第2話 月波早苗の婚活と虚飾

 アマビエによる説得でとりあえず早苗は外に出ていた。要するに自分の顔を周囲に見せれば良いのである。そこら辺を歩き回っていくのが一番。




 若干、昨日のアルコールでズキズキとした痛みを残したまま、早苗は漁港町を歩く。日曜日であるのもあって、買い物客がちらほら。




「これで良いんでしょ。」




「いいわけないだろう。」




 ぴしゃり、と言い返され、早苗は口を尖らせる。そりゃ命の恩人かもしれないが、人にはできることとできないことがある。アラサーで特に美人でもなければ取り柄も無い女が有名になるなんて難し過ぎる。女子高生とかならちょろいもんだったのかもしれないが。




 ブブブ、とジーパンの後ろポケットが振動する。スマホに何か連絡が来たらしい。手に取り、通知を一件確認。LINE広告。デートしたどの男からも連絡は来ない。ちょっと失礼でも黙ってにこにこと話を聞いて耐えているのに誰も早苗に興味を示さない。デート代は割り勘だし、見た目だってそれなりに整えているのに。あ、会ってすぐホテルに行こうと誘うような男はさっさとさよならしているけど。最初の頃は抱かれてみたものの、全員例外なく下手だし、多くは次が無く、あってもやっぱり体目的のままだったし。




 はあぁ、と溜息。この婚活アプリのまともそうな男達は皆サクラなんじゃないだろうか。30歳になるまでに別の婚活アプリに乗り換えた方が良いのかもしれない。




「何をぐずぐずしている。早く日本中にお前を広めるのだ。」




「しょうがないでしょ。有名になるって言ったって私には難しいのよ。」




 婚活アプリで頑張ってみても誰にも愛されない。婚活市場での価値自体は悪くないはずなのに皆消えていく。そんな女が注目を浴びるという事はあまりにも現実とかけ離れているように思えた。








 近所を少し歩いてから家に戻る。家では祖母が椅子に座ってテレビを眺めていた。お年寄りの絶対的なNHK信仰。何が面白いのか理解できない番組を熱心に眺めている。そういえば昨日も全く同じような画だった。




 早苗はうがいを済ますと、昼飯を作ろうと台所に立つ。引き出しを手前に引くと素麺や蕎麦の乾麺が収納されている。一瞬迷って、素麺を手に取った。




「昼は素麺でいいねー。」




 暑いし。祖母の同意を待たずして、鍋を掴み、洗い場の蛇口の下に置き、水を入れていく。こういう時に洒落た料理の一つでも作ってSNSに載せれば少しは愛されるのかもしれないが、その気力が早苗には残っていなかった。




「また、その機械、震えている。」




 不思議そうなアマビエの声。言われてみて、テーブルに置いておいたスマホに目をやる。今度こそ婚活アプリからのメッセージ。鍋に水を貯めたところで蛇口の栓を閉め、それをコンロにいったん置いてからスマホへと駆け寄る。




「……。」




 ごくり、と唾を飲んだ。タッチ。パスワードを入力してログイン。期待してはいけないと分かっていたものの、日常が変わるメッセージを求めていた。








 急いで素麺を啜って洗い物も片付け、はやる心を抑え、自室に戻る。頭にはぐるぐると綺麗な男の顔が浮かんでいる。都会の街中で撮影したらしい背景にキリリとした顔立ち、スタイル。どうも大手証券マンらしくスーツも高級そう。これは大物である。――いやいや待て待て。もしかしたらまたサクラかもしれない。




 一度深呼吸してみてからアプリのプロフィール欄に来た、いいね、という反応を確認。女性側がこの反応に対して相手と連絡を取るか決める。趣味は料理と釣り。その釣りが女を釣るという意味でなければ良いのだが。




 とにかく相手にチャットを解放してみる。




「何をしている。」




 アマビエの怪訝そうな声。早苗は声を弾ませて答えた。




「私のことを気に入った男性がいるって言うから話しても良いよーって会話できるようにしたの。」




「どこにもそんなことを言っている人はいなかったけども。」




 ふふふ、と早苗は笑いながら、相手の男性からの返信を待ちつつ、スマホや婚活アプリなどについて説明し始めた。








 そんな匿名の訳も分からないような男と会っても大丈夫なのか、という心配そうなアマビエの声に何とも言い返せず、男と約束した日時を迎えた。SNSを通しての彼の印象はなかなかに良かった。




『久々に東京行くから迷いそう』




『その時は僕が探し出すよ』




 何とも心強い返答。待ち合わせ場所は東京駅となったので、早苗はいそいそと自室で鞄の中を確認する。定期券、財布、ハンカチ。財布の中を念のため確認。万札が三枚。クレジットカードもあるし十分かな。鏡の中の自分は服も化粧も決まっている。ダイエットも短期間だけど頑張った。――よし。




「アマビエ、今日のデート中は絶対に身体を勝手に動かしたり喋ったりしないでよ。」




「様々な場所に行くのは有名になるのに大事なことだ。分かった。」




 東京に行くのは本当に一年ぶりとかだった。離婚した両親からはしょっちゅう東京に会いに来るように連絡が来るものの、何か無い限り、行く気にはなれなかった。




 片手に握ったスマホに視線を何度も落としつつ、彼女は鞄を持って部屋のドアを開いた。








 東京駅の丸の内駅舎。有名な写真スポットである円形状の天井を見上げる。中央の円から線が伸び、細かくなっていく様は時の止まった万華鏡のよう。少し万華鏡としては光が少ないけど。




 明治風の高い天井の下で人々は行きかい、外国人らしき人達がスマホを上に掲げて撮影している。その中に混じってなんとなく早苗もスマホを上へと向けた。パシャリ、と画面に天井の装飾を閉じ込める。多分見返す事は無い。




 写真を何枚か撮り、満足したところで辺りを見渡す。同時刻くらいに着くとのことだったが彼の姿は見当たらなかった。




『着いたよ。』




 スマホにメッセージが来て改めて視線をあちらこちらへと這わせる。と、どこか見覚えのあるスーツ。だがそれを着ている男の姿は写真の男とはお世辞にも似ているとは思えなかった。少し中年太りした姿に小さいけれど細い目。まさか、と思っているとこちらに歩を進めてきた。




「さなさん、だよね。」




 声をかけられ、頷く。声は想像通り綺麗だ。本人だったらしい。思っていたより大柄。写真の加工技術って怖い。








 まぁ人を見た目で判断するな、とはよく言われることで。男に案内されながら早苗は今までのネットの写真は観ていなかった事にする。そりゃ世の中美味しい話には裏がある。これで性格が合えば良いじゃないか。




「可愛いですね。」




 とりあえず昼飯でも、と言われて言われるがままに横に並んで歩いていた。道端で唐突に褒められ、嬉しさよりも当惑する。結構男の口調は早口だ。とにかく笑みを作った。




「いえ、そんな……。」




 ありがとう、と素直に受け取った方が良かったのか。男性経験の浅い彼女には分からない。ともかくその返答で満足したのか、彼は話し始めた。




「最近は偉そうにする女ばかりだからさなさんには癒されるね。」




「は、はぁ。」




 何とも言えない。褒められているのか女を貶されているのか。それとも実際に仕事場で女性の上司にこき使われて疲れてつい口走ってしまっているのか。




 よく分からないままにとにかく笑顔を浮かべていると頬肉が疲弊してぴくぴくと動くが、早苗の様子には気付かない。やがて彼は立ち止まり、振り向く。




「イタリアンが良いんだっけ。」




「別に無理しなくていいですよ。」




「いやもう着いたから大丈夫。」




 彼が視線を向けた先には全国展開するチェーン店のファミレスがあった。格安イタリア料理。緑の楕円に赤い文字の店名。岩手にもある。








「君と話していながら思ったんだ。君は高級店目的でデートする卑しい女じゃないってね。」




 彼はテーブルの向こうで満足げに話している。高級店目的でデートしに来たつもりは毛頭無い。何なら付き合ってもいないのに高い所に連れて行け、と言うつもりも無い。無いけど、岩手から東京まで来て見慣れたファミレスに入るのは何とも言えない気分だった。それも初対面でネットとは言え仮にも婚活として会っているというのに。




 当たり前のことながら、店員は注文を承った後すぐに厨房に帰ってしまった。お陰で端の方の席で男と二人っきり。救いがあるとするなら壁側の席にすぐに男が座ったお陰でこちらは通路側の席。何かあったら逃げ出せる。




「そ、そういえば趣味は料理なんですよね。」




 何とか言葉を絞り出す。男は頷いた。




「そうそう。まぁ昔は元カノが全部作っていたんだけど。今は自分で作っているよ。」




「どんなの作るんですか。」




「ラーメンかな。」




 ラーメン。




「……カップ麺ですか。」




「流石にカップ麺で料理するとは言わないよ。麺から買っていてね。」




 男は幸せそうに話し出す。味によって使う麺の太さを変えること。チャーシューへのこだわり。興味は全く無かったが、女は、みたいな言葉で始まる話ばかり聞くよりはずっと気が楽だった。にこにこと笑みを浮かべていると気を良くしたらしく、男は名刺入れを胸元から取り出した。




「そういえば、自己紹介が遅れたね。改めて。」




 どうぞ、と渡された小さな紙には有名な証券会社の名前が躍っていた。早苗の鞄にも名刺入れはあったのだが、彼女の手が鞄に伸びる事は無かった。相手の会社名に気後れしてしまっていた。




「すみません、名刺忘れちゃって、」




 誤魔化すように笑って彼の名刺を仕舞おうとする。




「そんな虚勢張らなくていいよ。無職なんでしょう。」




「違いますよ。」




「社会人なら貰った名刺はテーブルに置いておくものだよ。」




「でも料理が来ますから。」




「だからそういうの要らないって。」




 男の声が気色ばむ。仕方なく黙り込むと、タイミング良く、店員さんがパスタなどを持って来てテーブルに並べていく。内心ほっとしながら箸を握った。




「素直な子の方が良いよ。だから今まで婚活上手くいかなかったんでしょう。」




 嘘なんてついていない。素直とは何なのか。




 言い返すのも面倒で黙っていると男は口に肉を入れたまま語り続けた。




「男に寄生して生きたいのは分かる。でも女は顔で男を捕まえようとしているのならせめて男の言う事をちゃんと聞かないと。」




「……。」




 目の前のパスタに集中する。トマトベースの濃い味が男の声を多少とも誤魔化してくれる。トマトエキスが服に跳ねそうで洒落た服を着てきてしまったせいで急いで食べることもできず、仕方なく前かがみになって丁寧にフォークで一口サイズに巻いては口まで運んでいく。全国チェーンの慣れ親しんだ美味さ。何のためにここまで来たんだっけ。








 相手が食べ終えたところで様子を見て会計に向かおうと立ち上がろうとするが、男は座ったまま大仰そうに溜息をついた。




「こういうところがさ、結婚できない女なんでしょう。」




「どういうことですか。」




「財布を出す素振りさえしないということ。奢られるのが当然と思い込んでいる。」




 さきほど無職と決めつけた相手に出せと言わんばかりの口調の有名証券会社マン。




「会計時に別々に支払うつもりでした。」




 チェーン店のたかが千円程度の昼飯代で奢ってやったと偉そうにされる方がよほど嫌だ。




 鞄から財布を取り出す。




「そうやってさ、言われてから嫌々やるくらいなら最初からやればいいのに。」




「これで良いですか。」




 千円札を目の前に出すと、男が頷く。そのまま男は自身の財布に仕舞い込み、まるで自分が奢っているかのような顔で会計の前に立つ。早苗はその様子を見て外に出る。と、道路向こう側、斜め前に見つかったカラオケ店へ一目散に駆け込んだ。








 カラオケ店は休日ということもあって複数人、部屋が空くのを待ってロビーに並べられた椅子に腰かけていた。早苗がフロントに尋ねると予約していなければ一時間待ちだという。近くの空いている店を紹介しますが、と言われたものの、土地勘の無い早苗はそこまで辿り着ける自信も無く、断った。その間に婚活アプリのメッセージで男が何かしらコメントを送ってきていたが、二度と会話できないようにブロックした。




 ブロックしてみても一体どんな言葉を送ってきているのかは気になり、思わず脳内で創作してしまう。今どこにいるの。挨拶も無く突然帰るような礼儀知らずだからそんな年になっても……。容易に想像できたそれらを振り払い、フロントに部屋が空くまで待つことを伝えた。








 部屋が空くのは意外と時間がかからなかった。一時間覚悟していたのに三十分とかからず拍子抜けしてしまった。




 カラオケルームの一室で早苗は曲選択のためにタブレット端末を手に持つ。一時間だけ歌う事にしていた。




「もう話していいか。」




 アマビエの声に頷くと少し間が空いて彼は話した。




「ああいう男がお前の好みなのか。」




「そんなわけないでしょう。」




 む、と顔をしかめて早苗は男の悪口を吐き出していく。――何あの姿。全然写真と違うしあんなの詐欺じゃん。というか岩手からここまでの交通費も分担しないであの安い昼飯代も割り勘にしろとか不公平じゃん。私、化粧も服も頑張ったのに向こうはスーツ着ているだけじゃん。




「加工し過ぎで現実とかけ離れ過ぎ。」




「加工、とは。」




「写真の加工。何か写真で気に入らない部分とか修正するの。そんなのでちやほやされている男とかこちらから願い下げよ。」




「お前はしていないのか。」




「しているっちゃしているけど……でもあんな原型も留めていない加工はしていない。」




 タブレット端末で曲を探す。




 婚活アプリでは今日も誰かが自身を過度に装飾して人気を得ようとしているのだろうか。いや婚活アプリだけではない。SNSでは何分かごとに男も女も加工した自撮りをネットの海に晒してちやほやされようと人気者になろうともがいている。




「写真を加工して得た人気なんて意味無いんだからっ。」




 歌いたい曲を発見し送信。早苗はマイクを握る。なぜか目頭が熱くなって口を開こうにも喉が震えてしまい、出てくる歌声は音をだいぶ外していた。

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