森の魔女と氷の女王

 嵐の前には静けさがつきものだ。

 選抜バンドからあの子が帰ってきてから、後輩たちは何やら、コソコソとした動きを見せ始めた。


 どうも探ってみれば、馬鹿弟子たちを中心にして反乱を起こそうって話じゃないか。部長相手にケンカを売るって? まあその後に和睦の道を示すらしいけど、そんな風に自分たちから行動を起こすようになっただけ、あの子たちもたくましくなったもんだ。


 そして同時に、危なっかしいことでもある。見通しが甘いというか、準備不足というか。

 そういうものを感じるようになる。こちとら半年前から仕込みをやってるんだ。そう思うのは勘弁してほしい。

 けれど、その隙をついて――この機会を利用して、ゆうに近づこうというのはあながち、悪い手でもない。

 むしろここを逃したら、永遠にあたしと優はすれ違ったまま終わるだろう。なので後輩たちの計画に乗って、あたしは計画を実行することにした。


 あとは、最後の調整だけど――あたしは石橋を叩いて渡るタイプなので(それはあたしの臆病さの表れでもある)、もしものための保険をかけておくことにする。


 関堀せきぼりまやか。


 こんなときにも我関せずの、永遠の氷の美女。彼女は嵐の前でも嵐の中でも、変わらず静かに練習を続けている。

 どうも話によれば、馬鹿弟子と先日口論になったらしいが――こいつ相手に口論て、だいぶ肝が据わったなあの子も。


 今もまやかは、楽譜を前に淡々と練習の音を刻んでいる。フルートは細くておしとやかな楽器のはずなのに、圧がすごい。

 それは昔あの子にも言った通り、フルートという楽器がかなりパワーがないと出せないからか、それともまやかという存在がストロングだからなのか。

 もしくは、去年の彼女の先輩の出来事に、あたしが引け目を感じているからか――全部だろうけど。


 あたしは優への対処に関して、まやかにも声をかけておく必要がある。


 彼女は、副部長だけあって優の心の拠り所だ。どうもまやか自身は、そう思ってない節があるけど――その分、土壇場で優につかれると厄介なことになる。


 だって彼女には、それだけの力があるから。

 自分だけで生きていこうと決めてしまったこの同い年には、それだけの存在感がある。あたしにはできないそのスタイルを貫き通しているまやかは、言い方はアレだけどこの盤面で重要な『駒』と言えた。


 そういえばチェスとか将棋とか、やったことないけど楽しそうだよな。

 後で弓枝ゆみえかあの馬鹿弟子相手にでもやってみよう――なんて、現実逃避をしてから。

 あたしは、まやかに話しかける。


「ねえ、まやか」

「……何?」

「優は、あのままでいいと思う?」

「……あまり興味のない話題ね」


 同い年の言葉に一瞬耳を傾けた彼女は、すぐにふいと顔をそむけた。

 その白いおもては、元の楽譜の方を向く。本当に音楽にしか興味がない……友達? がどうなろうと知ったこっちゃない。そんな冷血な天秤が、まやかの中にある。


 そして、そうなった原因はあたしにもある。

 今は、それについて語り合っている場合じゃない、けれど――


「……でも、あの子の行く末は、あたしたちの音楽にも影響する」


 自分の罪を晴らすためではなく、今これから起きつつある未来を守るため。

 あたしは同い年にそう言った。

 まやかはそのセリフに、ぴたりと動きを止める。食いついた――ここからは、正念場だ。

 こんな蛇みたいにしか動けない、臆病者のあたしでも。

 できることは、まだ残されている――そんな思いを込めて、あたしは彼女へと続ける。


「このままだと演奏は、いつまで経ってもまとまらず終わる。だから――何をしろとも言わない。ただ、見届けてほしい。その上で、どっちの道が正解なのか、まやか自身に判断してほしい」


 これは『何もしない方が良かった』という彼女の先輩から受けた、烙印なのかもしれない。

 まさかここで、こんなことをまやかに言うことになるとは自分でも思わなかった。つくづく、あたしの未来予知は自分には働かない――そんな因果を恨みたくなる。

 でもそれも、後回し。

 この究極の卑怯者、異端の魔女は、そんな呪いすら引き受けて言うよ。


「近いうちに、嵐が起こる。だから――そのときだ。そのとき、何が音楽的なのか、考えてみて。それだけでいい」

「……『火のようにコン・フーコ』」


 あたしの言葉にそう応えて、彼女は楽譜に書かれたその文言をなぞった。

 それは先日先生に指摘された、この同い年が「できてない」と言われた部分だ。

 まやかはそれを理解するため、この機会を利用してもらえればいい。

「音楽なき人生は誤謬ごびゅうである」。その言葉を、この子の先輩には届かなかったその言葉を。

 せめて彼女にだけは、刻んでほしかった。


 嵐を予言した魔女と、その身に炎を宿した氷の女王。


 あたしたち二人の話し合いは、そこで終わりの合図もなく返事もなく、静かに終わることになった。

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