皇女殿下と僕の約束。

たかぱし かげる

クローゼットの皇女殿下

第1話 出会い


「寮内生活規則はこちらのしおりの27ページから139ページに記載があります。よく読んでください」

 どすんと手渡された生活のしおりは分厚かった。僕は「はぁ」と気の抜けた生返事を返す。だって、どうがんばったって、やる気一杯に規則を読んだりはできない。

 真面目が息をしているような寮監は、ひどく事務的に話を進める。いや、本当に職務に忠実な人であるなら、僕のような反応を放置していいわけがない。こういう人をなんと言えばいいのだろう。分からない。

「ここがこれから四年間使用する部屋です。入室後は荷ほどきをするより前に、すみやかにしおりの16ページに記載されている備品が揃っているか確認してください。そしてもし不足があれば直ちに申し出るように。後日の申告は紛失として扱います」

「はぁ」

 僕のやる気は現在留守にしているようだ。

「それでは、なにか質問は?」

「……備品を紛失した場合って、どうなるんです?」

 質問は特にありません、という反応を予想していたのだろう。寮監は僕の質問にぴくりと口許を動かした。

「それは、当然弁済していただきます。詳しくは生活規則にありますので参照してください」

 分かった。この人、余計な仕事はしたくない系の人だ。規則にうるさいようでいて、自分の仕事が増えないことには目をつむる。あるいは自分の仕事が増えないように目をつむる。きっと、そういう人。

「分かりました。ありがとうございます」

 入寮手続きはだいたいそれで終わりだった。一人部屋へ入った僕は、重かったカバンを下ろして息をついた。

 この兵学校で四年間お世話になる部屋ということだが、なかはせいぜい二坪程度の狭さだ。下が机になったロフトベッドでほぼ空間は占められている。あとは空の本棚が一つにクローゼットだけ。

 それでも個室があてがわれるのだから、待遇としては悪くないのだろう。

 僕は分厚い生活のしおりをくって備品のページを探す。これだけシンプルな部屋だ。記載された備品の一覧はやはり少なかった。

 大きな家具類は先の通りで。あとは目覚ましだとか電気スタンドだとか掃除道具だとか、ちまちまと書かれているばかり。弁済など当然したくはない。僕は一応ひとつひとつ確認しておくことにした。

 カーテン。カーテン留め。枕。敷布。掛布。シーツ。問題なし。あと残すはクローゼットの中だけか。衣装ケース、ハンガー類、殿下。……ん? 殿下?

 備品の最後に書かれた「殿下」の意味が分からない。なんだろうか。

 首をかしげつつカラカラとクローゼットを開ける。ちんまりと女の子が三角座りして収まっていた。あとは、衣装ケースとポールにかかったハンガーが四つ。

「……は……?」

 きらきらと輝くような金髪は緩くウェーブしていて。長い睫毛に縁取られた目は勝ち気そう。色艶のよい頬は薔薇色に染まり、柔らかな曲線から尖った顎へ美しいラインを描いている。光沢のある銀のドレスはフリル一つなくて女の子らしい丸みを帯びた体のラインを描き出していて、ほっそりした手足が対照的に見える。

 綺麗な子だった。

 伏せがちだったおとがいが上がり、エメラルドみたいな瞳が僕の顔を見上げた。

「お前が、アオイ・カゼか」

 小鳥のさえずるような声。彼女の口からアオイという僕の名前が出てきたことに驚く。

「……うん。ええと、君は?」

 可愛らしいピンクの唇が弧を描いた。

「私はエマニュエル・ル・メルダ皇女。この部屋の備品だ」

 備品、殿下。そうか。幸いなことに、記載の備品に不足はないらしい。

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