追懐
たけおくん
第1話
時刻は午後六時。二人は閑散とした川沿いの道を歩いていた。九月初旬にしては肌寒く、半袖のブラウスを着てきたことを後悔する。つい最近まで残暑が残っていたかと思えば、秋は直ぐそこまでやって来ていたのだ。知らぬ間に日の入りは日を重ねる毎に早くなっていて、今やこの時間帯の街はオレンジ色に染まっていた。
夕陽を背に浴びて、アスファルトには二人分の影が揺れながら私たちを先導していた。二つの影は適度な距離を保っていて、時には近づいたり、離れたりして、私たちの関係が如実に現れていた。
私と彼は、幼稚園の頃からの仲だった。ご近所さんだったことから家族ぐるみの付き合いで、昔からずっと仲が良かった。一緒に遊園地に行ったり、動物園に行ったり、昔の思い出にはいつも彼が居て、写真を見返せば、私の隣はいつだって彼だった。
それから小学校も中学校も、今通っている高校も同じで、なんならクラスもずっと一緒だった。それはまさに運命と言っても過言ではなく、私たちの間で度々話題に出ては笑いのタネとなっている。
――そして、私はその運命に感謝しなければならなかった。
ただの美術部の私と、バスケ部のキャプテンである彼。顔立ちが整っていてクール、それでいて面白い。そんな彼は学校の人気者だった。彼の周りにはいつも人の姿があって、まさに絵に書いたような学園生活を謳歌していた。それに比べて私は学校の中でも比較的静かなグループに属していて、彼らとの接点は一切ない。そんな二人の関係が続いているのは、この運命のおかげなのだ。私たちは部活が終わってから一緒に下校する。それだけの関係。だけど、私にとっては何よりも大切な関係だった。
「あ、ちょっと待って」
私たちの住宅地に差し掛かった頃、彼はそう言うとしゃがみ込んであるモノに興味を示す。"それ"は小道と河川を隔てる土手に咲いていた。無秩序に生え散らかしている雑草の緑の中に、赤色でポツポツと彩られていた。ただ、「咲いていた」と表現するには些か蕾が目立っているようだった。
最近、彼は花に興味があるらしかった。だから季節が移ろい新しい花が顔を出しているのを見つけると、その場に座り込んでまじまじと観察するのだ。だけど正直、私は花に興味が無かった。部活で花の絵は描くけど、人物画の方が好きな私にとっては興味の対象にはならないからだ。そういう意味では、道端に咲いている花よりそれを眺めている彼の方に興味があった。今、彼の横顔をキャンパスに収めることが出来たなら、どんな花よりも美しい絵画となるような気がした。
「本当に花にハマってるんだね」
「いや、友達に花図鑑を押し付けられたから、ちょっと見てるだけだよ」
「友達って、誰のこと?」
「秘密」
「えー、気になるじゃん。教えてよ」
「教えない」
「何でよ、ケチ」
頑なに教えてくれない彼。私はそれに対していじけた風にそう言うが、彼に不満を抱いているわけではなかった。
どうせ、そんな柄じゃない自分が花に興味を持っていることが恥ずかしくて、誤魔化しているだけなのだ。――彼は昔からそうだ。男の子は男の子らしくあるべきだと思い込んで、変なプライドを持っている。一時期、そのプライドを拗らせてしばらく一緒に帰ってくれないことがあったくらいだ。
しかし、その不器用な性格が堪らなく愛しかった。そして、クラスメイトには絶対見せない一面を私の前では見せているという事実に、不遜にも優越感を懐いていた。要するに、私は彼が大好きだった。
「――彼岸花、花言葉は"あきらめ"、"独立"、そして、"情熱"……、だっけな」
「へえ、よく覚えてるね」
勉強嫌いであるはずの彼から出てくる知識とは思えず、私は心から感心する。彼は特に暗記系の科目の成績が酷く、いつも赤点ギリギリのテストが帰ってくるレベルなのだ。
そんな彼が花言葉なんかを暗記しているところを見ると、どうやら彼の花に対する愛は本物らしい。帰宅を急かそうとしていた私だったが、もう少し花の観察に付き合ってあげることにした。しかし、そんな気遣いとは裏腹に、そそくさと立ち上がる彼を見た。
「どうしたの? もういいの?」
「うん。それに、お前は花なんか興味ないだろ。花よりは団子って感じだし」
「うわっ! 何それ、最悪。私先に帰るから、一人でずっと見てなよ」
遠回しに嫌味を言われた私は、若干腹が立ったのでそう言い返してから踵を返す。だが、そう言いつつもそれが冗談であることも分かっていて、彼がすぐに追い付けるスピードで再び帰路に就く。
「冗談だって」
「ダイエット中の私の心には突き刺さったよ、その言葉」
「だから冗談だって……。それに、痩せてるんだからダイエットなんかしなくていいだろ。――まあ、今度学校の横に新しく出来たクレープ奢ってあげるから、許してよ」
「分かった。許す」
ダイエット中なのに、甘い誘いには断れず即答してしまう。それにお詫びとはいえ、彼が折角誘ってくれたのだ。断る理由はない。
そんなこんなで、紆余曲折しながらも私たちは住宅街を歩いていた。この時期のこの時間帯では子供たちは外に居らず、静かで長閑な時間が流れていた。そして互いに話すことのない二人も、無言で歩みを続けていた。
辺りの住宅からは子供の声や笑い声が聞こえてきた。しかしどれも微かなもので、喧騒から切り離されているここは二人だけの世界に思えた。
「なあ、お前って、好きな人いるのか?」
「へ?」
唐突に、沈黙を破ってそんなことを言い出す彼に私は驚きを隠せなかった。素っ頓狂な声を上げてしまった私は恥ずかしくなって、咳払いをしてから、
「ま、まあ、居るけど……?」
「やっぱそういうもんだよなあ」
しみじみと言う彼に、私は違和感を覚えた。彼は何処か達観したような態度を見せていたからだ。そこまで深いことを言ったつもりの無い私は、若干困惑した。
「どういうこと?」
「深い意味は無いよ。ホントに。気になっただけ」
「ふうん」
本当に深い意味は無かったのかは、彼のみぞ知る、だ。私にはそれを言及する勇気は無かった。私は現状が変化してしまうのがとてつもなく怖かったのだ。出来ることなら、彼とずっとこういった関係で居たかった。これ以上の関係になりたいなどという傲慢な考えは無くて、どれだけ大人になっても一緒に居たかった。また、これ以上の関係にならなければその願いは実現は出来ないというジレンマを抱えていることも分かっていた。だからこそ私は知っていた。この関係には、いつか終わりが来ることを。
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