第14話 『おべんきょう』ツアー -執務室、突撃編-
昼食後、セシリアはポーラにとある宣言をしていた。
「今日はお父さまの執務室に、突撃しようと思うの!」
そんなお嬢様の電撃発表に、ポーラは珍しくうろたえた。
「セシリアお嬢様、そうは言われましても……ご主人様はお仕事中なのです、突撃なんてしたらお邪魔になってしまうかもしれません。せめて確認を取り許可が出るまではお待ちください」
すぐに確認してきますので、と慌てて言ったポーラに、セシリアはチッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を立てて左右に揺らす。
「もうちゃんとマルクに許可は取ったの。お父さまにはナイショだけどね」
得意げにそう言うと、「だから良いよね?」とセシリアはポーラに目で訴えた。
その返しに、ポーラは少し驚いた表情を浮かべる。
「お嬢様、いったいいつの間に……」
「朝食をとったときにマルクがたまたま廊下を通ったから、聞いてみたの」
大きく胸を張ってそう答えると、ポーラは呆れ半分、納得半分の表情を浮かべる。
食事中のセシリアの給仕は、主人達の傍付きメイドではない。
給仕用に別のメイドや執事が付いているのだ。
その為ポーラは、食事中は基本的に食事の場には居合わせない。
いつも主人達に付いている必要があるポーラ達は、主人が食事を取る時間に合わせて別室で食事を摂り休憩するのである。
だからその際に食事の場で何かがあったとしても、報告でもされない限り知りようがない。
「分かりました、それでは行きましょう」
セシリアの気合いの入り様に「どうやら説得は無理そうだ」と諦めて、ポーラはため息を吐く。
(マルクさんの許可が取れているなら、まぁ大丈夫だろう)
心中で尤もらしい言い訳も付けながら了承すれば、セシリアはご機嫌で頷いたのだった。
セシリアの部屋から執務室へ歩き出して、少し経った頃。
ポーラはその申し出があった時から気になっていた事を、道すがらセシリアに尋ねてみる事にした。
「しかし、何故そんなに執務室に行きたいのですか?」
セシリアが抱いている、執務室に対する執着。
その大きさは、彼女の弾んだ電撃発表の声色からも根回しの周到さからも容易に分かる。
執務室は基本的に大人の世界だ。
必要が無ければ話したりはしないし、話したとしても例えば領地経営などについてである。
少なくともそれらの会話にセシリアが入っていく余地は無い。
(その事は今までの何度もクレアリンゼ様から執務についての話を聞いていて知っている筈だし。まさかその部分だけ都合よく忘れている筈もないしね)
そう、ポーラは半ば確信ありげに独り言ちる。
彼女はその事を知っていて、それでも執務室に行きたいと言っている。
しかしでは何故そんな、子供にとっては退屈なだけの場所に行きたいのか。
その理由が、ポーラには分からない。
ポーラの声に、セシリアはちょっといじけたような表情になって数秒間、考える。
そしてポツリとこう、溢した。
「だって……キリルお兄さまは、執務室に何回も、行ったことがあるって。キリルお兄さまだけ、なんかズルい」
そのセシリアの答えに、ポーラはやっと「あぁなるほど」と納得した。
キリルは父の話になると、「僕はたまに父の執務室を覗かせてもらうんだけど――」という話を、良くセシリアにするのだ。
それは、キリルにとっては純然たる『お父様凄い』話だった。
しかし父とのそういう繋がりを持たないセシリアからすると、おそらくソレは自慢のようにしか聞こえなかったのだろう。
やっとセシリアが執務室へと出向こうとした理由が分かった所で、丁度2人は執務室の前へと差し掛かった。
「セシリアお嬢様、この扉ですよ」
ポーラにそう言われて、その扉の前で立ち止まった。
フゥッと一度、深く息を吐く。
その様子からは、どうやら彼女は初めての執務室に少し緊張している様子が窺えた。
しかしそれに反して、好奇心を隠さないペリドットの瞳が爛々と輝いている。
その緊張も、好奇心の裏返しなのだろう。
おそらくこれについては心配する必要は無い。
(思考には大人びた部分もあるのに、やっぱりこういう所は年相応なのよね)
彼女の背中越しにポーラが心中で苦笑するが、その様子に気付く余裕は、残念ながら今のセシリアには無い。
セシリアは小さな声で「よしっ」と自身に気合を入れてから、執務室の扉をノックした。
コンコンコン。
少し弱く、間延びしたノック音。
それから約2秒後、ゆっくりとその扉が開いた。
「ようこそセシリアお嬢様、さぁ、お入りください」
そう言って扉を開けたのは、父親の執事・マルクだった。
彼はセシリアを見止めるとすぐにニコリと微笑んで、彼女を室内へと招き入れる。
マルクに促されて、セシリアは一歩、室内に足を踏み出した。
本棚で埋められた壁と、そこに敷き詰められるようにして並んだ沢山の本達。
部屋の奥には大きな窓を背にする形で執務机が設置されており、その上には沢山の紙が雑多に積み上がっている。
机の上がソレでほぼ埋まっているその景色は、見るからにこの部屋の主が忙しいのだという事実を物語っていた。
「……どうしたのだ、セシリア」
そう言ったのは、執務机の前に座るセシリアの父。
オルトガン伯爵家当主、ワルター・オルトガンその人だった。
彼は執務の手を止めて、面食らった様な顔でそう告げた。
対してセシリアはそんな父の問いに、まるで悪戯が成功した時の子供の様に無邪気にはにかむ。
「『おべんきょう』ツアーです。今日の朝マルクにここに来る許可をもらったので、さっそく来ました!」
高らかにそう言ったセシリアを、父は追い返すことはしなかった。
(此処にジッとして居てもつまらないだろうに)
そんな風に思うものの、そもそも我が子が此処に来る事をワルターが拒否する必要も無い。
寧ろ、ちょっと嬉しい。
「……そうか。まぁ取り敢えずそこの椅子にでも座りなさい。執務の邪魔をしなければ居てもよろしい」
そう言いながら彼が指を差した椅子に、セシリアは一直線に歩いていく。
そしてポーラに一部手助けをされながら、「よいしょ」と小さな声を立ててそこに座った。
その間、ワルターは自分からセシリアの視線が外れた隙を突いてマルクを一睨みする。
セシリアが此処を訪れるのは良い。
それどころか事前にアポを取る等、此方側に対して行った配慮については「その年にしてよくぞ気付いた」と褒めてやりたいくらいである。
しかし。
(セシリアが此処を訪れる予定だった事を明らかに知っている様子なのに私にその事を報告しないなど、一体どういうつもりなのか)
視線にそんな心中を乗せて見遣れば、マルクがすました顔でこう言った。
「お嬢様との間に『当主様にはご内密に』というお約束がございましたので」
その言葉に、ワルターの片眉がピクリと上がる。
(……コイツ、絶対に面白がっているな)
心中でそんな言葉を呟きながら、ワルターは思わず苦々し気な顔を作った。
一方。
そんな大人2人の静かな攻防に全く気が付かないセシリアは、指定された椅子にきちんと座ると父の方へと向き直った。
「ここで静かにしているので、お父さまはお仕事、頑張ってください!」
「……あぁ、そうか。分かった」
何に対してか分からない意気込みと共に、セシリアがそう言ってきた。
その勢いに押されながら、ワルターは仕事を再開する。
最初の内はセシリアの様子が気になったものの、その言葉通り大人しくしているセシリアと、確認している書類にのめり込む内に、どうやら仕事スイッチが上手く入った様である。
ワルターはいつの間にか、いつもの様に自分の作業に没頭していったのだった。
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