第16話 草原
見渡す限り一帯が草に覆われた平野だった。頭上には青い空が広がっていて、頬には穏やかな風を心地よく感じる。
僕のシミュレーションの話だ。草っぱらに立っている僕は、さっきまでの訓練服ではなく着慣れた私服である。そして、見渡す限り他に人も物もない。
どういうことだろう。ギアローダーのシミュレートだというんだから、てっきりギアローダーに乗ったりするものだと思っていた。
おかしいなぁと思わないではなかったけれど、でも僕はこんな視界一杯に草が生え繁っている景色など見たことがなかった。膝丈の草を踏み分けて僕は歩き出した。
なんとも美しい所だ。草ってのはこんなにも綺麗なのか。居住区にこんな緑溢れたところはないし、それが当たり前だと思っていた。けど、こんな風景も悪くない。折角なのだから誰かが一緒にいたら良かったのに。視界の隅へひらひらと飛んできた小さな虫のようなものを見ながら思う。
そこで急にシミュレーションは終わった。暗転ののち、狭い筐体内部が視界一杯を占める。そのあまりの落差に僕の頭はくらくらした。
「あれ? 君、設定をいじりましたか?」
不意に覗いた教官が訝しげに問う。設定? 僕はなにもいじってなんかいない。慌てて首を振った。
「そうですか。でも擬似パターンが別なのに変わってますね」
ギアローダーのシミュレーションではなかったでしょうと確認され、恐る恐るうなずく。
「変更は無意識ですかね。普通変えられるものでもないんですが。なかなか興味深い」
装置を触りながら教官が漏らすのを僕はぼんやりと聞き流す。
「ともかく検査の方は完了してますし、まあいいでしょう。君も外へ行きなさい」
僕は外へ追いやられたが、怒られずに済んで助かったのだろう。
なんでこんなことになったのか、僕は走りながらつらつら考えた。
あのシミュレーターにしろ、ギアローダーにしろ、そして基地のあちこちにある機械仕掛けのシステムにしろ、どれもこれもが旧世代の遺物である。最早原理も技術も失われ、僕らはただその上澄みを拝借しているにすぎない。新規製造はおろか、修理だって破損部品を換装するぐらいが関の山で、遺っていたそれらをただ動かしているだけにすぎないのだ。幸いなことに、どうやら作った人間たちはとんでもなく頭が良くて親切で、仕組みが分かっていない僕らでもなんとなく動かせるユーザビリティなのである。
ただ、どうしようもない問題もあった。ほとんど全てのロステクマシーンには使用者制限のロックが掛かっている。どれもこれもフルに能力を発揮したらとんでもない威力を持つのだから、昔の人が使用者を限定していたのは当たり前なのだろうが。
なんにしろ、現代人に制限を解除したり新たに権限を付与したり、なんて小器用な真似はできない。というわけで重要になるのが、適性率ってやつである。
適性なんて言葉を使っているが、要はご先祖がどれだけ権限を持っていたかってことだ。物によっても違うし、詳しいことを僕らが知るすべはないのだが、使用権限はちゃんと血縁で相続されているものらしい。と僕らは解釈しているのだけど、本当は全然違うなにかなのかもしれない。
そして、なんの因果か、僕の適性率は全体的に高い。要は人より自由に使える。一体僕のご先祖はなんだったのだろう。まさか本当に英雄だっただなんて妄想を信じるつもりはないけれど、そこそこの人物だったか、あるいは修理工でもしてたんだろう、きっと。過去との連続性を失って久しい僕らには知りようがない。
そんな適性の高い僕は、シミュレーターに対しても強権を発動できるらしい。僕の無意識下にあったほんの僅かなギアローダーシミュレートに対する忌避感をシミュレーターさんは察知、僕のために綺麗な景色体験へ変更してくれたんだろう。親切なことだ。
それから数日、あの時の適性検査結果が出てきた。小さな紙片に各種ギアローダーにおける適性率目安が並んでいる。この結果は搭乗するギアローダーの決定に大きく影響するから、僕ら新人には非常に重要だ。
出席番号順に紙片を受け取る。僕は結果をちらりと一瞥してからすぐに折ってポケットへしまった。うっかり他の人に見られたくはなかった。
その授業が終わると、にわかにホームルームは騒がしくなった。結果に一喜一憂したり、親しい人と見せあったり、気になるあれやこれやを話し出す。そして、僕には無遠慮な興味本位の視線が突き立てられる。以前アルが英雄の孫だと口走ったことを覚えているやつらが、僕はどうだったろうかと探る視線だ。
万が一にも声など掛けられないよう、僕は拒絶の空気を懸命に纏う。しかし、ものともしないやつが一人いた。
「アオイ!」
後ろからアルに首へ抱きつかれ、僕はめちゃくちゃびっくりした。
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