第53話 恋人
昨晩の別れ際、皇女様が明日の夕方にはまた会える、と言った。僕はこのまま皇女様も一緒に部屋へ帰ればいいのにと思ったが、どうやら根回しやら手配やらの都合があるらしく、それはできないとのことだった。
皇女様を取り巻く環境がどうなっているのか、僕の知らないことがたくさんあるんだろう。
ともかく、今日皇女様が部屋へ戻ってくる。僕はそれを楽しみに一日を過ごした。やっぱり皇女様のことを考えていると、僕は比較的正気を保っていられるようだ。……という状態がすでに常軌を逸している可能性も否めないが。
授業を終えた僕はうきうきと部屋へ戻る。戻った部屋に人がいて、ただいまを言うのさえ久しぶりな気がした。
「ただいま」
意気込んで入った部屋には、しかし皇女殿下の姿はなかった。
あれ?と思う。てっきり僕が戻る頃にはいて、出迎えてくれると思っていたけど。いない。たぶん、まだいない、だけ。
急にドキドキと打ち始めた心臓やあれこれ考え出そうとする思考をなだめ、僕はふらふらと机に向かう。教科書とノートの入った鞄を机に置いて。上着は脱いで椅子に掛けて。腰かけて、落ち着いて。
まだ戻ってないだけ。昨日の皇女様が、その場凌ぎの嘘で僕を騙したとか、そんなことはないはず。勝手なこと考えるな。焦って探しに行こうとするな。きっと皇女様はそのうち帰ってくる。信じないと。
でも。頭と体以上に不安がっているのは僕かもしれない。とにかく何かに手をつけて気を紛らわせようとは思うのに、どうしたらいいか分からなくておろおろとする。するとますます体も頭も言うことを聞かなくなって、僕は混迷の中へ落ちていく。
どうしよう。そう思ったとき。後ろでガラガラッと勢いよくクローゼットが開いた。
「なぜクローゼットを開けぬのだ!」
振り向いた僕は飛び出してきた皇女様に吃驚する。え、なんで、クローゼット??
「……く、クローゼットにいた、の?」
「そうだ! クローゼットで待ったいたのに。なぜ開けぬ!?」
……でも三回目だし。さすがにワンパターンだって言われるんじゃないかな。
「というか、殿下。なんでクローゼットなんかで待ってたのさ」
すごく驚いたし。いないのかと思って不安になったし。今も僕は状況についていけなくなっていて、皇女様が帰って来て目の前にいるというのに喜ぶこともできずにいる。
仁王立ちした皇女様が
「それはもちろん、備品だからだ! 戻った部屋の備品が出しっぱなしで放置されていたら、印象が悪かろう?」
………………備品なのかよ。相も変わらず部屋の備品として戻ってきたのか、この人。
なんだろう。せっかくなんだから、こう、恋人とか? なにかそういう、もっと甘い感じのやつを僕は夢想していたのだが。よりによって備品ときた。残念すぎる認識の相違だ。僕は打ちのめされる。
もしかしてこの人。小さい頃から備品として育てられて、それ以外の人間関係を知らないとかなのか。いやでも、普通に友人は知ってたしなぁ。恋人も、知らないわけない、だろうし。つまり。僕が眼中に入ってないと、そういうことか?
自分の思考に追加ダメージを食らいながら、それでも僕の頭は一生懸命考える。どうしたらもう少しこの皇女様との距離を縮められるだろう、と。
「ねぇ殿下。そこは備品じゃなくて、……こ。と、友達とかで、いいんじゃない?」
皇女殿下は可愛らしく首を傾げた。
「ふむ? 何を言っておる。部屋へ友人を置くのは規律違反だぞ」
そ、そうきたか。
「……よし、分かった。殿下はこの部屋の備品、ってことで一緒にいられるってこと、だね?」
「そうだ。でなければ皇女がこんな狭っ苦しいブタ箱のような部屋にいるわけがなかろう」
微妙に気になる物言いだけど。でもそう言うことなら、とりあえず備品ということで僕も料簡しよう。
「じゃあ。殿下、おかえり」
「うむ、ただいま」
そう答えた皇女様が満面の笑みを浮かべ、僕は嬉しくなる。
「……殿下、ぎゅっとしていい?」
「駄目だ」
「じゃあ、ほっぺ触っていい?」
「やめろ」
「膝枕」
「何を言っておる」
「せめて匂いかが」
「蹴るぞ」
全部駄目だった。くそ。
皇女様は僕を無視してロフトベッドへ上がっていく。
「うむ。ちゃんと綺麗なシーツに替えてあるな。よしよし」
基本僕はそこ使ってないからね。でもちゃんと洗ったのに交換しましたよ。
定位置とばかりに皇女様はベッドの上から部屋と僕とを眺め回し、満足そうに鼻を鳴らす。
「やはりここが落ち着くな」
僕は下から皇女様を見上げ、その感覚のあまりの懐かしさにため息をつく。
皇女様が僕の生活に戻ってきた。……備品として。
【また3日ほど更新をサボりますゆえ、次回更新7月13日月曜日でございます。そして物語は最終章へ、約束を結ぶそのときまでを物語る――予定。どうぞ二人の結末にお付き合いいただけますれば幸いです】
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