第一段 白糸

「男はつらいよ」でおなじみの寅さんは、だれしもが知るように葛飾の生まれである。

「私、生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天に産湯を受けまして……」と言えば、およその人には通じてしまう。

しかし、私の生まれは長崎白糸であり、このような口上とは無縁の土地である。


私の生まれ育った土地である白糸は、正しくは愛宕という行政区分に属する。

とはいえ、ここではそのような仔細を考える必要はない。

元々、愛宕という地名は愛宕山から、白糸という地名は白糸の滝からきている。

そうなれば、より近い白糸の滝の方に自らの祖はあるべきである。


さて、この私が生まれ育った土地である白糸は前述の通り、滝の名前からきている。

この滝は、今でこそ用水路の一部のようになり、目立つようなものではなくなってしまったが、以前はその美しさを讃えられていた。

それも、「白き糸」という最上級の賛辞によってである。

今でこそ、白い糸は一般に普及しているが、植物からとる糸の方が安価であったため、昔はとんでもない高級品であった。

貴婦人とでも称すべきであったろう。

ゆえに、この白糸の滝はその細さと清らかさで人々の心を洗ったのであろう。


それが、今ではコンクリートとアスファルトという、他の土地と変わりない現代病のような風景に変わってしまった。

流転は理であるために仕方のないことであるが、せめて水の流れでも分かればよかったものを、と考えずにはいられない。

少なくとも、母校校歌の中で「曇らぬ鏡」と言われたその美しさの一片でも味わってみたいものである。


 白糸の 滝の流れは 古の 霞の果てに 「現」の果てに


唯一の救いは、地名と人々のつながりである。

今でも、やや温かい人々の目が白き生糸のように、心を洗う。

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