死にたがり魔王は覚悟を決めない（連載版）

第3話 散る砂

　目を焼く日差しが照りつける中、砂色の平坦な大地に馬車がひとつシミを落としている。アルーフの記憶の通りであれば砂の都が近いはずだった。

　水の少ない過酷な環境ではあるが、多くの都と隣接していて人の行き来も物の行き来も活発な土地だ。宙ぶらりんの状態で存在していたアルーフの領域からもほど近く、情報を集めるには都合が良い。

　馬車の荷台は変わらず酷く揺れる。振動の強さに変わりはなかったが、手元に戻って来た外套のおかげで尻や腰の痛みは幾分かマシになっていた。

　つい先ほどまで外套の持ち主になっていた兄弟には生成りの綿布（わたぬの）が手渡されている。今は握り飯やら水薬やらを配っている、鉄格子を破った彼女らのものだった。

　随分と用意が良い。年のわりに手練れであり、悪人ではなさそうだということもわかる……が。

「な、なにか、用事ですか……？」

　出発前に御者台ではしゃいでいたはずの少年がアルーフの隣にいた。年のころは十五、六。隣にいるだけならまだしも、丸い目で顔に穴が開くくらいずーっと覗き込んでくるのだ。気にならない方がおかしい。

「ん？　なーんでお兄さんはオレ特製の握り飯を食ってくれないのかなー、って思ってさ」

　少年はそう言うなり口元だけで笑みを作った。黒い瞳を一切逸らすことなく。ふざけた口ぶりをしているわりに目線は剣呑だ。監視されているような居心地の悪さにアルーフは身じろぎをした。

「腹は減ってないから、他の人が食べた方が良いと思って……」

「まだまだいっぱいあるしさ、遠慮無く食えって！」

　そう言って少年は手品のように取り出した握り飯をアルーフに手渡す。

　問答無用で手渡される握り飯にアルーフは眉尻を下げた。実際に腹が減っていなかったのだ。食えなくもないが、魔素か、あるいはそれに準ずる活力があれば事足りた。なにせ数千年もの間、ろくなものがない空間で過ごす必要があったのだ。いわば霞を食って生きているようなものだった。

　いくら物資が潤沢にあろうと限りはあるはず。そう思ってアルーフは辞退しようとしていたが、あれよあれよという間に握り飯が積まれていく。どういう仕組みなのかは不明だが、どこからか無尽蔵に湧いてくる米。

　持ちきれなくなる物量に観念したアルーフは白い塊を一口かじった。

「ん？」

　記憶の中にある味と、まるで別物だった。

　口の中で粒がべたつき、甘みよりも苦みが強い米の味と、鼻を貫く梅のすえたような臭いが混ざる。保存に耐えられず悪くなってしまったのかとも考えたが、少なくともにおいに異常はない。

　他の者は旨いと言って食っているし、長い間食事を摂らなかった弊害だろうとアルーフは結論付けた。風邪をひいた直後のようなものだ。

　アルーフが口内のものを飲み込めずにいる間も、少年はずっと様子をうかがっていた。それに気付いたアルーフは咀嚼された米を勢い良く飲み込んで、はっと視線を上げる。

「おいしいです！　すごく、あの、懐かしの……おふくろの味というか」

　髪と同じく真っ黒な少年の瞳が、アルーフの頭上と目を行き来する。気分の落ち込みと比例して、獣の耳はすっかり力を失っていた。これでは言葉でいくら取り繕おうと意味が無い。全身で「まずいです」と言っているようなものだ。

　アルーフは誤魔化しの利かない耳の動きを恨んだ。いい年してだだ漏れになってしまっている思考が恥ずかしくて、大きなフードを頭にかける。

　疑わしげに見つめ続ける少年の視線に耐えきれず、膝を抱えた。

「おふくろの味ねえ……」

　少年はアルーフの予想外の反応を見て、片眉を上げた。元々親切心から同行を提案したわけではない。なにか良からぬ事を企んでいるのなら手の届く範囲に置いておいた方が都合が良いからだ。

　砂の国は資源に乏しい。人の命すらも売買可能な資源として数えられる。人体から魔素を取り出すなどという怪しげな技術が噂されているせいか、集落ごと襲う人狩りまでもが増える始末。

　多額の報酬と引き換えに同胞を売ることも珍しくはない。そして人買いの裏切りによって自身も憂き目に遭うことも珍しくなかった。

　だからこそ少年は、妙に小綺麗な身なりをしているアルーフを疑った。こんなだだっ広い荒野の真ん中でひとり道に迷うなど、もう少しマシな嘘をつけとも思ったものだった。

──それにしては脳天気すぎる。

　皆が隠そうとする獣の耳は丸出しだわ、脇はがら空きだわ、差し出された食い物は疑いもせずに食うわで見ている方が不安になる有り様だ。その姿は昔飼っていた、まるで番犬にならなかった犬を彷彿とさせた。

「その格好……王都から来たんだろ」

　その言葉に、アルーフは改めて自分の服装を確かめた。

　上はフードのついた瑠璃紺のケープと七分丈のシャツ。下はパン職人も履いているような簡単な仕事着だった。

　特徴的な部分があるとすれば、長旅でも疲れないようにと脛に巻いているゲートルと、武器で手を痛めないための短い手袋くらいのものだ。武器の鉄鎖も、数多く身に付けていたポーチ類も取り上げられてしまっていた。

　昔着ていた衛士の制服を改造したものではあるが、王都の人と言い切れるような特徴は無い……ようにアルーフには思えた・

　服装を確かめては首をひねるアルーフの様子がおかしかったのか、少年は軽く噴き出す。

「まあ、お兄さんが本当に王都の人かどうかはいっそどうでもいいんだけどさ。こんな辺鄙な場所でうろうろしてたってことは、なんか訳ありだよな？」

　訳ありには違いないが、事情を話したところで信じてもらえるかどうか。アルーフは頭を抱えた。

　自分は魔王です。殺されるために聖剣と勇者を探しに来ました。

　そんな事を言おうものなら街に着くなり頭の医者に引き摺られていくことだろう。

「特別な剣を探してるんだ。聖剣って呼ばれてるはずなんだけど……」

「あー、あの勇者が持ち逃げしたってやつな」

「持ち逃げ！？」

「悪いことは言わないから、聖剣は諦めた方がいいぜ。金目当てで帝国に攻め込んで行った奴は全滅だ。お兄さんみたいのが行ったら命がいくつあっても足りないって」

「なっ──！？」

　少年は小馬鹿にしたように顔の前で力なく手を振る。同時にアルーフは勢いよく立ち上がった。喧嘩か？　と、どこからともなく声が上がる。たしかに通常なら腹を立ててしかるべき場面ではあるが、それどころではない。

　持ち逃げという言葉も衝撃的だったが、聖剣が金稼ぎの対象になっているのにも驚きを禁じ得なかった。それに当然のように少年の口から飛び出した帝国という単語にも聞き覚えが無い。

　命がいくつあっても足りない場所にあるなど、そもそも聖剣は無事なのか。

「帝国って──おおっ！？」

　立ち上がったタイミングが悪かった。早足で進んでいた馬車が前触れ無く止まり、勢いのままアルーフの身体は荷台の前方まで転がっていく。ガツンと荷台に響く音。御者台の手前、強かにぶつけた頭を抱えてアルーフは悶絶していた。

　アルーフとは対照的に、大半の者が体勢を崩している中でも少年は隙間を縫って飛ぶように御者台まで駆けつける。

「どうした」

「灰砂蠍（はいすなざそり）の群れじゃ。このまま突っ切るにはちと危ういの」

　御者台に座る影が甲高い声で言う。全身をフード付きの黒いローブで覆った小柄な人影だ。

　その視線の先には人より少し小さい大きさの蠍がいた。ざっと百匹程度の群れが樹液に集う虫のようにかたまっている。集団は一つではない。目の前の集団を迂回すれば別の群れに接近することになり、小回りの利かない馬車で間を縫って行くのは厳しい。

「全部仕留めるか、適当に散らすかせんとな。小型の砂蠍は大人しいが、さすがに縄張りに入れば針でブスリじゃろう」

「げ。小物の駆除って面倒くせえんだよなあ……」

「あの群れ、散らすだけでいいの？」

　少年と御者台の影から顔を覗かせたのはアルーフだった。瘤の出来た頭をさすり、いまだに半ば涙目だ。顔立ちの鋭さと相反してその姿はあまりにも頼りない。

「散らすだけって言っても結構手間よ。向こうの方が数が多い分、人が近付けば普通に襲ってくるから交戦せざるを得ないし」

「遠距離系の術で威嚇すればいいんじゃない？　猪とか追う払うときみたいに」

「その遠距離系の術を使える人がいないの。わたしもソウキも……ああ、ソウキってのはこの黒い男ね。式術は使えるけど、どっちも攻撃できる範囲が狭いのよ」

「なら俺がやろうか」

　アルーフは隣に立つ大耳の娘に対してなんてことないように言い放った。娘は麦穂色の髪をはためかせながら大きな瞳で何度も瞬きを繰り返す。

「あなた……戦えるのに人買いに捕まったの？　その図体で？」

　純粋な疑問が鋭くアルーフに刺さった。物理的な痛みは伴わないはずなのに、アルーフは胸元を押さえてよろめく。残念ながら事実である。

「急なことで術の構築に時間が掛かったというか、なんと言うか……」

「時間が掛かるだけってんなら試したらいいんじゃねえの？　しくじってもオレらで地道に狩るだけだしさ」

「それもそうね。上手くいったら儲けものって感じで」

　彼らの言葉に侮りや嘲りの色は無かった。淡々と事実に照らし合わせてアルーフの力量を予測しただけだ。

　上手くいったら儲けもの。

　アルーフ自身も同じ事を考えていた。魔素を収束させるだけの簡易的な治癒術とは訳が違う。

　決まった手順を踏めば必ず同じ効果が出る式術と比べて、アルーフの扱う精霊術の効果は不安定だ。

　心象の具現化──つまり想像に形を与えることが精霊術の根幹にあたる。存在自体が精神と物質の狭間にある精霊には造作ないことでも、完全に物質に属しているものには扱えない。

　一般的には、術者が契約を交わした精霊に対して指示を出し、指示によって精霊が魔素を使って術を顕現させるという一連の流れを精霊術と呼んでいた。

　術者の詠唱は精霊との合言葉であり、精霊の詠唱は効果の再現性を高める為に行なわれる。後者は省略できるが、前者は省略できず、意思疎通に失敗すれば狙った効果は出ない。

　加えて契約した精霊が持つ属性の術しか使えない上、精霊の機嫌次第では一切の術が顕現しないということも珍しくなかった。

「ちょっと離れても？　失敗すると悪いから」

「やり方は任せるわ。……リカバリーの事考えると、わたし達も下に降りた方がよさそうね」

「ん～、オレはこのまま高みの見物しとくわ。結構距離あるし」

　御者台から降りて前に出るアルーフと娘──スイコには続かず、ソウキは携帯用の遠眼鏡（とおめがね）を取り出す。

　スイコはいつものことだと短くため息を吐くが、その一方でアルーフは既に足元に円を描くのに意識が行っていて何の反応も示さなかった。

　何も無い空間に指差し確認をする奇妙な動作と共に、砂地に書かれた円の縁が揺らぎ、外套の裾がゆらめく。魔素の濃度が上がっている証だ。

　アルーフは魔素の正常な反応を見届けて、安堵から口角を上げた。手順を一つずつ確かめながら、自分にだけ聞こえるような声でぼそぼそとつぶやき始める。

　腕を上げ、頭上に円を描く動作をすると同時に、影を固めたような無数の杭が宙空に現れた。

「おいクロ、あれ」

　ソウキの隣に座ったままの黒ローブの子供は、肩を叩かれアルーフの様子を注視した。

「ほう、このような所で魔術使いに出くわすとはのう。……これはツイているかもしれんぞ」

　何かと不具合の多い精霊術は、式術の研究が進むにつれ存在すら忘れられる程に廃れたが、一部の種族には関係なかった。

　精霊と魔族。魔素を直接操る者の間では当然のように現役だ。とはいえ、精霊がほとんど消え失せた今の世で人が目にするのは魔族が使う姿であり、精霊術はいつしか魔族の使う術──魔術と呼び名を変えていった。

「まあ、本当にツイてるかどうかは、これからわかるけどな」

　御者台に深く腰掛けたままのソウキは遠眼鏡の焦点を改めて砂蠍の群れに合わせた。まだ奴らは何も気付いていない。せっせと地中の虫を食うのに夢中だ。

　次の瞬間、その蠍の背に杭が深く突き刺さった。魔素で出来た杭はアルーフの手元から離れるとすぐに形を失って霧散したが、魔物にはしっかりと傷は残っている。

　ソウキが見ていた一団だけでなく、杭の雨は群れの前方広くに注ぐ。杭のうちのいくつかは目標に当たらず直接地面に刺さっていたが、威嚇目的としては十分だ。

「おっしゃ！　……ん？」

「どうかしたの？」

　不穏な声を上げるソウキをスイコが気に留めるが早いが否か、大地ごと揺れる轟音が響いた。

　何事かと目を見開いたスイコの遙か前方で百の群れが吹き飛ぶ。衝撃的な景色から遅れて術の余波が届いた。アルーフのフードが音を立てて脱げ、局地的に起きた砂嵐に皆が目を閉じた次の瞬間、目の前の荒野で動きを見せているのは高く上がる砂煙のみになっていた。

「お兄さんちょっくら、はしゃぎ過ぎでは？」

「ここまでするつもりじゃ……」

「待った。悠長にびっくりしてる暇無さそうだぜ」

　遠眼鏡をしまって御者台から飛び降りたソウキは一転、顔に緊張感を漲らせる。

　周囲の魔物はほとんどが足早に逃げ去って行った。あれだけの爆発を起こせば臆病な灰砂蠍は我先にと逃げ出すに決まっている。だが、様子がおかしい。吹き飛んだ群のすぐ隣の群だけは鋏と尾を高く上げ、馬車に向かって一斉に移動を開始した。

「なんでよもう！　クロ、援護頼んだわ！」

「任せるが良い！」

　ふんぞり返って立ち上がったクロから光矢が放たれ、スイコとソウキを突く。その光景にアルーフは半歩身を引いたが、何も気にせず両名は灰砂蠍の群に突っ込んで行く。

　直前、ソウキからまとめられた鎖が投げて寄越された。重い鎖の先端には短剣がぶら下がっている。

「それ、お兄さんの武器だろ？　なんかいい感じによろしく頼むわ！」

「いい感じって！？」

　戸惑うアルーフの言葉はソウキに届かず、後ろ姿は砂埃の中に消えていった。

　取り残されたアルーフもいつまでも呆然としているわけにはいかない。武器を構え、向かってくる灰砂蠍と相対する。

　まずは一匹。鋭く突き出した鎖短剣は矢のように魔物を貫く。一気に距離を詰め、引き抜いた鎖でそのまま薙ぎ払えば両脇に位置していた蠍の鋏が落ちた。体勢の崩れた隙を狙って背後から尾を構えた個体が迫るが、鎖が刻んだ轍がうっすらと光を湛え、次の瞬間には影を固めたような槍がいくつも突き出す。すぐに魔素が解けてしまうため拘束には使えないが、頭を打ち抜かれた灰砂蠍たちは既に絶命していた。

「いや普通に戦えるんかい！」

　ソウキの叫びと共に振り下ろされた両手剣が魔物の首を飛ばす。安堵のような苛立ちのような感覚をソウキが感じたまさにその時、真横からアルーフの身体がぶっ飛んできた。

　群れの中でも大きな個体に投げ飛ばされたアルーフは、あろうことかそのままソウキを踏み台にして高く飛ぶ。

「どわっ！？」

「ごめん！」

　しかしそれでソウキは倒れることも無く、その場に踏みとどまったまま周囲の蠍を細裂いた。ソウキの斬撃が止んだのを見計らったように上空から杭がいくつか降り注ぐ。数も少ないからか、今度は周囲を吹き飛ばしたりせずに目標をただ射貫いた。

　違和感にソウキは背中をさする。もう魔物の姿は数えるほどしかなかった。