第21話 家族の時間が取れなくても、やはり血は争えない

 


 持ってきていた算数の問題を切りの良い所まで終わらせると、セシリアはフゥッと小さく一息ついた。


 時計を見ると、時間は午後2時40分。

 此処での勉強を始めてから約40分の時間が過ぎていた。



 思っていたよりも早く問題を解き進められている事に少し嬉しくなる。


 それが執務室に流れる『集中して物事をこなす空気』のお陰である事には、セシリアは気付けなかった。

 しかしこれが、その一端である『皆が頑張っているから自分もそれに引きずられた結果』なのではないかという事には、なんとなくだが気付いている。



 その筆頭を行くのは、明らかに父・ワルターのソレだろう。

 セシリアは、そんなワルターの様子を眺めながら考える。




 お父様の集中力は凄い。

 まるで目の前の書類に神経を一点集中するかの様に、内容を読み込み、処理をし、また次の書類に手を伸ばす。

 エンドレスなその作業の合間に彼が集中を切らす様子は、全く無い。


(凄いなぁ)


 月並みな感想を抱きながら淀み無い父の書類捌きを観察していると、丁度マルクが手の止まっているセシリアに気が付いた。


「どうされました?セシリアお嬢様」


 室内の集中を壊さない程度の小声で言いながら、マルクが優しく微笑んでくれる。

 そんな微笑みに促される様に口を開いた。


「お父さまのしてるお仕事は、ぜんぶ同じ感じの、内容なの?」


 セシリアがそう言いながら自分の手元をチラリと見た事を、マルクは見逃さない。


(ふむ。どうやらセシリアお嬢様は、旦那様が捌いている書類が『全部同系統の事案に関する資料なのか』と聞きたい様です。『同じ感じ』という言葉を、おそらく「算数で言う足し算と引き算がランダムに出てくる様な問題集ではなく、足し算だけの問題集を解き続けている」というイメージで使っているのでしょうね)


 そんな風に当たりを付けてから、マルクは彼女の言葉に答える。


「いいえ、旦那様の処理されている書類には、色々な事案の物がランダムに混ざっています。旦那様は新しい書類を取る度に頭を切り替えて、お仕事をされているのですよ」

「それなのにお父さまはずっと集中してお仕事をしているのね。凄い」


「私には出来ない」、そう言いたげな表情で言うセシリアに、マルクは「大丈夫ですよ」と答える。


「旦那様も最初から出来た訳ではありません。旦那様は沢山の努力と経験を蓄積して、今の旦那様になったのです。セシリアお嬢様もこれから沢山頑張れば、やがて旦那様の様になれるでしょう」

「ほんとう?」

「本当です」


 マルクに太鼓判を押してもらえれば安心だ。

 そう思って、セシリアは嬉しそうに微笑んだ。


 お陰で勉強へ向かうやる気も回復した様で、一度自分に気合を入れるかのように両手を握って「よしっ」と呟く様に喝を入れた。

 そして再び自分の机に向かい始める。


(4歳児で40分も集中して勉強をしていられるというのは、十分称賛に値する事だと思うのですが)


「もっと頑張ろう」と言わんばかりのセシリアの行動に、マルクは思わず苦笑する。


 しかし「彼女も『オルトガン伯爵家』の血縁者だ」と思えばそう驚く事でも無いのかもしれない等と思いながら、彼女の両脇に座る子供達の様子に目を向ける。



 セシリアの左右に陣取る彼女の兄姉も、年齢を考えると十分集中力を持続できている方だと思う。

 すぐ隣でされていたマルクとセシリアの会話にも全く気が付いていない様子の彼らは、ただ真っすぐに机へと視線を落とし、筆記用具を動かしている。


 この分ならまだまだ余裕で集中力を保っていられるだろう。




(現当主・ワルターが子供の時も、こんな感じだった)


 マルクはそんな風に、ワルターの幼い頃を振り返る。


 ワルターよりも4歳程年上であるマルクは彼が幼い頃から彼に仕えて来た者の内の一人である。

 彼の集中力と頑張りを誰よりも一番近くで見てきたのだから間違いない。


 例えば他の家の者がこの風景を見たら、さぞかし驚いた事だろう。

 しかしこの家に於いてこの光景は、昔から続く十分常識的な光景である。



 対して他家から嫁いできたクレアリンゼにとっては、この光景は驚くべき物に映ったようだった。


(様子を見にいらっしゃったのでしょうか)


 何の気なしに出入り口へと視線を向けたマルクは、少しだけ開いた扉の隙間からまるでへばり付く様にしてこちらを見ている視線に気が付いた。



「おや」と思うが、クレアリンゼはこちらが気付いた事には気が付いていない様である。


 執務室を訪れた彼女はノックする事も無く、皆が机に向かう様子をただただ眺めている様だった。



 彼らが、『オルトガン伯爵家』の血筋の者達が、元来集中力の高い者達ばかりだという事を、クレアリンゼはワルターに聞かされて知っていた。

 ワルターの執務風景は何度も見た事があるし、子供達の勉強風景だってチラリとなら通り掛かりに見たことが何回かある。


 しかし彼らが揃った状態で見ると、それはまた異質な物としてその目に映ったようだった。



 集中し没頭し、身じろぎ一つしない彼ら。

 皆一様にただ机上の一点に意識を集中させているのが、見ているだけでも良く分かる。


 そんな風に、皆一様に何かに没頭する親子の光景を、彼女は「まぁ」と驚きの表情で見ていた。




 そんな彼女が、不意にマルクの視線に気が付いた。

 マルクと目が合うと、クレアリンゼは途端に悪戯がバレた子供の様な表情を浮かべる。


 そして覗く為に扉にへばり付いていた体を起こし、コホンと1つ小さく咳払いをした。


 こうして気を取り直し、元々の予定である『初めての執務室での勉強会の様子を覗きに来る』という、母として、妻としての大切なミッションを開始する事にする。




 コンコンコン。

「今来たところですよ」と言いたげなすまし顔で、クレアリンゼが扉をノックした。

 そしてワルターの「入れ」という号令を聞いてから扉を開ける。



 入ってくる人の気配に合わせて、書類に向かっていたワルターが来訪者の正体を確認する為に顔を上げた。

 そしていつもと変わらずほのほのと微笑む彼女の姿を見止めて、「クレアリンゼ」と呟く。


「どうしたのか」と言いたげなワルターの声に、子供達の集中がパチンと、まるでシャボン玉が弾けるかの様に一度途切れた。


「お母さま?」と顔を上げる3人の子供達。

 その表情を見て、クレアリンゼは思わず微笑まし気に笑ってしまう。



 子供達3人は3人が3人共、筆記用具を持った手を机に乗せたまま、顔だけを上げて「どうしたの?」という表情を作っていた。

 その格好も表情も、ワルターのソレに酷くそっくりである。



 やはり『オルトガン伯爵家』の血は争えない。

 瓜四つな彼らの挙動に、クレアリンゼは可笑しそうにクスクスと笑いながら「ちょっと様子を見に来ただけよ」と答えたのだった。

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