あんたに任せたい

「テンポをちゃんとキープしてほしいのです!」


 学校祭に向けて吹奏楽部は練習中だ。滝田聡司たきたさとしがドラムを叩いていると、後輩の貝島優かいじまゆうが聡司に向かって言ってきた。


「先輩はノってくるとだんだん早くなる傾向があります! それはいけません!」

「はいはい、わかったよ……」


 せっかく気分よく叩いていたところに水を差された形だ。ため息をついて、聡司はテンポを落とした。

 優は真面目な性格だ。基礎練習は常にメトロノームと一緒。小柄だからこそ、それをバネにして大きな音を出す術を研究しそれを実践している。

 そんな性格なので、彼女は部内では実力派で通っていた。多少当たりが強いのが難だが、それを補って余りある技術力を確かに優は持っていた。


 ただ、なにか物足りない。


 彼女の演奏を聞いたとき、聡司はいつもそう思っていた。機械並みのテンポキープ。芯を突いた迫力のある音。それは確かにそうなのだが、それだけだとつまらない・・・・・。どうしてもそう思ってしまうのだ。

 それが妙なひっかかりとなって、聡司は優のように練習するのには抵抗があった。それがさらなる齟齬を生んでいるのはわかっていたが、自分ではどうすることもできなかった。


 テンポキープ。テンポキープねえ……。

 だから何? という感じである。打楽器奏者としては確かに重要な要素であるのはわかっていても、それをやったらなにかもっと大事なものを見落としそうな気がする。そんな気がしてならなかった。


 でも、それがなんだかは、なんとなくしかわからない。

 なので後輩に言われても、なにも言い返せないというのが実情だった。年下の女の子に対して強く出られないというのもあったけれども、なにを言ったらいいのかわからない、それが一番大きかった。


 あーあ。こんなんで先輩たちがいなくなって、ちゃんとやっていけるのかな……。

 聡司はもう一度ため息を吐いた。今度の学校祭で三年生は引退だ。その後は、残された自分が打楽器のパートリーダーになる。しばらくは優と二人だ。このガミガミ言うちびっこと、どう付き合っていけばいいのだろう。

 そんなことを思っていると、聡司の前に一枚の楽譜が差し出された。


「はい、滝田。学校祭でやる曲。ようやく楽譜来たよ」

「あ、はい」


 打楽器の三年生神鳥谷江美ひととのやえみから、聡司は楽譜を受け取った。学校祭でやる曲はほとんど楽譜をもらっていたのだが、これだけまだもらっていなかったのだ。今までやったことのないものだったらしく、手配に時間がかかったということだった。


 楽譜を見る。「シング・シング・シング」と書かれたタイトル。その下に印刷された、刻まれるべきタイムライン。


「ジャズだよ。なんかあたしら、真面目なのしかやってこなかったからね。最後くらいぱーっとやりたくてさ」

「へー……」


 楽譜を追いながら、聡司は江美にそう返事をした。ジャズか。そういえば今までやったことがなかった。

 三年生たちがやりたいというのなら、後輩としては従わざるを得ない。というかむしろ、吹奏楽の真面目なのより堅苦しくなくて、いいのかもしれない――


「……って、これ、ドラムの楽譜じゃないですか。ジャズのドラムって重要なんでしょう? 先輩がやるんじゃないんですか?」


 譜面から顔を上げ、聡司は江美にそう言った。先輩は苦笑交じりの笑いを浮かべ、聡司に言った。


「滝田。あんたがやって。そのドラム」

「え?」

「あんたに任せる」

「ちょ、ちょっと……」


 そんな重要なものを任せられるほど、自分は上手くない。そう思って聡司は拒否しようとしたのだが、江美は楽譜を受け取ってくれなかった。


「そんな大事なもの、オレじゃなくて貝島に任せれば」

「あの子は駄目」

「駄目って……」

「というか、あの子『じゃ』駄目。あたしは、あんたに任せたいの。滝田」

「ええ……?」


 聡司は再び楽譜を見た。今までやったこともないようなリズム。なにも書いていない即興演奏フィルイン。なんだこれは。どうすればいいんだ。


「楽譜通りやらなくてもいいよ」


 戸惑う聡司に向かって、江美は告げる。

 それは奇しくも、聡司が一番望んでいたことだった。


「自由に叩きな」


 先輩はそう言って、笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る