第二六段 浦上の鐘
文芸観という部分から高校時代を振り返った場合、私は再び浦上の地を語る必要がある。
幼少期の「浦上」と青年期の「浦上」とは全くの別物である。
幼少期における浦上はあくまでも、「原爆」という「歴史」の土地であった。
それが高校生となり、文芸を以って思考してゆく中で、原爆は私の根源となった。
サヨクなぞと、蔑むのであれば蔑めばよい。
ただ、私にはこの『虐殺』が耐え難かった。
長崎と いう名は今も ここにあり あのあつきひの 燃える思いと
高二の頃の一首である。
この一首を先駆けとして原爆をテーマにした作品を創作するようになってゆく。
若人らしい、情熱に任せた訴えが次々と心の中から羽ばたいた。
長崎はあの『暑き日』に『熱き火』によって地獄と化した。
その不条理と事実に対する思いはやがて、私の中では、最も心血を注いだ作品へと繋がってゆく。
浦上の北方、平和記念像で有名な原爆公園には、その近くに平和式典で鳴らされる鐘がある。
原爆投下からの年数だけ、一分間の黙祷の間に鐘を鳴らす。
乾いた鐘の音は、しかし、八月の陽炎の中をかけてゆき、人々の心の中へと入り込んでくる。
あの日は、それを遥かに上回る熱気が覆い、様々な形で人からものを奪い尽くした。
それでも今、鳴る鐘の音は孤高にも訴えている、長崎の思いを。それを高二の秋に描いた。
そして、今の賛美される平和がどこから生じたものなのか、何が平和なのか、なぜ訴えるのか、なぜ祈るのか、なぜ戦うのか、なぜ現実はかくも悲しいのか、なぜ私はこの地に生まれたのか、誰が私なのか。
その思いを高三の私は長編詩とした。未だに、その答えは出ていない。
故に、浦上の地は今でも訴え続けている。
幾年を 一時とせん 年表の 上に滴る 我が熱き血潮
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