第36話 深更
突然、僕はでっかい変なモノに繋がった。煮え立つような画とも数ともつかないデータに襲われて、僕の全部が絶叫をあげる。
駄目。ストップ! 無理無理。変なやつが、変なのが僕になろうとしてる。
それですぐに情報は止まった。そのあたりのコントロールはちゃんと利いていて、なんとも素直だ。静かになった中、なんか凄かったなとだけ僕は思う。遥か遠くまで自在に視られそう、そんな感覚だけが残っている。たぶん使えたら便利なんだろうけど。駄目だ。全然どうにかなる感じがしないし、無理してここでひどい頭痛になったら困る。
一息つこうとぼーとしていたら、チグリスからの警告。僕本体の聴力にストレス値が蓄積中。なにかを僕の体がうるさがっているらしい。そういえば周囲の情報は全部切っちゃってたっけ。なんだろうと外を覗いてみれば、“先輩”(生身)がチグリスを棒でガンガン叩いていた。うわあ。
「……なんですか?」
外に向かって声を飛ばす。チグリスには喉がないから合成音声だけど。
「なにじゃねぇよ! お前がなにしてんだよ!」
「……え。や、別に」
ちょっと中ではいろいろあって叫んでたけど、声になったわけではないし。外から見たら普通だったはず。
「嘘つけ。今のお前だろうが! 勝手に回線へ繋いでノイズ飛ばしやがって!」
おや。そんなはずはと思いつつ、ログを漁る。そうしてみれば……うん、僕はやらかしていた。
隊の通信どころか他隊や本部や手当たり次第へ無理矢理繋げて悲鳴をぶちまけてあった。その結果、現在軍の半分が混乱中。やばい。
幸い隣にいた“先輩”以外、僕の仕業だとは気づいていない。こ、痕跡消して証拠隠滅!
「すみません、操作ミスったみたいです」
そして“先輩”は軍が混乱してることに気づいていない。普通そんな広範囲に通信をジャックできるわけがないからだ。
「まったく。故障じゃねぇな?」
故障じゃないです。
「あと、ボケッとしてんなよ、お前」
僕が応答しなかったから相当な間叩いていたのだろう。
「はい。すみません」
“先輩”は怒っていたけど、それ以上グチグチ言うことはなかった。
「以後気をつけろ。ついでに交代だ。お前はちょっと休め」
笑い方が小悪党な割にいい人なんだよな、この人。そろそろ“先輩”ではなく先輩と呼んでいいかもしれない。
僕は居住区の外へ来て、生まれて初めて地平線に沈む夕日というものを見た。
橙色に融けそうな玉がゆっくり大地に身を沈めていく。僕は夕飯を摂りながらそれをずっと眺めていた。なんて美しいんだろうと思う。空が朱に染まり、徐々に紫の帷が落ちていく。こんな綺麗なものが毎日繰り返されているだなんて、僕は全く知らなかった。
ふと皇女様のことが思い浮かぶ。彼女はこれを見たことあるだろうか。基地からもこの光景は見られるだろうか。というか、あの人は今頃どうしてるだろう。……僕が留守の間も僕の部屋に居座ってるのか……?
「白チビ!」
見張りについている先輩から声が飛んでくる。
「夜になると視界が悪くなるが、白ピカは見張りできるか?」
チグリスは夜目が利くというか、夜でも昼と変わらないほど視える。どういう仕組みかは知らない。
「大丈夫です」
「寝こけたりしないだろうな?」
チグリスは眠くならない。思考は疲れるが、休憩の短い仮眠ですぐ回復する。
「しません」
「よし」
先輩が満足げな声を出す。それは合成音声ではなく、つまりアピスは少なくとも完全な神経接続ではないんだろう。そして僕の足下に転がる空いた酒瓶。……晩酌したのか。あんたこそ大丈夫か?
なんて言うのはベテランの先輩に失礼である。もちろん僕はちゃんと黙って言わないでおいた。
ちょうど真夜中頃のことだった。
特に疲れも眠気もなく、ただひたすら飽きと戦う僕の監視ターン。少しでも暇を潰そうと僕はあれやこれや試していた。
あの変な衛星とかいうのは使わず、チグリスが収集できる不可視データを活用して索敵範囲を広げる方法、である。まぁでも魔法でもあるまいし、そう簡単に事は運ばない。チグリス単体の能力では、どうがんばっても10キロが限界のようだ。ちょっと伸びたけれど、……誤差みたいなもんだ。
チグリスが言うには、もっと高いところへ登ればもっと簡単に範囲を広げられるという。そもそもの8キロというのは、地表が球体であるために発生する物理的限界、とのこと。……なんで地面が丸いと限界になるんだろう? 帰ったら調べなければ。
そう思いつつ見張りをしていたときだ。
10キロ先で異変が起こった。
夜の索敵は“見えている”というわけではなく、動くものを“察知している”状況。でもその異変は動くものがいる、のではなかった。
言うなれば、地面が動いている?
地震。なわけない。とりあえず僕は
「……どした?」
低い、けれど確かな声がすぐに返ってくる。
「異変、だと思います」
あまり自信はない。先輩はローダーを起動してすぐに来た。
「遠くなんですけど。地面が動いてるみたいっていうか」
「遠くか」
すっと片膝つきになったアピスが遠くを見つめる。なにか飛ばしているのか、センサーにリィンと澄んだ障りが走った。
「……白チビ。隊長を呼べ」
遠くから目を離すことなく先輩は言った。
「まだ分からないが。恐らく津波だ」
津波。現場の兵士が使う隠語。つまり、地面を覆い尽くすほどのスカイデーモンが押し寄せてくる、そういう状況。
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