第11話 『おべんきょう』ツアー -人間関係、出会い編-
「セシリアお嬢様、本日の『おべんきょう』ですが、お庭に行ってみませんか?」
机上での勉強が一段落付いた頃、ポーラにそんなことを言われたセシリアは思わず首を傾げた。
庭というと、セシリアにとっては馴染のある場所だ。
小さな頃から兄姉と共に走り回り、花を愛で、芝生に寝転んで日向ぼっこをして過ごした。
兄姉が何かと忙しくなってきた最近では、お散歩と称してポーラと二人、良く散策している場所である。
だからこそ、『おべんきょう』するまでも無いと思ったのだ。
「お庭のことは、よく知ってるよ?」
そう問い掛けられて、しかしポーラは「そうでは無いのです」と首を左右に振って見せた。
「実は今日、庭師のノルドの息子が伯爵家のお庭に初めて顔を出すんです。セシリアお嬢様とは年も近いですし、お会いしてみるのはどうかと思いまして」
「ノルドの息子?」
「はい。知らない方と交流する経験も『おべんきょう』になるかと思いますよ」
庭についての『おべんきょう』では無く、そこに来る人間との交流が今日の『おべんきょう』の主旨である。
ポーラがそう説明すると、セシリアは少しの間考える様子を見せた。
今まで家族以外で同年代の子供に会った経験という物が、セシリアには未だただの一度も無い。
伯爵家の令嬢であるセシリアの行動範囲は基本的に邸内とそれに隣接する庭に限られているし、ピクニック等でたまに邸外に出る時だって彼女の周りに外部の人間が近付かない様に、常に警備が付いている。
そんな中での彼女にとっての例外は使用人だけだが、それだって彼女にとっては無いに等しい。
何故なら邸内で働く子供達の年齢は大体が8歳以上であり、セシリアと同年代と呼ぶにはギリギリの年齢である。
そしてその数は必然的に少なくなるので、遭遇率は限りなく低い。
その上『おべんきょう』を始めるつい最近まで邸内でも更に生活空間が限られていたセシリアは、行動範囲も更に狭い。
それらの要因が合わさって、結果的にセシリアが同年代の子供に会う機会は、今まで一度も無かったのだった。
因みに使用人達は、その殆どが伯爵家の敷地内に在る使用人棟に部屋を与えられ、まだ未就業の子供共々そこに住まう事を伯爵から許されている。
その為その棟内にはセシリアと同年代の子供達も何人か居るのだが、そんな所まで伯爵令嬢であるセシリアが足を運ぶ事は通常有り得ない。
セシリアの両親が他家の人間を屋敷に子供同伴で招いたならば、そのような機会もあっただろう。
しかしオルトガン伯爵家では、子供達は『とある理由』で社交界デビューを果たすまでの間他家人間とは関わりを持たせないという掟がある。
その為、その機会がこの年代のセシリアに訪れる事は必然的に無い。
実は今回の交流についても、今日に至るまでにはそれなりに時間が掛かった。
クレアリンゼが自ら使用人達にヒアリングをし、『適した人間』を慎重に選出していたからである。
そうして互いの顔合わせの御膳立てが整えられての今日であり、ポーラはクレアリンゼからの指示で彼女を『彼』の居場所に誘導する役目を担っている、という訳だ。
しかしそんな事など、セシリアは一ミリだって知らなかった。
だからただ単純に、ポーラの言う「他人との交流という『おべんきょう』」の提案に一定のメリットを見出して、コクリと頷いたのだった。
***
セシリアは、ポーラを連れて庭へと向かった。
すると丁度館から庭に出た所で2人分の人影を見つける。
セシリアの来訪に気が付いて、影の内の1つがぺこりと頭を下げてきた。
セシリアも良く知る人間・庭師のノルドという男である。
日々、彼とは何かと話をする。
最近では先日姉・マリーシアに花のお土産をする際に花の摘み取りに協力してくれた事が記憶に新しいが、その他にも彼は庭師だけあって木々や花について物知りなので、植えられている花や木々の名前やそれに連なるあれこれを度々教えてくれたりするのだ。
セシリアの好奇心に答えをくれる相手なんてあまり居ないので、セシリアは彼の事が大好きだった。
「ノルドっ!」
「セシリアお嬢様、こんにちは」
「こんにちは!最近はとくに、花壇が綺麗でステキね!楽しい気分になるねって、マリーお姉さまと言っていたの」
「春ですからね。この時期の花壇は特に目の保養になるので、私も好きです」
木漏れ日の様な暖かな微笑みで、ノルドが迎えてくれた。
そんな彼に笑顔を返しながら応じていると、ふと他者の視線を感じた。
視線の主を確認しようとして、此処で初めて彼の隣に立っている男の子に興味が向いた。
そんな心の機微を敏感に感じ取ったのだろうか、ノルドがその背中を軽く押して、彼を自分よりも少し前へと押し出す。
「この子は私の息子で、ゼルゼンと言います」
紹介された少年は、セシリアよりも背が高い焦げ茶色の髪と瞳を持つ子供だった。
彼をほんの少し観察して、すぐに思わずキョトンとした表情を浮かべた。
そして首を傾げて「どうしたのだろう?」と考える。
というのも、彼はセシリアの目には何故か、酷く――機嫌が悪そうに見えたのだった。
決して『恨み』や『嫌悪』といった激しい感情ではないが、少なくとも『苛立ち』や『面倒臭さ』はありそうな感じ。
瞳の奥に燻る感情をそう称して、「ふむ」と考える素振りを見せる。
セシリアがキョトンとしたのは、それらの感情が何を隠そうセシリア自身に対して向けられていると気付いたからである。
セシリアは、今まで他人から大凡負の感情という物を向けられた事が無かった。
だから彼女にとっては戸惑うべき初めての状況であり、同時に彼がそんな表情をこちらに向けてくる理由も思いつかないのだから、一層疑問は深まるばかりだ。
「セシリアお嬢様、よろしければ仲良くしてやってください。よろしくお願いします」
朗らかな微笑み交じりで言った、ノルド。
――お願いされた。
いつも面倒を見てもらう立場のセシリアに掛けられた、初めての『誰かを任せる』という意味での言葉。
それは、セシリアの心にある種の使命感を芽生えさせるには十分な言葉だった。
しかしそう言われても、こんな相手に一体どう対応すれば良いか分からない。
そんな彼女の脳裏に、ふと兄と姉の姿が浮かんだ。
続いて母の、こんな言葉が思い出される。
「キリル、マリーシア、セシリアを見てあげていて、よろしくね」
兄姉と遊びに行く時に決まり文句の様に母が良く言う、その言葉。
先程のノルドの言葉が、セシリアの中のその記憶と被る。
セシリアはゼルゼンと紹介された少年の所に歩み出ると、彼にニコッと微笑み掛けた。
お手本は、いつも自分にそうしてくれる兄や姉だ。
いつも2人がそうしてくれるように、安心させる様な優し気な笑みを浮かべて。
「行こう、ゼルゼン」
彼の手をギュッと握ると、早々にその手を引っ張って彼を先導し始めた。
驚きの表情を浮かべる彼を視界の端に収めながら、しかしその事は大して気に留めない。
ズンズンと進んでいくセシリア。
そしてそれに引っ張られる少年。
そして少し慌てた様子でノルドに黙礼して、2人の後を追いかけるポーラ。
その場に残されたノルドはたった一人、三人の後ろ姿を少し心配そうに見送ったのだった。
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