第7話 吐息
あーあーあーあー。あー。あーーー。
頭の中で鳴っている声を喉から出すことができずに
嵐は何度も吐いた。
あ――あ、あー。
床に転がり、絨毯に右手をこすり付けて、叩き付けて、そのまま抱え込んだ。
心臓、心臓の音。
寒い。寒い。寒い。
動いてる?
動いている?
生きている?
胸に押しつけた腕に、激しい鼓動が伝わる。何度も何度も床を叩き、やがて嵐はやっと、自分の首をつかんでいた左手をはずした。詰めていた息をぜいぜいと吐き出す。
生きている?
生きている?
「いるわ」
怒鳴ったつもりの声が、細い。
ごろりと転がって、嵐は動きを止めた。
暗闇。
一つ目。
お化け。
玄関の覗き窓から入る一点の光。
星の瞬きよりも不気味な。
床から見上げたそれは、幼いころの印象だった。
生きてる。
生きてる。
嵐は自分の両手を光にかざした。
ぶるぶると震える手。骨張った指。
――ある。
消える。
小さな不安か予感のようなものが胸の奥から染み出してくる。
消えてなくなる。
私そのうち、消えてなくなる。
吐いたもので汚れた床を玄関まで目でたどる。
それがどれだけ異様な光景か、想像して嵐はながく息をついた。肺の中の空気を絞り出すように、はきつづけた。余韻で混乱する思考で、正常との距離を測る。
「――とても!」
おかしいと思った。
「隠さなきゃ」
ぼんやりと嵐はつぶやいた。隠しおおさなきゃ。こんな、こんな。
(どこもおかしくないのに)
当然の帰結。こうなったのは。
「でも、おかしいのよ」
嵐ではない人にとっては想像することは難い。想像しなくっても生きていけるから。
「する必要ないもの」
伝える必要もなかったの?
本当に?
「言おうとしたのよ……でもうまく言えなかった」
しん、とした。
なにもかえってこなかった。
声が静かになると、無が溢れ出したようで怖かった。
嵐はゆるりと立ち上がって、窓辺に寄った。
赤い線に瞳を寄せ、夕日に染まる景色を焼き付けるように。
上塗りされた赤い世界。染み出す残像。
嵐は口を開けた。
喉から息が漏れる。
背骨が痛む。
喉が動く。
「――――」
叫びは、吐き気に遮られた。
口を押さえて嵐はガラスに額を押し付けた。
「つめたい」
かすれた喉で言う。振動は、痛みつづける背骨に降りる。
「教えてよ」
ガラスに映った自分の口元に嵐はつぶやいた。
「なんていいたいの?」
「どうしたいの?」
「どうしてなの?」
すっと日の光がひいていく気配がする。
青い部屋にまた、嵐は取り残された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます