第二九段 弁天の浜
長崎は三方を海に囲まれており、それこそ、海辺には何不自由しない土地である。
そのため、多くの釣り場があり、休日・平日を問わず釣りに出る人が散見される。
しかし、海水浴場に恵まれていえば、そのようなことは決してなく、むしろ少ない。
そのため、長崎市内で大学生が海に行くといえば、弁天白浜へと集中する。
弁天白浜は山を越えて文教町の対角にあり、小江原という長崎でも有数の団地の先に存在している。
とはいえ、そこはさすがに長崎であり、坂とさかとサカを過ぎた先にあり、到底、徒歩で行くことができるような場所にはない。
それこそ、漁師町と大きな差はない。
むしろ、都会の人からすれば漁村の原風景としてしか映らないだろう。
実際、この砂浜に存在するものは何もない。
いつ訪れても一組で、数人の若人が海の方を向きながらはしゃぐ様子と靴の中に入ろうとする砂とに嫌悪感を感じるだけであった。
それでも、一人で何度か訪れるうちに、「虚しさ」は「あはれ」さへと変わった。
私はそこで泳ぐようなことはしない。
ただ、粛々と時をこなしてゆくのみである。
波の動きはどこか漠然としており、それを空ろの中で見つめると、溜まり溜まった澱のようなものが静かに揺れて流れてゆく。
遠雷や 光もなしに 海を行く 静かに開く 岩肌の貝
また、夏を外して行けば、それこそ厳しい風が肺の中へと吹き込み、脳がクリアーになっていく。
何かを決断するとき、考えるとき、様々な場所に行くが、仕事で考えが煮詰まった際には、ここに一人できた。
そして、一つ一つを進めたのである。
海行かば 思いに一の 縛りなく 潮騒に向け 放つ決断
今でも、海を眺めることはある。
ただ、その情景は『弁天』ではない。
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