第40話 運不運
「シュラフ/チグリスすか? あー、まだメンテ中で出せないっすねー」
僕の授業復帰日。午後はローダー訓練だからと準備に行った格納庫で僕はのっぺり顔の技術官のお兄さんに言われた。
「え、そんな。それ、いつ終わるんですか?」
「どーすかねー。いま忙しいすからねー。学兵のローダーは後回しなんで」
この間の戦闘からの帰投機整備で彼らが目の回るような忙しさなのは知っている。いつもの技術上官なんて姿も見えないし。
「いっそ皆全損だったらバラすだけなんで楽なんすけど。中途半端に直りそうなヤツが多いのはほんと勘弁すよ」
「……」
頼むから命ぎりぎり戦ってなんとか戻った兵士にそれは言わないであげてほしい。
「そんなわけで、今日は諦めてもらうしかないすねー」
僕はそうですかと答えた。
「ていうか、そんな早く乗りたいんだったら、自分で自分のローダーの清掃ぐらいしに来いっすよ」
技術官のお兄さんは案外容赦がなかった。
というわけで、僕の授業復帰はまさかの「訓練で乗るギアローダーがありません」スタートになった。仕方ないので担当の教官へ申告しに行く。話を聞いた教官は、短く顎を振って遠くのグラウンドを示した。そして一言。
「走れ」
うわー。うーわー。正気か。だって、今日の午後は半日訓練。え、僕に午後一杯走れ、と?
「早く行け」
残念ながら教官は正気で言っているようだ。これはたぶん半日訓練からの合流になった僕の運が悪いんであり、もしかしたら日頃の行いが超悪いのは僕だったかもしれない。ごめん、先輩。
昔の季節は四季なんて呼ばれてことごとに変化し彩りを添えるものであったらしい。今現在の僕が知っている季節は三つ。昼間が
日差しの照り付けるランニングロードは熱に踊らされ揺らめいてみえる。どんだけチンタラ走ったところで暑いものは暑い。息が苦しい。体が重い。心臓がバクバクいってる。横っ腹痛い。あー、チグリスだったらこんなにならないのに、と思う。
思えば入学当初にひたすら走らされて随分と体力はついたので、こんなにマラソンをしんどく感じるのは久しぶりでもある。なんでだ。と考えて分かった。
遠足中はずっとチグリスで快適移動してたし、早朝訓練すらなかったし、戻ってからは病室のベッドに縛り付けられていたし、ほんの数日で僕の体力はガタ落ちしたらしい。走るのがしんどい。
その上、僕の脳ミソは空気読まずに生身の体へ「チグリスのように走れ」「息なんぞしてる場合か」と命令し、体は体で「なんで毎日食っちゃ寝できてたのにもうできないの?」「またあれがしたい」と主張。両者は対立、僕の中でプチ戦争状態だ。そして「両者いい加減にしろッ」とキレている僕は、頭でも体でもないなら果たして一体何なのか。
ただのマラソンでアイデンティティ喪失問題に直面するとか、もはや意味が分からない。
だいたい戦闘はほぼチグリスなんだから僕本体の体力は何ら関係ないわけで、むしろいっそ細っこくて小さい軽い体の方がチグリスの燃費によろしい。軍に体力至上主義を持ち込んだやつ誰だ。
ようやく訪れた途中休憩の時間、僕は隅の日陰で突っ伏した。これでやっと半分? 嘘だろ。
とにかく地面にべっちゃりくっついて目も閉じひたすら体力回復に――
「アオイ!」
突然ぐわあと引きずりあげられて、むぎゅうと抱きつかれる。うわあ。
「無事だったんだな!」
面倒くさいから目は開けてないけど、まぁ間違いなくアルだ。数日ぶりに会う友人は僕のへばり具合にお構いなしである。
「なかなか戻って来ないから、お前も死んだのかと思った」
アルはぎゅうぎゅう抱きしめてくる。そうされると、なんていうか、昨日抱きしめた皇女様の感触がアルで上書きされるようで、いやほんと迷惑だな。あれは事故みたいなものだったから、たぶん二度とないというのに。
「死ぬわけないだろ、失礼だな」
ぐいぐいと押し返しながら答える。それにしても、アルの体は思っていたより柔らかい。シャワーで見かけたアルは筋肉質のいい体だったから、てっきり固いものと思っていたけど。……皇女様と変わらないってどういうことだ。目を閉じてたらいっそ皇女様かもしれない。なんてことはない。
「そう言うなよ。ちょうどお前が遠足に行ってる間にでかい襲来があったんだからさ。もし巻き込まれてたら、危なかったんだぞ」
ぐいぐいするの疲れた。アルを振りほどくのは諦めて、僕は大人しくされるままになる。
「うちのクラスにも帰ってこなくなったやつ、いるんだからな」
もし巻き込まれてたら。いや、めっちゃもろに津波食らったけど。それで帰ってきたけど。言わないでおこう。
基本的に学生には戦況とか作戦内容とか、それこそ遠足の行き先日程ですら本人以外には知らされないから、僕が言わなきゃ誰にも知られることはないのである。
「……アルの遠足、そろそろだっけ?」
確か前に聞いたアルの初遠足予定は、僕の遠足より少し後だったはずだ。
アルはぐりぐりと僕の頭で遊ぶ。
「ああ、その予定だったけど。今回の戦闘の影響で変わるかもしれなくて、待機になった」
そうか、それは良かった、と僕なら喜ぶところだけれど。「初陣おあずけ」と言うアルの声はどこか寂しそうで無念そうで、もしかしてアルは早く戦場へ出たいんだろうか、なんて僕は思う。
「っていうか、さっきからぐりぐりぐりぐり、なんなんだよ」
さすがに鬱陶しくてアルの手を強く払う。アルは笑った。
「いやあ、無事初陣に出て、そのタイミングで襲来食らって、それでちゃんと帰ってきたアオイの強運に俺も与ろうかと思ってさ」
悪いことは言わないから、それは止めとけ。
「あ、あとアオイに教官から伝言。終業後に出頭しろってさ」
そういう大切なことは先に言え。
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