あたしと契約してここの領主になってよ

「こっちよ、ついてきて」


 彼女は僕の手をつかんで歩き始めた。小川沿いに足早に歩く。


 さらさらと水が流れる音と、二人の足音だけが夜空の下に聞こえていた。




 しばらく進むと、小川は小さな洞穴に続いている。


 背をかがめて入口を抜けると、中は思った以上に広い空間だった。それでも見た目通りの奥行で、すぐに突き当ってしまう。


 どういうことだ? と疑問符を浮かべていると、彼女は小声で呪文を唱えた。


 差し出された手からエーテルが放射され、ぴかっと光った後にはさらに奥へと続く通路が現れる。




「えっと、ついていくと約束するから、手を放してくれないかな?」


「……逃げたりしない?」


「しない。約束する」


 彼女はじっと僕の目を見た後、しぶしぶと手を放してくれた。


 そのままくるりと踵を返すと、すたすたと歩きはじめる。


 洞窟の中は月明かりが届かないはずなのに、うっすらと明るくて、歩くことに不自由はしなかった。




「ねえ、ここはどこなんだい?」


「……忘れられた約束の地」


「妖精境のこと?」


「あれはただのおとぎ話。これから行くところは……いいわ、見ればわかるでしょ」


「そうなんだ」


「ええ、だから急ぐわよ。たぶん、あんたのためにもその方がいい」


「僕のため……?」


「そう、行けばわかるわ、全部ね」




 そう告げると彼女の歩調が若干早くなった。後から思えば、彼女は危険が迫っていることを察知していたんだろう。




 しばらく進むと外の光が見えてきた。うっすらとした明かりの中を進んできたので、月明かりすら眩しく感じる。


 目の前に広がったのは広大な平野。真ん中に大きめの川が流れ、木々も生い茂っている。


 小高い丘には領主のものと思われる居館が立っていた。丘のふもとからぐるっと防壁が取り巻いていて、真ん中に大きな扉がある。


 周囲には人が暮らしていたような痕跡はあるのだが、動くものは見当たらない。


 畑を拓けばどれだけの人を養えるだろう。そして違和感に気づいた。


「え……魔物が、いない?」


「わかるの?」


「うん、なんというか……真っ黒な魔力を感じるんだ」


「へえ、堕ちたエーテルを感じ取れるのね?」


「そういうもの?」


 よくわからない単語が並ぶが、それをいちいち確認してしまったら夜が明けてしまいそうな気がした。


 津々と降り注ぐ月明かりの下、平原の真ん中を進む。よく見ると、足元はきれいにならされていて、石なども転がっていない。周囲の草も刈りこまれており、手入れがされている。


 というか、ほかの都市でもこれほど整備された道を見たことがない。


 いろんな疑問が沸きあがってくるが、彼女の背中に問いかけるにはまだ早いと思った。


 見ればわかる。まずはそれを見てからだろう。




 しばらく歩くと、城門にたどり着いた。城壁はよくわからない素材で、石というには表面が滑らかすぎる。


 そして城門には大きく、見たことのない紋章が飾られていた。うっすらと光を放って幻想的な美しさだ。両隣には石像の兵が立っていた。


 思わず門に触れようとすると、見えない壁のようなものがあって押し返された。その姿を見て彼女はうんうんと頷いている。


「うん、やっぱりあんたね。資格を持たないものが結界に触れたら生きてないはずだし」


 何やら物騒なことを言っている。


 そうして、洞窟でやっていたように呪文を唱え始めた。今度は小声ではなく朗々と謡うように。


「古の盟約に基づき、守護者の権をもって命ずる。我らが主の帰還である。疾くその門を開き迎え入れんことを……開門!」


 彼女の手からエーテルが放射される。その流れは紋章の線をたどって全体に行き渡り、ごごごと重々しい音とともに城門が開かれた。




「さあ、こっちよ。ついてきて」


 無言でうなずくと僕は彼女の背中を追うように歩き出す。城壁の中は、同じく平野が広がり、門から居館へ向けて道が一本伸びていた。


 大まかだが区画も整理されていてむしろ居館以外に建物がないことが不思議に感じる。




 彼女に促されるまま居館の扉に前に立つと、音もなく扉が開いた。


 魔法仕掛けの扉の存在は聞いたことがあるけど、王宮とかそういったところにしかないとも聞いていた。




 正面にある扉もまた手を触れていないのに音もなく開いた。執務室とでもいえばいいのか、大きなデスクが部屋の中央に位置取っている。不思議なのはデスクのいすは扉側にあり、デスクの向こうにはテラスのように突き出した空間があった。


 彼女に促されるままに椅子に座る。するとどこからともなく不思議な声が聞こえてきた。




『システム管理者の帰還を確認。これより再起動を行います。……エーテルフロー問題なし、システムチェックオールグリーン。これより周辺の索敵を行います』


「え? 何これ!?」


「ちゃんと動いてるわね。よかった」


 平然とする彼女とは裏腹に、僕はパニックだった。人がいないのに聞こえてくる声、唐突に窓に映った景色、そして何よりもそこに映し出されていた光景。


 さっきはぐれた商隊の人たちが魔物に追われ逃げていた。護衛の冒険者が大剣を振るい、狼のような魔物を斬り飛ばす。


 馬車の背面の扉を開け、矢を放つ。槍を振るってけん制する。そうしながら徐々に道を進んでいた。




「どうする? 助けるの?」


「あの光景はどこなの? 教えて!」


 彼女が虚空を指さし、何かを操作するように動かすと、左側の窓に地図が映し出された。


「もう少し南に来ればうちの領内ね」


「そうすれば助けられるの?」


「あんた次第。領主になれば領内の人々、領民を守るための力が備わるわ」


「じゃあ早くしてよ!」


 狼にとびかかられ、首元をかばった腕に牙が突き立つ。痛みに顔をしかめながらも狼を仕留めて売り払う。


 護衛の冒険者たちはみんな傷を負っていた。今日のお昼まで、商隊に同行させてくれていたのは彼らの口添えがあったからだ。


 親切にしてくれた人を見捨てられるほど、心は乾いてない。


「じゃあ、契約にあたっての注意事項を……」


「いいから早くしてくれ! 彼らに何かあったら僕はずっと君を恨む!」


「……後悔しないでよ?」


「早くしてくれと言った。まだ!?」


「……承知しました、マイマスター。マスターの名前を入力してください」


「……クロノ」


「承知しました。マスターのエーテルを使用して、防壁を張ります」


 そう彼女が告げると同時に、体内のエーテルが大量に引き出されるのを感じた。


 商隊が戦っている姿を映し出す窓に、光の壁が現れて魔物が入ってこれなくなり、助かったと歓呼の声を上げるところを見たあたりで、僕の視界は暗転した。

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