才能の在り処~落ちこぼれ音大生の僕が、いかにして楽器屋の店長になったか

譜楽士

1・楽器屋の休日

 職場の子に誘われてやってきた店は、知る人ぞ知るという感じの細い道の先にあった。


「てーんちょ! ここです! ここ!」


 車が通るのもやっとという道路を抜けて、目的の場所に着き合戦場有里かっせんばゆうりがはしゃぐ。

 今日は彼女たっての願いで、僕は同行していた。なんでもこの辺鄙なところにある店は、ネットではとても有名で遠くからわざわざ足を運ぶ人もいるほどらしい。


 アフタヌーンティーが売りで、焼き立てのスコーンが絶品だからどうとかって――そんなことを力説していた合戦場さんのことを思い出す。彼女はいつもハイテンションで、それは店にいるときもオフの日も変わらないようだ。

 初めて会ったときから、ずっとそうだった。だから採用したんだけれども――と、僕こと都賀雅人つがまさとは合戦場さんの指差した店を見上げる。


 イギリス式のティーセットが売りというだけあって、その店は木造の古風な、ヨーロッパ建築を思わせる造りをしている。

 周囲にはイングリッシュガーデンがあり、緑の蔦が優雅な曲線を作っていた。季節的にはまだ寂しいけれど、きっと時期が来ればそこは立派なバラの花が咲くのだろう。まさに秘密の花園といった感じだ。


 いい雰囲気を演出している――と心のどこかで思ってしまうのは、僕がとある店の経営者だからだろう。

 家業を継ぐと決めてから、そういった視点は僕の中に染みついてしまった。


 それを後悔はしていない。

 都賀楽器店、店主・都賀雅人――それが僕の今の肩書きだ。


 まあ後悔はしていないとかカッコイイことを言いつつも、今の僕は絶賛過労状態、働き過ぎで疲労困憊なわけだけれども。

 そんな僕をねぎらうため、合戦場さんはこういった機会を用意してくれたのだ。下種な勘繰りをしてしまうと、行きたい店があるけどひとりで行くのが嫌だから、ついて来てもらった――という考え方もできるのだけど。

 それでも、自分では絶対こういう店になんて行かないのだ。たまには洒落た感じを楽しむのも悪くない。


 慰労会を用意してくれた合戦場さんに感謝しながら、僕は店の中に入った。

 身体はヘロヘロで足取りは重いけれど、店の奥から漂ってくる香りに頬が緩む。焼き立てスコーンが売りだという話のとおり、今まさに客に出すものを仕立てているのだろう。そういったプロ意識は好きだ。好感が持てる。


「いい店でしょてんちょー! おしゃれで素敵!」


 店員さんに案内してもらって、席に着くと合戦場さんは相変わらずのテンションで言った。

 彼女は僕の店の従業員であり、職場ではいつもこんな感じである。店では制服代わりのエプロンに白いブラウスといういで立ちだけど、今日ばかりはオフだからだろう。フレアスカートなんて穿いていた。普段まとめている髪が、今は下ろされて彼女が動くに従い揺れている。


 そういえばこの子、わざわざ時間を予約したとか言ってたっけか――スコーンの焼き上がりのタイミングがあるからどうとかこうとか。

 疲れ切った頭は上手く回ってくれないけれど、テーブルに『予約席』と書かれた札があったことからそれは明らかだ。僕は従業員に恵まれている――若干その勢いに、引きずられている点を除けば。

 看板娘を探していたとき、偶然にも彼女がやってきてくれてよかった。やっぱり店に入ったとき元気で明るい接客をしてくれる子は良い。あと名前の縁起がいい。採用の理由はその二点だ。


 注文をすると、ちゃんと覆いの掛けられたティーポットが運ばれてきた。

 数分待って、中身を注ぐ。

 花の意匠がほどこされたカップを、口につければ――思わずほっとひと息つけるくらいの温かさがしみ込んでくるのが分かった。


「……美味しい」


 なんていうか、普段いかに自分が乱暴に過ごしているかがよく分かるな、こういうところに来ると……。

 ティーパックを雑に湯にぶち込んで、苦味しかない紅茶を飲んでいるのが申し訳なくなってくる……。

 楽器だけでなく、もう少し自分のことも丁寧に扱った方がいいのかもしれない。そんなことを考えていると、正面に座る合戦場さんがうんうんとうなずいてくる。


「その様子だと気に入ってくれたみたいですね、てんちょー。楽器の油にばっかりまみれてないで、たまにはこういうとこ来た方がいいですよ?」

「ああ……確かにいいね。品がある。癒される。忘れていた大切なものを思い出すね……」


 わりとしんどかったところを丁寧にほぐされたので、思わずそんな本音が出てきた。

 でもまあ、職場でもないしそこまで肩肘を張る必要はないのだろう。今日は完全なるオフ。店は定休日で、残してきた仕事もない。だったら久しぶりに自分が楽器屋であることを忘れてもいい。


 自営業者に、ある意味で休みはない。だからわりと無理やりにでも休息を取る必要がある。

 頭の切り替えは昔から苦手だが、今日はいったんリセットしてぼんやりすることができそうだ。アールグレイの紅茶は、癖が強いけれどその分余計な思考を全部洗い流してくれた。


 今だけはただの客になって、職場の友人と穏やかに過ごして構わないのだ。

 焼き立てのスコーンを食べながら、他愛もないおしゃべりをする――


「そういえばてんちょー。なんでてんちょーは、楽器屋を継ぐことにしたんですか?」

「……いきなりとんでもない話題を振ってくるね、きみは」


 なんて、油断をしていたら年下の女の子が爆弾を投げ込んできた。

 その話題は僕にとって、口にするのになかなかの覚悟が必要なものだった。なにせ挫折を――恥の多い人生を送ってきた中でも、それはひと際のものだったから。

 かなり突っ込んだことを前に近くの学校の部長さんに話したけれど、彼にもここまでは言っていない。

 都賀雅人はなぜプロのトロンボーン奏者になることを諦め、プロのリペアマンになったのか。

 そんな経緯、これからだっていう若者に言いたくないだろう?


「だーって、気になるんですもん。静和しずわさんは教えてくれないし、てんちょーはいつも忙しそうだから訊けないし」

「……もしかして、それを訊くために今日僕のことを呼び出したの?」


 だとしたらこんな恐ろしい職場の部下はいない。

 上司の触れられたくない過去を休みの日に聞き出そうとするなんて、なんて子だろう……半眼で合戦場さんのことを見ると、しかし彼女はぷうぅっと頬を膨らませた。


「違いますよー。普通にてんちょーと美味しいお茶を飲みに来たんです。だから、せっかくだしお店では話せないことを話せればと思って」

「そのノリのわりに、なかなかハードな話なんだけどね、これ……」


 年のわりに子どもっぽい反応をする彼女に、呆れてそう返す。好奇心は猫を殺す――というけれど、軽い感じで語るにはいささかこの話題は重すぎる。

 鈍器で殴り殺されるくらいの覚悟は、してほしいもんだ。そう忠告すると、しかし彼女は「それでもいいです」と言ってきた。

 これは意外だ。


「んー……。まあ、こんな素敵なお店を紹介してくれたお礼かな。聞きたいって言うんだったら話してあげてもいいよ」


 嫌味くさい口調になったのは、僕の性根がひん曲がってるからかな。

 けど、それでも話す気になったのは合戦場さんの人徳のなせるわざかもしれない。口ぶりはアレだったが彼女の目は至って真剣で、これなら真実を明らかにしてもいいかなという気になれる。


 綺麗に手入れされた庭と、丁寧に淹れられたお茶のおかげで、僕の心は少し落ち着いてきた。


 だったら、話してみよう。

 休みの日、心の整理も兼ねて――この秘密の花園で、『楽器屋ではなかった頃の僕』のことを。

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