に就く領民は忽ち皆困窮するでしょう。その日に食べる物さえ、手に入れる事が出来なくなるかもしれません」
『困窮』と言われればどの程度か想像が付き難いが、『その日食べる物さえ手に入れられない』と言われれば流石の『彼』だって想像は付く。
幾らお腹が減っても食べられないのだ、自分がそれに陥った事は無いけれど、ソレが過ぎれば緩やかに死ぬことくらい、『彼』だって知っている。
『彼』は、その死を想像して、青ざめた。
「例えば我が領から出荷される加工前の木材を『半分買い占めさせろ』と要求されたとしましょう。我が領を支える産業の1つに木材加工業があります。加工業は領内で産出される木材を使用して行う為、もしそうなれば加工すべき木材が不足する事は間違いありません」
そうなれば、どうなるか。
『彼』は今度は、自分から想像した。
そしてまた、青ざめる。
「減った材料の分、木工職人の仕事が減ります。その結果職を失った職人は路頭に迷う。勿論無くなる命もあるでしょう」
『彼』の思考の足跡を追う様に、ポーラが言葉を続けた。
しかし『彼』の耳にはもう、その言葉は届いていない。
(一体、それによってどれだけの人間が死ぬのだろう)
正確な人数は分からない。
そもそも領地内にどのくらいの人数が居るのか、『彼』は知らなかった。
でも、きっと。
「そう、少なくとも使用人棟内に住まう人々の数千倍の人民の命に関わる問題です」
『彼』が知る限りの最大人数が、「使用人棟の人達」だった。
それの数千倍。
その規模には全く想像が付かないが、それがとんでもない数だという事は分かる。
(それだけの人数の命を、俺は危険に晒したのか)
『彼』は此処でやっと、自身の犯した罪の大きさをきちんと把握した。
青ざめる『彼』の様子から『彼』の自覚は成ったと判断したポーラは内心で息を吐く。
彼に状況を正しく理解させる為とはいえ、子供に対して少し酷な事を言ったかもしれない。
そう、思わなくも無い。
しかしこれらの例は、実際に過去に侯爵がワルターに言った要求である。
勿論ワルターはその要求を色々な手を使って掻い潜り、その手腕を以て却下して見せたが。
つまりこれらの例は、今回も十分に要求される可能性があったもの達だったのだ。
『彼』は、視線を足元へと落として考える。
自らの起こした事の影響を知った今、確かにセシリアの存在は領地全体を救ったと言ってもいいのかもしれない。
でも。
(そもそも俺があの男にぶつかったのはアイツのせいだ)
そもそもセシリアが生意気な口を利いて来たのが発端だ。
それが無ければそもそもあの場を走りはしなかった。
あの男にもぶつかる事は無かっただろう。
(なのに「私が助けてやった」と思ってるんだ、きっとアイツは)
そう思って、セシリアを睨み付ける。
「……別に「助けてくれ」なんて頼んでない。俺はあそこで死んでも良かったんだ! アイツが勝手にやった事なのに、何で俺がアイツにお礼を言う必要があるんだっ!」
それは親切の押し売りだ。
『彼』は叫ぶ様にそう言って、セシリアへと敵意を向けた。
それらの言動は『彼』の、他人への責任転嫁と強がりの結果だった。
『彼』の言葉に、セシリアは微笑を浮かべた。
(彼はよく分かっている)
そう思ったからだ。
彼の言う通り、事の発端はセシリアだ。
セシリアが最初に立ち回りを間違えた事が、今に繋がっている。
それを少し軌道線上に戻したからと言って、一体何を誇れというのだろう。
ポーラが『彼』の言葉に怒り庇ってくれたその気持ちは、とても嬉しかった。
彼女が告げた言葉は、『彼』が自分のした事の影響を正確に知る為には必要だった。
それをきちんと自覚した『彼』は、今後は同じ轍を踏まない様にと気を付ける事だろう。
そう思っていたからこそ、口を挟まず今まで黙って彼女に任せていた。
彼女は十分に、その役割を果たしてくれた。
だから、もう良い。
そう思って、それをポーラに告げようとした時。
ポーラは言葉を聞く前に彼女の心情を的確に察した。
(何故貴方はそんなにも自分に対しては無頓着なのですかっ!!)
悔しくなって心で叫ぶ。
こんなにも責任感が強く、自分のすべき事には敏感な人なのに。
こんなにも周りの事を考えて、周りの人の為を考える事が出来る人なのに。
何で誰も彼女の事に気が付かないのか。
周りに居るのは皆年端もいかない子供達で、セシリアを取り巻く『事情』を知らない。
それどころか今日初めて会ったばかりの子達が大半だ。
こんな短時間でソレを知る事の方が難しいだろう。
ポーラだって、頭では分かっている。
しかしそれでも悔しいのだ。
悔し過ぎて、悔しさが口の端から漏れる。
「何故貴方は、侯爵家にその身を捧げる様な真似をしたのですか」
「……捧げてなんていないわよ、『話の起点を作ってしまった』というだけで」
彼女の問いに、セシリアは苦笑しながら答えた。
その苦笑は、ポーラが抱いてくれている悔しさや、もどかしさや、悲しさ。
そういったものを全て感じ取ったからこそだった。
しかしポーラも、セシリアの表情から察する事があった。
(――あぁ、やはり貴方は全てを分かっていて『ああ』答えたのか)
この時ポーラが抱いたのは、諦めに似た感情だった。
だって使用人の領分から逸脱した場所に、既に話はシフトしてしまっている。
ポーラが幾らその手を伸ばしたところで、『貴族』間のあれこれをどうにかする事は出来ない。
「一体何の話をしてるんだ……?」
ポツリと問い掛けてきたのは、ゼルゼンだった。
彼は2人の間に流れる空気から、先程ポーラが口にした『セシリアの将来』が、自分が思っている物の幾分も深刻な物なのではないかと感じ取ったのだ。
そんな彼の言葉に促されて、ポーラは自分の知る情報を彼に与える。
「……伯爵様よりも高位の家でも、モンテガーノ侯爵家は最悪の部類なんですよ。何でもかんでも金に物を言わせて無理難題を押し切ったり、権力を笠に着て反抗的な領民を処罰したり。使用人に対する無体も多いと聞きます」
その声は力無い。
しかし同時に「っ! ポーラ!!」というセシリアの続きを静止する声に立ち止まらない位には、強情だった。
「そうでなくとも伯爵様とあの方は仲が悪いのです。あちらに嫁ごうものなら、一体どんなことをされるか」
言われて、ゼルゼンはハッとする。
確かにセシリアは侯爵から嫁云々と言われていた。
しかし今の話を聞けば、行った先でどんな仕打ちを受けるか分からない。
ゼルゼンはポーラの『自分の将来を犠牲にしてでも』という言葉の意味がやっと分かった。
(確かにそれは『犠牲』だ)
少なくともその可能性は大いにある。
賭けに出るにはあまりにも分が悪い。
しかしセシリアは、穏やかな微笑を湛えてこう言った。
「……ポーラがそんなことを気にする必要は無いのよ。多分お父さまが粘ってくれるでしょうし」
それは、自分の言葉や行動に責任を持つ様に教えられ、実際にそうしてきているセシリアにしては、あまりに他人任せすぎる言葉だった。
しかしそれは「自身で抱えきれる範囲を超えた案件である」と彼女自身が自覚しているからこその言葉でもあった。
これに関して結局父の手を少なからず煩わせてしまう事になる。
(後できちんと謝らないと)
セシリアは心中でそう、独り言ちた。
するとここで、またもや攻撃的な言葉が掛けられる。
「どうせそんな噂、知らなかったんだろ。だからあんな風に安請け合いしたんだ! お前の自業自得だ、そんなので俺に恩を着せようとしたって無駄だからなっ!」
ばっかじゃねぇの、ざまぁみろ。
そう言葉を続けた彼に、ポーラは怒りの形相を露わにした。
そんな彼女の気配を感じて、セシリアはスッと彼女の前に手を出し静止の合図を送る。
ポーラは見えない何かに強制されたかの様に、発生すべき言葉を失くした。
怒りに震える拳を握り、唇を噛む。
そうやって彼女が堪えたのを確認してから、セシリアはポーラから『彼』へと視線を向けた。
そして、少し困った様に微笑む。
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