★12★ 俺がおかしいのか?
背負って帰る約束をした手前加減をしながら飲んでいた俺と違い、散々羽目を外して飲んだアカネは宿についてからもやけに上機嫌で。やや覚束ないなりに自分でベッドに上がり「何か良い感じがするんです」と言うや、鞄を漁っていつも使っている木皿を取り出した。
てっきり飲み過ぎて吐くのかと思ったが、アカネは俺が見ている前でバッと右手を掲げ、指を擦り合わせながら錬成した調味料を口に含む。砂糖と胡椒にはあまり変化らしい変化がなかったらしく、小首を傾げている。まぁ、酒を飲んで気分が良いだけで熟練度が上がれば魔導師連中は苦労しないだろう。
苦笑しながらそろそろ眠気にグラグラし始めた姿を眺めていたら、再度アカネが諦め悪く指を擦り合わせた次の瞬間、いきなり狭い宿の一室にフワリと独特な香辛料の香りが広がった。
しかし俺にとって嗅いだことのない香りなだけで、アカネにはその香りの正体が分かっているらしく「カレー塩だぁ」と、自分で錬成しておきながら驚いた表情を浮かべる。そしてこちらを向いたかと思うと「褒めて下さいよ」と締まりのない顔で笑う。
ああ、こりゃもう寝るなと思っていた途端に、糸が切れたようにその貧相な身体がベッドに倒れ伏した。何とか木皿の中身は死守しようと抱え込んだのは偉い。
「だがまぁ、こうなる前に大人しく寝ろってんだよ。世話の焼ける奴だな」
溜息をついて自分の座っていたベッドから立ち上がり、頭から猫のように身を丸めて眠るアカネを解き、しっかり抱きしめていた木皿を没収する。
先に高価そうな調味料の入った木皿をベッド脇にあるテーブルに置き、次いでアカネをベッドに寝かし直して薄いかけ布にくるめば、アカネは小さく「お母さん」と呟く。出逢った時ぶりに聞くその言葉に、何となくその頭を撫でて自分のベッドに戻った。
寝入り方が感傷的だったアカネは翌日に酒が残るかと思いきや、ケロリとしていた。酒を覚えたてのくせに恐ろしい奴だ。それどころか俺より早く目を覚ましたらしく、ベッドの上で昨夜の木皿を持って熱心に分厚いレシピ本と睨み合っている。
朝食まではまだ時間があることだし、いつ気付くかとベッドから起き上がって観察してみることにした。
――が。しばらく待ってもこちらが起きたことにも気付かず、ペラペラと頁を行きつ戻りつしては「錬成量が少ないから、衣に使うのはなしだなぁ」と呟き、また頁をめくっては「ちょっとつけるだけじゃ味気ないし……」と眉根を寄せ。
これは待っても気付かないパターンだと諦めて「アカネ」と呼べば、ベッドの上でレシピ本と木皿ごと身体が少し跳ねた。そうして少しだけ常よりは賢そうに見えていた横顔が、こちらを向いた瞬間にパッといつも通り緩そうになる。おまけに人の顔を見た途端に腹まで鳴らしやがって。
思わず「俺はオマエの餌係りじゃねぇんだぞ?」と言ったら、アカネは悪びれずに「だってウルリックさんと食べると、何でも美味しいんですもん。今日は何を食べましょうね?」と言うもんだから、珍しく。俺の無口な腹も“グゥ”と鳴いた。
その後は大して旨くもない宿の朝食を摂って部屋を引き払い、アカネが新しく錬成できる調味料が増えてきたので、今日は一日装備品を見直すことに決める。
はしゃぐアカネから目を離さないように注意しつつ、普通の雑貨店で調味料用の小瓶を買い足し、俺もミスジとやり合った時に駄目にした矢の補填をし、魔雑貨店で撥水魔法をかけた高級魔用紙を買い足し――。
その合間にアカネの腹の虫に餌をやる。そうでもしないと無意識に屋台のある方へとフラフラ寄っていくからだ。そんな姿は見ていて飽きないが、かなり攫いやすそうで、緩い。どんな家族の元で育てばこうなるんだか。
何軒目かに寄った店はエビのフリッターを売っていて、アカネは幸せそうに食いながら店員に衣に使っている粉の購入できる場所を聞き込み、小麦粉によく似た粉を購入した。一応食に関しては頭が働いているようだ。
「今日はどんなお店でレシピを売りましょうか?」
「それはオマエがこの街でどのレシピを売りたいかによる」
「うーん……せっかくだから売りたいレシピというか、昨日のイドニアさんとガーランドさんの反応を見て海の近くならではで、ウルリックさんが食べられそうな感じのレシピを思いついたんですよ」
アカネはいつもならあっさりと決まるはずの売りに出すレシピを、今回は珍しく決めかねている。しかしその探求心やこだわりは悪いことではないが、今必要とは思えない。
「思いつくのは良いが一度作って試食してみないことには、レシピとして売って良い代物か分からねぇだろ。今回は新作は諦めて、材料を買って街を出てから作りゃ良い」
そう至極当然なことを言った俺をアカネは見上げて、何故か少しだけ力なく笑った。そして――。
「でもウルリックさんとポートベルに来た思い出として、何か港ならではってレシピを置いて行きたくて。そうしたらリンベルンで別れてからも、地図を見るたびに思い出せるじゃないですか」
その湿っぽさにコイツが昨夜寝入り端に零した言葉を思い出し、溜息をつく。俺の反応にハッとしたアカネが顔を強ばらせた。
「あ、いえ、今のはナシで。やっぱり岩場で作ったレシピに――、」
「そういうことならしないでいい。俺に特別メニューを食わせたいって殊勝な心意気はかってやるよ。さっさと昨日の市場で材料買って、どっかの砂浜辺りで調理して食うぞ。どうせ旨いんだ。その足で適当な店に売り込みに行こうぜ」
面倒なことを言う奴だと思う。だがそれをくすぐったく感じはしても、悪い気はしないそのことが、自分でもらしくねぇとは思う。けれどそれも悪くはないかと、話が纏まったところで俺の言葉に嬉しそうに頷いたアカネを連れて、まずは材料を探しに行こうと昨日の市場に向かえば、一躍有名になった俺達を見つけた鮮魚店の人間や漁師から呼び止められる。
声をかけてくる店主達に愛想良く近付いていくアカネの後を歩きながら、ふと背中に視線を感じた。特に敵意が感じられるわけでもないが、微妙な距離感を保ってついてくる気配に気を配りながらも、気付かないふりをしてアカネの買い物に付き合う。
何軒も店先を覗いては会釈して通りすぎ、ようやくお眼鏡に適う魚を見つけた頃にはすでに陽は真上にあった。のんびりと砂浜に向かう間も、背後の気配はつかず離れず追ってくる。面倒なことにならなきゃ良いと思いつつ、隣を歩くアカネの腹の音に気が緩む。
まぁ誰がついて来ているとしても、人気のない砂浜に出ればどうとでもなるかと伝播する暢気さで、腰の弓と矢筒を一撫でして。だらりと二人で砂浜を目指した。
***
「――で? どこの誰だか知らねぇが、俺達に何のようだよ」
砂浜に辿り着いて早々アカネを背に庇い、ずっと背後からつけていた気配を振り返ってそう言うと、全然気付いていなかったアカネは暢気に「誰かいるんですか?」と俺の服を引っ張る。
それを無視して相手の出方を探ろうと誰もいない空間を睨みつけていたら、意外とすぐに動きがあった。何もなかったはずの空間が歪んだかと思うと、次の瞬間にはそこに見覚えのある二人組の姿が現れる。
「後ろの弟に泊まっていると聞いていた宿に行ったのだが、すでに発ったと言われてな。イドニアがそれではきっと市場にはっていれば会えると。本当に会えるかは賭けだった」
こちらが苛立つほど落ち着いた声でそう告げる男と、さも簡単な術のように高等魔術を操る女。アカネの傷を癒した中級クラスの回復魔法を使える男は元より、女の方は魔力がほとんどない俺でも感じるほどの魔力タンクぶりだ。
「へぇ、オマエ等の面子を二度も潰した俺達の口封じでもしにきたのか?」
俺の言葉にアカネが「え」と声を漏らすが、その声に「大丈夫だ」と軽く応える。勿論ただの気休めだ。普通のチンピラや冒険者なら何とかなるが、アカネを庇いながら魔導師二人を同時に相手するのは流石に厳しい。
視線を前にいる二人組から外さずに、弓に触れる指先へなけなしの魔力を流し込む。そうすると呪いを施した矢羽根が僅かに熱を持ち、呼応するようにその熱が指先から体内へと戻って増幅される。
一か八かここでやり合うか――……と考えていた背後で、突如“グゴゴゴゴゴゴ”と、この場に相応しくない緊張感のない音が割って入った。呆れて魔力を保つ集中力が切れた俺の前で、追っ手の二人も苦笑を浮かべる。
思わず舌打ちをした俺の背後で「ごめんなさい」と小さく謝るアカネの声を拾ったのか、目の前の二人はお互いに顔を見合わせて笑った。そして。
「後をつけるような紛らわしい真似をしてすまない。ミスジの一件とこれまでの非礼を詫びようと思っただけなのだ。そうだな、イドニア?」
常識人を煮詰めたような男の隣では「悪かったわよ」と膨れる高飛車女と、常識は皆無でも暢気さが天元突破しているアカネが「それはどうもご丁寧に」と応えるのを聞いて、ひねくれ者の俺は一人天を仰いで溜息をついた。
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