空っぽだから言えること

 きみが一年生のコンクールの日、あたしはきみを説教、うんまああれは説教か。したね。


みなとっち、キミの考えていることは間違ってないと、あたしは思う。いろんな演奏があるように、いろんな意見もあってしかるべきだと思う。

 結果が全てという人もいるし――過程が大事という人もいるね。色々だよ。ほんと、色々」


 あの言葉にはいろんな意味が込められていた。

 ひとつはもちろん、せんちゃんがきみとは少し違う考えを持っていたということ。

 もうひとつはこの先、きみがそういった違う考えに触れたときに、『そうでない人もいるんだよ』という事実を知っておいてほしかったということ。


 あとは――そうさね。あたし自身が、そういうことを自分に言い聞かせていたのもある。

 コンクールって、ほんと人によって考え方が全然違ってさ。勝負事だっていう人もいるし、競争じゃないって人もいるんだよ。

 うちの部内ですら、その考え方はみんな違ったんだ。まあ、それがその次の年の内乱につながっていくわけだけど――


 とりあえず今は、このときの話だね。

 きみと千ちゃんのやり取りを見て、あたしが思い出したのは網戸あじと先輩のことだった。

 去年あたしは、ここで先輩と二人でテレビに映る、ホール内の中継を見ることになった。

 それはあの人の優しさであり、また冷静さの証拠であり、また異端の現れだったりする。

 あの子はまだこの時点では、あたしの弟子というわけではなかった。けれどひょっとしたら――春日かすが先輩がいなくなったら、本格的に面倒をみることになるかもしれない。そんな気はしていた。


 いかに未来の見えない子であろうとも。

 そうなることは、状況的に考えればあたしでなくても思いつく。本当に好きだった人に去られたとき、そこには誰しも虚無感を覚えるものだ。

 その『無』からこの子を守るのは――まあ、それに近い真っ黒な、あたししかいないだろう。

 質が似ているからこそ恐れを理解し、対抗できる。

 まったく、皮肉なもんさね。


「……その甘さがなければ、動けない人間だっています」


 ああ、そうだ。

 そうでなければどこにも行けない人間がいた。

 認められなければ、救われない人間がいた。

 それが、あたしだ。

 春日美里に手を差し伸べられなければ、あの場で力尽きてしまうだろうあたしがいた。

 網戸美咲に守られなければ、どこにも行けないあたしがいた。

 今でこそきみはあたしのことを師匠と呼ぶけど、そんな偉いもんじゃないよ。

 全てはあの人たちの真似――状況に応じて適切に反応する、無機質な闇の塊さ。

 冷静って言われるのはどうしてかね。反応したところで意味がないと知っているからかな。

 どうしてもその先を考える。こうしたらどうなるか。ああ言ったらどう来るか。臆病なあたしはずっと、それだけを考え続けている。


「まあ、あたしの言うこともひとつの意見に過ぎないよ。だから湊っちは湊っちで、本番は好きなようにやればいいの。おけ?」


 そう言って責任逃れをして、あたしはずっと途方に暮れている。

 何が正解か分からないなら。

 人間的でない、ただの観測機械であるあたしは――どこに行けばいいんだろう?

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