第三章 現長崎
第二三段 高田郷(こうだごう)
私の青年期は
幼少期、という話をこれまでしつこくしてきたが、この小文を進めてゆく上では当然、それ以降の話も必要となる。
しかし、そのためには幼少期と青年期を分ける必要がある。
そして、それを『
理由はいくつもある。
しかし、その中で重要なものは二つであり、自らの意志と責任において行動を始めた点と『影』をおよそ受け入れた点が青年と幼少を分けると考えたのである。
ちなみに、『影』とは今でも闘っているが、まあ、時として酒の席に迎えるほどである。
そのため、三章の始まりは母校がある
それでも、そのように些細な部分は問題ではなく、『私』を描く上では必要不可欠の分化である。
そこで、この文における
大雑把もいいところであるが、こればかりはどうしようもない。
事実、高校から帰宅の際に住吉辺りまで歩こうとした時、道ノ尾駅の手前にある『長崎市』の看板を見る度に、安心感があったものである。
家に帰れる、という私には到底似つかわしくない感傷である。
とはいえ、これだけの文を尽くしたにもかかわらず、
がっかりされる方も多い(事実、高校生には本来的につまらない場所である)だろうが、しかし、ここには『何もない』が存在するのである。
まるで、時が
この錯覚が、私の文芸生命を決定したのである。
青空に 時計の針は 狂いつつ 男溺れる 朧なる夢
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