赤い線

深川 夕陽

第1話 嵐

 赤い線。

 真っ直ぐ真横にひかれた、キズ。

 嵐(あらし)のユメを、阻むもの。


1. 嵐


 手を伸ばして嵐はそれに触れた。

 沈みゆく日の残光が嵐の指先をも赤く、染める。冷たいガラスを通りぬけた光はそれでもまだ熱をたもっていた。

 まぶしい、光。

 ガラス窓にひいた境界線と、その上の嵐の指。

 どれも、まるで現実感がなかった。

 ――生きているのよ。

 心の内で嵐は呟いた。

 それは自身にさえ響かずについえていった。

 衝動が胸のあたりから脳まで駆け抜けていく。だが嵐はそれを手放すことはしなかった。

 夕日は沈み、やがて『外』も嵐のいる部屋も薄ら寒い青い色に包まれていく。

「あんたまたできなかったのね」

 喉から発せられた声が嵐を皮肉った。顎を上げて、空気を震わすことのない声で、嵐はそれに返した。そうよ、またできなかった。

「そうやって、あんた一生飼い猫なのよ」

 揶揄するような声が自分の喉で喋るのを、嵐は黙って聞いていた。そうしていると、どんどんそいつに力が与えられていく。だが嵐は止めようとはしなかった。

「ほんとは死にたいくせに!」

「ほんとは消えたいくせに!」

「ほんとは殺したいくせに!」

 それが叫ぶたびに耳の奥で血の流れる音がした。

 嵐は黙っていた。

 息苦しくなって、喉は喋るのをやめた。

 頭からゆっくりと血がひいていくのを、嵐は感じていた。そして口を開いた。

「知っているわ」

 ガラスを伝ってくる夜気に冷たくなっていく指が、現実を教える。

「本当のことなんて、ずっと前に知っているわ」

 指を離し、もう一方の手で包みながら嵐は呟きつづけた。「だからこうしているのよ」

 青く染まった部屋は、しんと静まり返った。

 嵐はもう一度呟いた。

(生きているのよ)

(生きているのよ、ねえ、嵐)

 応える己は無かった。

 聞く者もなかった。

 ひとりきり、嵐はもう一度、色を失った赤い線に触れた。

 真っ直ぐに真横にひかれたキズ。

 嵐のユメを阻む、もの。

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