誰も知らない世界で勝手に死んでくれ
侘助
水色
おじさんは私の股間から顔を上げると、唇を拭いながら笑った。
イオンの駐車場に停めたおじさんの車の中。マンコを舐められ始めてから、たぶん一時間くらい経ってると思う。おじさんはもう勃たないから、こうするしかないらしい。気持ちよくなってくれるのが嬉しいんだって。だからって、一時間もただ舐め続けるなんて私ならできない。それも一万円も払って。
舐められてる間、私はいつもスマホをいじってるか、チョッパーが描かれたヘッドレストのカバーを眺めてる。娘さんがワンピースのファンらしくて、車内にはぬいぐるみとかのグッズがたくさんある。私もワンピースは大好き。だって、めっちゃ泣けるもん。
「ごめんね、アイちゃん。写真だけ、ねっ」
おじさんはそう言って写真を何枚か撮った後、一万円をくれた。
おじさんは絶対制服を全部脱がさない。体操着とかスク水を着る時は三千円多くくれたりするけど、胸の部分に大きく名札が貼ってあるから、写真を撮られるのがすごく恥ずかしい。名札はおじさんの自作で、ひらがなで私の名前が書かれている。ホント、意味わかんない。
「お金、何に使ってるの?」
パンツを穿いていると、おじさんが訊ねてきた。なんでかわかんないけど、嫌な質問だと思った。
「んー、コスメとかカラオケとか」
満足いく答えじゃなかったのか、おじさんは渋い顔をしてた。
私は片親でも貧乏でもなければ、虐待を受けてるわけでも不良でもない。勝手なイメージが先行してるのは仕方ないんだって、前に取材を受けた時にライターのお兄さんが言ってた。「ジジイ連中はウリやパパ活をしている理由に正当性が欲しいんだよ。不幸が絡んでないと理解できないんだ」ってさ。
ライターのお兄さんとはトワちゃんの紹介で知り合った。取材は主にパパ活についてのものだった。お兄さんはフリーのライターらしくてカメラマンも自分でやってた。信用できる人だってトワちゃんが言ってたから、まず間違いないと思う。けっこうイケメンだし。今でもよくLINEするけど、ほとんどが私から。なんか、あんまり相手にされてないみたい。
私にパパ活を教えてくれたのもトワちゃんだった。トワちゃんは東京から引っ越してきた転校生で、田舎には不釣り合いなほど垢抜けた綺麗な女の子だった。読者モデルもしてたらしくて、ツイッターとかインスタのフォロワーも私の地元の人口より多かった。
トワちゃんは明らかに浮いてた。私が住んでる町は特に閉鎖的だったから、トワちゃんを嫌う人たちはすごく多かった。同級生だけじゃなくて、先生や近所のおばちゃんたちも嫌ってたと思う。たしかにトワちゃんはクールで愛嬌があるわけじゃなかったけど、私には優しかった。マイコたちにいじめられてるのを助けてくれたのもトワちゃんだった。ていうか、私はその時初めて自分がいじめられてることを知った。
私はトワちゃんとばかり遊ぶようになった。トワちゃんがいじめられるようになったのは、ちょうどその頃だったと思う。グループLINEとかSNSの誹謗中傷とか、とにかく酷かった。個人情報もばら撒かれて、家にファンが押し寄せたり危ない目に何度も遭ったみたい。
私はただ無視されてるだけだった。縁を切ればいじめもなくなったかもしれないのに、トワちゃんはずっと私と遊んでくれた。トワちゃんは私に色んなことを教えてくれた。タランティーノもデヴィット・ボウイも、万引きの仕方もパパ活も、全部教えてくれた。映画とか音楽のことはよくわからなかったけど、若い女の子と話したりご飯を食べたりするだけでお金をくれるおじさんがいることはよくわかった。
いつか二人でマルキューと原宿に行こうって約束した。私がタピオカを飲みたいって言ったら、タピオカはもう古いんだって、トワちゃんは笑ってた。私はトワちゃんの笑顔が大好きだった。
でも、その約束が果たされることはなかった。朝の通勤ラッシュの時間帯、トワちゃんは快速列車に飛び込んで死んだ。こんなこと言うのも変だけど、トワちゃんらしい死に方だと思う。誰もいない場所で首を吊ったりなんて、トワちゃんらしくない感じがする。
一度だって私に辛そうな顔を見せなかったトワちゃん。私はそれが少し寂しかった。死ぬ直前まで、トワちゃんはクールで優しくて綺麗だった。
トワちゃんの自殺はそれなりのニュースになった。葬儀にもマスコミとかテレビカメラがたくさん来た。記者が生徒や保護者に群がって来るのを見て、私は気持ち悪くなった。葬儀の最中、マイコたちは泣いていた。吐き気がした。頭が真っ白になって、気づいたら私はパイプ椅子を持ち上げてマイコの頭に振り下ろしてた。葬儀は大騒ぎになったけど、私にはその時の記憶が全くなかった。
児童相談所だか教育委員だかの人が家に何度も訪ねてきた。傷害事件にならなかったのは、マイコに後ろめたさがあったからだと思う。もちろんそんなことで赦されるわけじゃない。マイコを殺そうと家にある包丁に新聞紙を包んでいた時、ちょうどテレビでサスペンスドラマの再放送をしてた。刑事が復讐で罪を犯した犯人に、「そんなことをしても死んだ恋人は喜ばない」みたいなことを言ってて、なんだか笑えてきた。私がもし誰かに殺されたら、好きな人には私を殺した人間に復讐してほしい。人が愛されて生まれてくるみたいに、人を殺す理由にだって愛が詰まってると思うから。
マイコを殺す前にトワちゃんのお墓に寄った。そこにはクラスメイトたちがいた。いじめに直接関わってなかったけど、見て見ぬふりをしてた人たち。彼女たちは私に何度も謝ってきた。鼻水を流しながら、泣きじゃくって、何度も何度も。
雨が降ってきた。いつだったか、美術の授業で校舎の中庭を描いてた時、私が雨粒を水色に塗っていたら、トワちゃんが「雨は透明なんだよ」と教えてくれた。いくらバカな私だって、そんなことはわかってる。でも、それでよかった。「色がある方が寂しくないでしょ?」そう返すと、トワちゃんは不思議そうに私を見つめた後、「そうだね」と言って微笑んでくれた。
マイコへの殺意が、どんどん消えていくのがわかった。私も一緒になってわんわん泣いた。トワちゃんが死んでから、泣いたのはこの日が初めてだった。私が思ってたより、世界はほんの少しだけやさしかった。
「え? どういうこと?」
おじさんはそう言って、車から降りようとする私の腕を掴んだ。
「だから、もう会わないってこと」
「どうしたの急に。そんな寂しいこと言わないでよ」
おじさんはしつこく食い下がった。私が譲らないでいると、関係を続けないと写真をばら撒くって脅しをかけてきた。
「清宮さん、あのね」
私はおじさんの本名を口にして、トワちゃんの教え通りに言葉を返した。すると、おじさんは青褪めた表情を浮かべ、おとなしく去っていった。
「もしもし」
国道沿いを歩きながら、私はライターのお兄さんに電話を掛けた。歩道の側溝から、枯れ細った雑草が顔を出していた。
「なんだよ、俺は今忙しいんだ」
お兄さんは面倒くさそうに言った。なら、出なきゃいいのに。
「私さ、もうパパ活やめようと思ってるんだ。舐め専のおじさん、もう切っちゃった」
「そうか。一応、LINEのスクショとおっさんの写メは保存しとけよ」
「わかってる。トワちゃんから聞いてるし」
おじさんたちが逆上した時の対処法を、トワちゃんは教えてくれていた。本名に住所に勤務先、相手の素性を必ず把握しておくことが大事だって。だから、おじさんの送りつけてきた裸の写メを見せて、家族にバレてもいいの? って脅したら黙った。
「学校、行ってんのか?」
「うん、たまにね」
ライターで煙草に火をつける音が聞こえる。あれだけ禁煙したって言ってたのに。
「ちゃんと行けよ、学校」
「あんなとこいたって意味ないよ。役に立ったの制服だけだし」
「意味なんてなくていいんだよ」
お兄さんは言い方は冷たいけど、いつも優しい。
「ねぇ、お兄さん。私とエッチしよっか」
「バカ言ってないで、早く家に帰れ」
「タダでJKとエッチできるのに、贅沢な人」
私は嬉しかった。電話を切った後、おじさんから貰った一万円札を取り出して空にかざしてみた。太陽は真上にあって、雲一つない晴天だった。札の真ん中のいるおじさんがくっきりと浮かび上がってくる。このおじさんも、JKとエッチなことしたかったのかな。
私は一万円札をビリビリに破いて宙に投げ捨てた。トラックが通り過ぎて、バラバラになったお札が高く舞い上がる。それが羽毛に見えて、初めてトワちゃんが貸してくれた映画のDVDを思い出した。たしか、空から羽毛が降ってきてベンチに座ってる男の人の足元に落ちるんだっけ。
映画のタイトルを思い出すより先に、私は走り出した。なんでかわかんないけど、そうしなきゃいけない気がした。
破れたお札が私を横切る。小さな紙切れは、そのまま音もなく側溝に吸い込まれていった。
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