第48話 瓦解

 部屋から皇女様はいなくなったけど、僕はまだ床に寝袋で寝ている。

 もしかすると皇女様はなにかの用事でちょっと抜けているだけで、そのうちひょっこり戻ってくるかもしれない。その時に僕がベッドを使っていたら、きっと一悶着起きるだろう。というのが建前で、本音は皇女様の匂いが染みついてそうなベッドに入る勇気なんてない。

 そんなビビりの僕は、アルに言われてからずっと皇女様のことを考えていた。

 彼女がこの元お城を稼働させるための鍵なのだとして、でも皇女として大事にされているんじゃないんだろうか。我が儘放題に許されているし。僕はそれに振り回されたに過ぎない。そんな僕がなにかするべきなんだろうか。

 よく分からなくなって、とうとうアルになにを考えたらいいのか聞いてみた。ちょっと困った顔をしたアルは、「アオイはどうしたいんだよ?」と聞き返してきた。

 僕。僕は。僕はどうしたいんだろう。


 今日の午後はギアローダー訓練で、準備のためにアルと格納庫へ向かった。最近のアルは前にも増してお節介に僕の事を構ってくる。時折僕の体が言うことを聞かず手足がもつれたり、ほんのちょっと平衡感覚がおかしくなってふらついたりしていることに目聡く気づいているらしい。今日もアルはアルだなあと僕は思う。

 訓練のために格納庫から出され、一クラス分のギアローダーが並んだ姿はなかなか壮観だ。

 正直に言えば、あんまりチグリスに乗りたくはない。乗ると否が応にも戦場の記憶や戦闘の感触が迫り上がってくる。それが僕にはすごく嫌なのだが、本当に困っているのはそのことじゃない。僕は乗りたくないと思うのに、それに反して僕の体と頭はチグリスに乗りたがるのが問題なのだ。

 とにかく体はチグリスといえば快適空間食っちゃ寝暮らしだと覚えてしまっていて、くそ暑かったりくそ寒かったり走らされたりする過酷な現実におさらばやっほいとか言い出すし、頭は頭で聞けども理解できない授業のストレスにイライラしていて、すっきり明快かつ感度もよく補助知能まで搭載したチグリスが効率的最適解だと主張する。そのうえ、頭も体もそれぞれお互いと働くよりもチグリスと働く方がいいわけで、僕はまるでバラバラに分解してしまっている。

 なんにせよ、チグリスに乗りたいとか乗りたくないとかぐだぐだ言ったところで、訓練なら乗らないわけにもいかないし、終われば降りるよりないのだから、がどう思っていようが関係はない。

「……え。なんでチグリス赤くなってんの?」

 準備の途中でふらりとやって来たアルがチグリスを見て目を丸くする。……まぁそう言いたくなる気持ちはすっごい分かる。

「この間、装甲を壊しちゃって。あの色に直された」

 もしまたチグリスを壊したら、あの赤色が増えるか、下手をしたらピンクみたいな色をくっつけられるかもしれないのだ。もう絶対にスカイデーモンの爪を引っ掛けたりなんかしない。と心に誓う。

「ふうん。いやまあでも。………………………………………………………………カッコいいんじゃね?」

 うそつけ。

「それにしても。この装甲壊すって、お前戦闘に参加したのな」

 襲いかかってきたアルが僕の頭をぐりぐりしてくる。そんなことしたってアルが戦場へ出られるわけじゃない。振りほどこうとしたが、心外なことに僕の体はぐりぐりされるのがまんざらでもないらしく、言うことを聞かない。くそ、違うからな、勘違いするなよ。

「アルはさ、」

「うん?」

「ベヘモトも神経接続だろ。なんかバラバラになる感じしない?」

「バラバラ? って、なにが?」

 アルはぴんとこないらしく、首をかしげる。

「なにって。ええと。体とか頭とかが。自分の言うことを聞かないっていうか」

「なんだそりゃ。どういうことだよ?」

「や。ないなら、別にいいんだけど」

 アルの無表情が僕の顔を覗き込む。

「なんだよ、そんなことになってんのか?」

「うん、いや、まあ」

「大丈夫か?」

 どちらかといえば大丈夫じゃないだろうが。特にどうしようもない。

「ねえ」

 僕はアルに聞く。

「頭とも体とも違うって、なんなんだと思う?」

「えー。うーん。よく分からんけど。頭でも体でもないなら、心とか?」

「心。案外アルはロマンチックだな」

「うるさいな。だったら精神とか人格とかだろ」

 なるほど、と僕は思った。


 クラスメートたちの動かすギアローダーは、どいつもこいつもぼやぼやした動きをしている。見ていてとてもつまらない。あとこれ以上目立ちたくない僕は周りに合わせてぼやぼや動くようにしてるので、ローダー訓練は比較的ヒマな授業になっていた。

 ヒマを持て余した頭が過去のローダー戦闘映像を参考に勉強を始める。それ自体はいいんだけれど、やられてるローダーの姿をエンドレスで再生するのはやめろと僕は思う。頭のやつときたら本当に情緒ってものがない。見せつけられる映像に辟易しながらも逃げる方法もなくてしんどい。

 こんなとき体はどうしているかといえば、それはもう幸せそうに惰眠を貪っている。動かずじっとしてるのも僕ならストレスだが、体のやつは怠惰というか、動くのが本当に嫌いだ。

 勝手気儘に知識欲を満たしている頭と、底無しの安楽を享受している体と、ひたすら耐えている僕。これがチグリスの中味だ。

 訓練が終わればこれ幸いと僕はチグリスを降りるけど、安眠を邪魔された体は不機嫌でますます言うことを聞かない。重い。急激に感覚情報が減った頭も認知能力がトチ狂ってとにかく不快感を主張する。

 上と下も分からず立っていられなかった僕はチグリスの前でへたり込んだ。

 ここまで来れば、さすがに僕だって分かる。

 僕は壊れた、んだろう。

 ずきずき頭が痛んで僕は吐きたいと思う。でも吐きたくなどない体は、泣いたり吐いたりしたがる僕を疎ましがっている。とうとう頭もぐずぐずと判断を鈍らせてにっちもさっちもいかなくなった僕を不合理だと責め立てる。

 もう駄目かもしれない。

  ぼんやりする視界を見ながら思う。

   このまま壊れて僕はどうなるんだろう。

    分からない。

     でも。兵器チグリスに心は要らない。

      たぶん僕は要らないんだろう。

       苦しい。

        痛い。

         心が、僕が痛い。

          ああ。なんだか無性に。

           皇女殿下に。

            会いたいなぁ。

 ぴくりと体が反応した。ぞくりと頭が動き出す。

 皇女殿下。会いたい。

 やつらの突然の主張に僕はびっくりする。

 皇女様会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。しゃべりたい。網膜に写したい。笑い顔がいい。むすっとするのもいい。話を聞いてほしい。話を聞きたい。皇女様のこと知りたい。本人に話してほしい。いい匂い。嗅ぎたい。一緒にいたい。ぎゅっとしたい。見つめられたい。瞳に映りたい。ひざ枕したいされたい。皇女様に、会いたい。

 呆れるほどの満場一致だった。まじかこいつら現金だな、と僕は思う。

 でもそうか。僕は皇女様に会いたい。

 それはこいつらも賛成。というか僕は久しぶりにひとつになった。皇女様に会うという一点において。

 僕は立つ。奮い立つ。

 皇女様に会いに行こう。会ってどうなるかは、分からないけど。でも会いに行かなければならない。全身全霊をかけて。壊れて駄目になる前に。僕がアオイ・カゼであるうちに。

 せめて皇女殿下にお別れを言いに、僕は行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る