第三章 現長崎

第二三段 高田郷(こうだごう)

私の青年期は高田こうだとの出会いから始まる。


幼少期、という話をこれまでしつこくしてきたが、この小文を進めてゆく上では当然、それ以降の話も必要となる。

しかし、そのためには幼少期と青年期を分ける必要がある。

そして、それを『高田こうだとの出会い』、すなわち、高校入学を基準として行なったのである。

理由はいくつもある。

しかし、その中で重要なものは二つであり、自らの意志と責任において行動を始めた点と『影』をおよそ受け入れた点が青年と幼少を分けると考えたのである。

ちなみに、『影』とは今でも闘っているが、まあ、時として酒の席に迎えるほどである。


そのため、三章の始まりは母校がある高田こうだとした。

高田こうだは長与町の一部であり、本来は後段のように分けるのは好ましくはない。

それでも、そのように些細な部分は問題ではなく、『私』を描く上では必要不可欠の分化である。

そこで、この文における高田こうだ高田こうだ駅周辺の一角のみを差すこととし、北方は長与町役場の手前まで、南方は道ノ尾駅の手前までとする。

大雑把もいいところであるが、こればかりはどうしようもない。

事実、高校から帰宅の際に住吉辺りまで歩こうとした時、道ノ尾駅の手前にある『長崎市』の看板を見る度に、安心感があったものである。

家に帰れる、という私には到底似つかわしくない感傷である。


とはいえ、これだけの文を尽くしたにもかかわらず、高田こうだの周囲には何もない。

がっかりされる方も多い(事実、高校生には本来的につまらない場所である)だろうが、しかし、ここには『何もない』が存在するのである。

まるで、時がじ曲がって過去と近い過去の混在する世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

この錯覚が、私の文芸生命を決定したのである。


 青空に 時計の針は 狂いつつ 男溺れる 朧なる夢

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