第6話 備品
クラスにまったくなじめないまま早数日。そろそろもうどうにでもなれという投げやりな気分になってきた。
皇女殿下はというと、相変わらず自由な感じで部屋、おもにベッドで毎日くつろいでいらっしゃる。この人には日課とかないんだろうかと思うほど、朝も晩も好き勝手ゴロゴロ過ごしている。
かといって僕は皇女様へまったく強く出れずにいた。というのも、誠に遺憾ながら現状僕がコミュニケーションを取れる相手がこの皇女様しかいないからだ。
朝起きれば(皇女殿下がお目覚めになるのは、僕らの起床から遥か遅い、早朝訓練も朝食も終わった頃だが)やや眠たげなお顔の「おはよう」。終業で部屋へ戻れば明るい声の「おかえり」。夜の自由時間には「学校は慣れたか?」なんて気軽な口調の雑談。消灯には小さな欠伸混じりの「おやすみ」。こんな調子で僕の一日の会話の90%は皇女殿下が相手である。残り10%は点呼と授業中の回答だ。なお、これらの会話以上のスキンシップ、ラッキースケベの類いは一度たりとも起きちゃいない。
別に僕もなにも努力しないでいたわけではない。出来る限り周りの同期生を観察して情報を集めてはいた。その結果分かったのは、備品に殿下が紛れ込んでいるのは僕の部屋だけであり、どう考えても異常、という今さらな事実だった。
異常なら寮監や教官らによって正されそうなものだが、どうしたことか皇女殿下に関してのみ彼らは無視を決め込んでいる。いや、皇女様の存在を無視しているわけではない。一様に皇女殿下の我儘を黙認し、僕の疑問と不満を黙殺している。なにか暗黙のルールでもあるらしい。せめて僕にもそのルールとやらを教えてほしいものだ。
どこにも助けを求められない僕に残されたのは、正面突破のみ。僕は、腹を括った。
「……あのちょっと、殿下」
下からベッドの皇女様に呼び掛ける。なんと呼んだらいいのかも分からないから、とりあえず殿下呼びだ。ベッドの上で寝そべって雑誌をお楽しみだった皇女様が動く気配。
「なんだ。自分から話しかけてくるとは珍しい」
ベッドから覗いた顔はにやにや笑いをしていたが、床に正座した僕を見て殿下は真顔になった。
「どうした?」
「殿下は……一体なんなの?」
一瞬の困った顔。しかしすぐさま強気に唇が弧を描く。
「備品だ。何度もそう言っておろう」
そんな答えが返ってくることぐらい、僕だって予想している。そこを議論しようとしても無駄だということも、もう分かっている。だから百歩譲って
「備品だっていうのは分かった。けど、なんのための備品なのかってこと」
「なんの、ため?」
「備品って、なにかに必要だから備えてある品、だろ。殿下はなにに使うための備品なのか、教えてよ」
「つか、う?」
思わぬ問いに戸惑い、そして。なぜか皇女様の可愛い顔が真っ赤に染まった。
「お前、つ、使うって。私を使うって、な、なにを妄想、してる! この、は、破廉恥!」
……ん? 破廉恥? あ、使うって卑猥な意味に取られた……?
「え、ちが、違う。そういうんじゃ、ない!」
「嘘だ! この変態! スケベ! ふしだら! むっつり!」
本当に違う。誤解だ。まったくこれっぽっちもエロい意図はなかった。それなのに赤くなって叫ぶ皇女様に僕は慌てる。
「ちょ、やめ! そ、そっちが勝手にそう受け取っただけだろ。むしろエロいのはそっちだ!」
「なにぃ!」
皇女殿下の目と眉が吊り上がり、憤怒の表情になる。美しい人は怒っても美しいのだなぁなんて思う間もなく、ベッド上段から皇女殿下が飛び蹴りを繰り出した。フォームのお手本のように綺麗なそれは、僕の顔面へまっすぐ飛び込んできた。避ける間もない。まともに食らった。
「ごふう」
蹴り倒されて固い床へ叩きつけられる。
「はッ。参ったか! 覚えておけ、私へ手を出すことはおろか、勝手な妄想で辱めることも許さんッ!」
マウントを取った状態で勝ち誇る声が聞こたような気もしたが、正直僕はそれどころではない。顔面と後頭部と背中と尻と手と、とにかく全部がとんでもなく痛い。
あとなんか、むにゅりと柔らかいものを上に感じているような気もしたけれど、僕はこれをラッキースケベと思えるほどお気楽では、ない。
さて、殿下。降参するのでお願いします許してください。
翌朝、僕の顔は青たんどころか見るも無惨に腫れ上がっていた。そのおかげだろう。僕の座席の周囲の無人空間が、ちょっと広がった。
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