第14話 同棲

「……」

「……」

「……」

 無言の間でさえ三人分あるようで、僕はひたすら冷や汗が止まらない。

「……アオイ、くしゃみした?」

「え、あ、うん。僕がした」

「嘘つけ。してないだろ、お前は」

 呆れたようにそう言ったアルは、視線をクローゼットへ向ける。

「誰か来てるのか?」

「いやいやいや。誰もいないよ」

 ふうんと呟くアルは、例の察知能力でなにを読み取っているのか。

「へくちっ」

 最悪のタイミングでまた皇女がくしゃみをやらかしやがった。

「……俺、帰った方がいい?」

 アルが立ち上がる。強いて暴こうとせず、気を使ってくれるところがなんとも親切だが。これ、誤解されてないか。その誤解をネタとして話されるのも、僕は十分困る。

「いや、違う。違うんだ。だから、えっと、すみません、話を聞いてください」

 僕は洗いざらい話すことにした。あらましを簡単に説明し、クローゼットを開陳する。

 姿を現した皇女様が仁王立ちでふんぞり返り、アルは目を丸くした。

「ふむ。お前がアル・ミヤモリか。よし、特別に拝顔の栄に浴することを許す」

 くしゃみをやらかした人がとても偉そうです。

「し、仕方なかろう。お前の服が汗くさくて埃っぽいのが悪いのだ」

 まあ、今日の訓練で僕はグラウンドを二度ほど転げ回ったからね。

「ええい、汚れた服をクローゼットへ仕舞うな」

「ええと」

 躊躇いがちにアルが口を挟んだ。

「入学式のときの、皇女殿下って人?」

「ああ、そうだ。私はエマニュエル・ル・メルダ皇女。この部屋の備品だ」

「はあ」

 アルは僕と皇女殿下を交互に見た。

「つまり、ここで二人は同棲してる?」

「同棲ではない!」

「同棲じゃない!」

 うっかり皇女様とハモってしまった。これでは仲良しみたいだ。

 アルが「あっ」と声をあげる。

「もしかして。あのチョコレートをくれたのは、皇女殿下様ですか?」

「うむ、確かに私はアオイ・カゼにチョコレートをくれてやったが」

 皇女殿下はのたまう。

「しかしそれをお前に分けてやったのは、アオイ・カゼ本人の意思だ! お前と友達になりたかったからだな!」

 なに事実を捏造してやがる。そしてアルも違うから微妙な顔でこっち見るのやめろ。

「ともかく、チョコレートすごくうまかったんで。ありがとうございます」

「む、そうか?」

 真正面から礼を言われた皇女様は、やたら照れてにまにま締まりのない顔になった。

「そうか。そうか。しかしあの少量を分けたのでは、一口程度だったろう」

「いえ! その一口で新しい扉開いちゃいましたよ、俺」

 やや謙遜する皇女様に褒め称えるアル。そのやりとりに、半分にしろと言われたチョコを一口しかやらなかったことがバレるかとひやひやさせられる。

 しかし、皇女様とアルが楽しげに話していると、なんだか僕は面白くない。僕だけ置いてけぼりをくったみたいだ。

「ところでさ。僕、早く覚えないといけないんだけど」

 イライラしながらそう言うと、アルは「そうだった」とすぐさま冊子を手に取り勉強の体勢になった。それを皇女様まで一緒に覗き込む。

「ふむ。ギアローダーか。同じ備品繋がりで私も多少は詳しいぞ。教えてやろうか」

「いいです。お願いだから邪魔しないで」

 自分でもちょっとびっくりするぐらいきつい声が出た。気分を害した皇女様は顔をしかめ、しかしなにも言わずロフトの梯子を上っていってしまう。今のはまずかった。声を掛けるべきか迷っていると、隣でベッドを見上げたアルがぼそりと言った。

「……一緒に寝てるのか?」

「っんなわけないだろ」

 どういう思考回路してるんだ。

「いやだって。エロマンガのシチュみたいだし」

 ドキッ平凡な僕が備品の皇女殿下と突然ラブラブ同棲生活!? なんじゃそりゃ。僕はエロマンガとかお目にかかったこともない。

「え、貸そうか?」

 まじで……じゃなくて、エロマンガとか持ち込んでるのか、こいつ。勇者か。

「あ、部屋に皇女殿下様いたら読めないか。今度俺の部屋に遊びに来いよ」

 まじか。持つべきものは友だな。いや、こいつは友じゃないけど。

「ば、バカなこと言ってないで、ほら、さっさと覚えないと」

 僕は冊子に目を落とす。これ全部覚えろとか、とんだ無茶だ。教官もどういうつもりなのかと正気を疑う。

「そりゃ教官も無茶は承知、俺らが覚えられるとは思ってないだろ」

 アルが呑気に言う。

「無茶な課題で失敗させて、ぶん殴る口実がただ欲しいだけだろ、こんなもん」

「……不条理」

 絶句する僕の横でアルはカラカラと笑った。

「大丈夫だって。こういうのは、だいたい名前も特徴もなにかしら法則性とかあるからさ。全部覚えなくても、なんとかなるって」

 そう言って僕に読ませながら、アルは要領よくポイントでまとめていった。なんていうか、アルはずいぶん頭が良いんじゃないだろうか。ちゃんとやればすぐに文字の読み書きだって覚えられるだろうに。

 そして、ふと僕は思う。アルが僕のところへ来た理由。文字が読めず困ったのは本当だろうが、でも僕以外にも頼れるやつなんかいくらもいたに違いないのに、敢えて僕のところに押し掛けたのは。 僕が一人で暗記に四苦八苦してやしないかと心配して来たから、ではないか。

 どうやらアルは良いやつだ。僕はうっかりこいつと友達になってしまうかもしれない。

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