第五段 丸山考察
丸山のことを思うたび、私には一つの疑問を抑えることができなくなる。
それは丸山遊郭についてであり、なぜこの町を「破壊」してしまったかである。
長崎には「女」がいない、というのは自説である。
このように述べると、誤解を生んだ上で非常に冷たい目で見られることとなるが、ここで言う「女」とは、遊女のことである。
つまり、単なる性交渉を動物的な次元から文化へと引き上げ、それを朗らかさと優しさで向かえるために必要な下地を作る存在がいないということである。
人間、特に男には本能としての「性」がある。
それは非常に暴発を起こしやすく、放置すれば人間社会というものは動物と同じ次元に落ち込んでしまう。
それを防ぐために考えられた機序が「風俗」である。
つまり、人間性と野性の彼岸を歩く男を、その限界で人間側に引き止め、さらには文化まで注ぎ込むというものが風俗なのである。
恋愛で、いいではないかという意見もあるだろうが、それは的を外している。
それは、恋愛自体がそんなに転がっている代物ではないからだ。
単純に男女が付き合えば恋愛となる、いわゆる自由恋愛が栄えている現代であっても、本式としての恋愛はほとんどない。
互いの心血と情熱を自分の外にある人間のためにすべて注ぐ、生命と智嚢の爆発が本当の恋愛なのである。
単に、「好きだ」という言葉を交わすのは馴れ合いに過ぎない。
恋愛というのは非常に強い幸運の下でしか生じないのである。
そのために、恋愛の代わりとして風俗というものが存在すのであるが、現代風俗はそうもいかないのである。
単純に男性の「性」を満たすだけではなく、文化を以って迎え入れる下地がないのである。
だからこそ、私は丸山の破壊が悲しいのである。
丸山に 仄かな香り 夢心地 浮世は玻璃に 映る黄昏
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