第21話 他の誰かへの影響値

 


 『彼』がハッと我に返った時には、もう既に男はその場から立ち去った後だった。


 結局自分は『不敬罪』に処される事は無い様だ。

 そう思い至ったのは、メイドがセシリアに謝意を告げた時だった。


(つい今まで、死ぬことを覚悟していたのに)


 嬉しいのか、嬉しくないのか。

 安心したのか、していないのか。

 よく分からない。


 自分の命が突然脅かされるという急展開から解放された今、先程まで色々考えていた事が嘘の様に、脳みそはすっかり緩慢になってしまっている。



 考えなくて良くなった『死』に関する思考。

 それらが歯抜けになっていく。


 結果、残る物はというと――。



『彼』は自身の中に渦巻いている感情を思い出した。

 思い出してしまえば、そこからは早かった。


 感情に、転がされる。



 メイドがセシリアにお礼を言い終わるまでは、まだ良かった。

 感情が思考を侵食していく中、『話に割って入る事は良くない事』という昔から受け続けてきた躾が、なけなしの理性によって無自覚的に作用していたから。


 しかしそれが一段落付いてしまったら、『彼』が口を挟む余地が出来てしまう。



 助けてくれた相手に対して言うには、あまりに暴言染みた言葉。

 それが口から突いて出てしまったのは、偏に色々な感情が綯い交ぜになってしまっていたからだろう。


「別に俺はお前に助けてくれなんて頼んでねぇからな!こんな事で何か見返りがあると思うなよっ!!」


 その叫びは、ある種の助けを求める声でもあった。

 すっかり絡まり切ってしまった感情は、とてもじゃないけど『彼』自身では解きほぐせない。


『彼』はその助けを、子供っぽい意地と八つ当たりという方法を以って求めた。



 しかしそれは、彼の甘えだ。

 そしてそれを許すポーラではない。


「っ!! ユン、貴方という人は……!」


 使用人として、使用人の子供が主人に甘える光景など、許容できる筈など無い。


 彼女の怒りは、静かな声で始まった。

 しかしそれは感情を必死に噛み殺していたからで、それも最後の方には本心に従順になっていく。


「セシリアお嬢様が今、『自分の将来を犠牲にしてでも』と貴方の事を守った事が、目の前で見ていて何故分からないのですかっ!!」

「はぁ? 『将来』?」


 彼女の怒号に、『彼』は鼻でフンと笑った。


(何、大げさな事を言ってんだ。そんな大層なもんじゃなかっただろ、さっきのは。……まぁ、確かに俺を庇ってくれたのかもしれないけど)


 セシリアのあの言葉は庇われた事を快く思っていない『彼』自身でさえ、その事実を否定出来ないほどに劇的なタイミングで発せられたものだった。

 しかし例え彼女にそういう気持ちがあったとしても、実際にしたのは彼に挨拶をして二言三言言葉を交わしただけである。


 一体それの、どこが『将来』を犠牲にした行動だったというのか。



『彼』のその言動は、ポーラの神経を更に逆撫でする結果となった。


(お嬢様のあの場での咄嗟の判断と勇気を、何も知らない癖に!!)


 反論の言葉は山ほどある。

 言い返してやろうと大きく息を吸い、しかし吐き出す前に思い留まった。


(……落ち着け、私。私はセシリアお嬢様付きのメイド、私が取り乱せばセシリアお嬢様が恥を掻く。例えこの場の者達以外は誰も見ていなくても、それは自分に許してはならない事だ)


 荒れ狂う感情を、彼女はどうにか押し留めた。


 彼女があの場で一体何をしたのか。

 出来るだけ取り乱さずに、且つ『彼』にもきちんと分かる様に教えてやらねばならない。

 それを知る権利も義務も、あの小さな背中に庇われた彼にはあるのだから。


「……『侯爵』というのは旦那様方『伯爵』家の上位の爵位に当たります。この国に『侯爵』家は3つしかありません。その上には臣籍降下された前王弟陛下の公爵家が1つだけ。つまり先程の方はこの国で上位4家に位置する、貴族の中でも権力の強い家の御当主です」


 感情を抑えようとするあまり、ポーラの顔は無意識の内に能面の様になっていた。

 しかしそれでも、彼女はきちんと説明役を全うしようとしている。


「侯爵と旦那様との折り合いは学生の頃から悪く、あちらは我が領地に対して時折嫌がらせをしてきます。基本的には爵位が下の者は上の者に逆らう事が出来ません。明確な不正などの証拠があれば話は違うでしょうが、残念ながらそういう尻尾を出すような方では無い。その為、旦那様は嫌がらせをされる度にどうにかその要求を躱してきました」


 彼女の説明を、『彼』は「何か意味の分からない事を話し始めた」と言いたげな表情で聞いていた。

 しかし此処まで聞くと、途端に面倒そうな表情になる。


「だから何なんだよ」


 侯爵と『旦那様』との確執は、2人の問題だ。

 俺には関係ない事じゃないか。


 そう言った彼に、しかしポーラは「違う」と答える。


「治安維持、産業、ライフライン。そういった、現在の領民にとって必要不可欠なものが侯爵の攻撃対象です。その為旦那様が彼からの嫌がらせを躱すのに失敗した場合、受けた被害は直接的に、領民達にも降り注ぎます」

「それをどうにかするのが『貴族』の役目だろっ!『貴族』は『貴族』の仕事をしろよ」


『彼』は睨み上げながら、そう吐き捨てた。


(『貴族』は他の人達よりもずっと自由で恵まれているんだから、それに釣り合う苦労をするべきだ)


 そう思っているからこそ、彼女の「相手からの領地に対する嫌がらせに日々苦心している」という言葉にも「それがお前の仕事なんだからやれよ」と思ってしまう。


 しかしそれも、自分が貴族同士の攻防に関係無いと思っているからに他ならない。


「貴方の言うその『貴族』の仕事をもう少しの所で邪魔する所だったのが、今の貴方です!!」


 ピシャリと言ったポーラの声に、『彼』は驚きで思わず押し黙った。


(俺が、邪魔をしてる?)


 どういう意味だ。

 そう問う前に、彼女が答えをくれる。


「もしも貴方に『不敬罪』が適用されていたら貴方が死罪になるのは勿論ですが、影響はそれに留まりません。おそらくあの方の事です、旦那様に『お前の使用人に粗相をされた』という貸しをチラつかせて、何らかの形で謝罪を求めたことでしょう」


 あの方は、そういう方ですから。

 ポーラは言葉尻に怒りを滲ませながらそう言った。


 そこには過去にも何かがあったのだろうか、積年の感情が混ざっている。


「そうでなくとも爵位はあの方の方が上なのです。更に『使用人に粗相をさせた』借りがあっては、流石の旦那様も今回ばかりは彼の要求を呑む他無かったでしょう」


 これらは全て、ポーラがあの方の過去の無理難題と主人達の性質を良く知っているからこそ辿り着けた未来予想だった。


 彼女はセシリアが生まれてから以降はセシリア付きのメイドになったが、それまではクレアリンゼ付きだった。

 彼女がたまに零す愚痴の話し相手になっていたのだ。


 侯爵が度々何か困り事を持ち込んでいる様だという事は、それなりの数のメイドや執事の知る所だ。

 しかし彼女の様に此処までその内情を知っているのは、彼女の他にはおそらく筆頭執事であるマルクと現クレアリンゼ付きのメイド位のものだろう。



 一方、此処までのポーラの話を聞いても、『彼』は自分のした事の大きさに、『侯爵の要求を呑む事で領民達が被る影響』に、全くピンと来ていなかった。

 だからこの後言われた言葉にも、大した感慨は抱かない。


「つまり、貴方は『あの方にぶつかる』という粗相のせいで、貴方自身の命だけではなく領民達の生活さえも脅かした事になるのですよ」


 ポーラは感情を押し殺した声で告げ、『彼』を見据えた。

『彼』の表情を観察し、そして落胆する。


(この子は、事の重大さを理解できていない)


 しかし落胆してばかりはいられない。

 分かっていないならば、きちんと分からせなければならない。

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