トワレの死神〜闇黒の復讐譚〜
太田裕
第一部 終焉の霧
プロローグ1〝人生の幕引き〟
――少年にとって、それは天国か地獄か。
深紅の草花と青紫色の大地、そして暗黒の空模様が常である魔界において、珍しくも人間界と似通った姿を見せるここ、魔都クローネ。山岳地帯を切り開いてできたこの都市の最奥には、空をも貫かんとそびえ立つ純黒の巨城があった。
魔王城。
しかし、他の魔王城に比べればおどろおどろしさは欠片も見当たらず、むしろ精密に計算された美は見る者の心を一瞬で奪うほどの美しさを持っていた。
その、魔なる者たちを連ねる王の住処、その最奥――謁見の間にて、後世まで語り継がれるはずの戦いは、あまりにも一方的かつあっけなく幕を閉じようとしていた。
「…………いっつ……ここは……」
激しい頭痛に襲われながらも、少年――リヒトはなんとか気力で意識を引っ張ってくる。
霞む視界。よくよく目を凝らすとようやくはっきりと見えてきたその光景に、リヒトはわずかに目を見開いた。
「そうか……ロックスとエリアリスはやられたか…………」
周囲を見渡し、たっぷり一分をようしてリヒトは自分が置かれた状況を正確に把握した。
100メル四方の広い空間。どうやら、リヒトは初撃で隅の方まで飛ばされたらしく、背中からは純黒の大理石のひんやりとした感触が伝わってくる。
視線を少し上げれば、全身から煙を上げてまる焦げになった大男と、その少し右で心臓部を傷口が塞がれるほどの高熱で貫かれたらしく小さな穴を開けて仰向けに倒れる少女。
大男ロックスと、少女エリアリス。
30メル以上も離れているリヒトの位置からでは安否まではわからないが、恐らく既にこと切れているだろう。
「……で、あれがユリスか」
亡くなった二人を見て、あふれそうになる感情をどうにか抑えるリヒトは、そのまま更に視線を上げていく。
そこには、苦し気に低く呻き声をあげる少女が一人。
雪のように真っ白な肌は見るも無残に爛れており、小枝のように少し触れれば折れてしまいそうな細い首は異様に長い腕でギリギリと締め上げられている。
「……いや、腕、なのか……?」
形こそ、鋭い五指を備える人間のそれだ。しかし、如何せん白と漆黒からなっているソレは、まるで炎のようにゆらゆらと揺らめき、火花を散らしている。既にこと切れている二人の状態を見ても、死因は炎で間違いないだろう。
炎の腕……というよりも、腕を象った炎という表現の方が適当だ。
純黒の腕炎を辿っていくと、一人の青年が視界に映る。
世界的に見ても珍しい、リヒトと同じ黒髪黒瞳をもつ中肉中背の冴えない青年。一見リヒトよりも少し年上にしか見えないあの青年が、この惨劇をたった一人で生んだと考えると、リヒトは悪寒のようなものを感じざるを得なかった。
「…………魔王……ソーマ……」
その名は、無意識のうちに紡がれていた。
この世に現存する、六柱の魔王の一角。
《漆黒の不死鳥》と呼ばれるその魔王は、六人の中で最も人間に敵対する魔王カースとは対照的に、人間とは敵対せず今ある領地から出てこない奇妙な人物であると聞く。
そんな奇特な魔王は、しばし苦悶の声を上げるユリスを眺めていると、不意に小さく手を振った。その所作は、まるで鬱陶しい羽虫をはらうようで、彼がユリスを歯牙にもかけていないことをこれでもかというほど如実に表していた。
ゴウッ。
魔王の行動に呼応するように、そんな音をたてながらそれまで腕を象っていた黒炎は、正真正銘本物の炎へと変化し、一瞬にしてユリスを包んでいった。
「――――」
そんな光景を前にして、リヒトはただただ息を呑むことしかできなかった。
強いとは、思っていた。
腐っても勇者一行。そのうえ、このパーティには一応二人もの勇者がいるのだ。ロックスとエリアリスも勇者ではないがリヒトなど比べ物にならないほどに強く、その二人を倒したのだから、魔王の強さは本物だろう。
しかし、それでも――――《灼炎の勇者》と呼ばれるユリスは、簡単には負けないだろうと思っていた。今までさんざん敵を一瞬で葬ってきたあの太陽のような少女が負ける姿など、想像できなかった。
それが、どうだ。
現実は、あまりにあっけない。
あっけない、最期だった。
「――は、はは……」
掠れた笑い声が漏れる。
先程まで《灼炎の勇者》などと呼ばれていた彼女は、今や真っ黒な灰と化し宙を舞っていた。
「…………おまえ、その程度だったのかよ……その程度の奴らに、俺は今まで……」
どうしようもなく、やるせない感情が沸き上がってくる。
《灼炎の勇者》などともてはやされていた彼女への憐憫。
本物の強さを知らず、彼女を慕いもてはやしていた有象無象への嘲笑。
そんな有象無象にすら虐げられ、それを心のどこかで仕方がないことだと許容してきた……自分への侮蔑。
自分が今まで酷く狭いで世界で生きてきたことを知り、今まで自分を虐げてきた者たちの矮小さを知り、リヒトは、嘲笑や侮蔑と、そして言い知れぬドス黒い感情が生まれたのを感じた。
「……さて、次はお前か?」
そんな、リヒトにとっての圧倒的強者をいとも容易くくだした本物の強者は、宙を舞う灰から、未だ生き残るもう一人の勇者へと視線を移した。
「ひっ……!」
鋭い視線で射抜かれた次のターゲット――勇者クレインは、ビクリと体を跳ね上がらせ、情けない悲鳴を上げた。
そこにはいつもの爽やかぶった態度など見る影もなく、まるで生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えている。……まぁ、それも仕方があるまい。なにせ、彼はユリスを合わせて二人の勇者と呼ばれていたが、その実力差はだれが見ても明らかで、とてもじゃないがユリスを殺した相手に勝てるはずもない。
魔王に睨めつけられたクレインはその場で尻餅をつき、あの魔王から逃げる方法を探すべくあたりを見回す。が、周囲にあるのは焼け焦げた大男と胸部に穴をあけた少女の死体。そして、黒い灰だけだ。それを見て、勇者は白い顔をさらに蒼白にさせる。
だが、それでも諦めきれないのか更に周囲を見回す彼と……リヒトの視線が、交差してしまった。
その瞬間、何を思ったのかは知らないが人間の尊厳を捨て、四足歩行になりながら情けない足取りでリヒトへと向かってくるクレイン。それを後ろで冷ややかに睥睨する魔王の視線は、どんな氷魔法よりも冷たかったが……どうやらクレインを今攻撃するつもりはないらしい。
「クソッ! なんなんだよアイツはよおッ! 自分の城に引きこもってるクソ雑魚ゾンビじゃなかったのかよ……! 話が違ぇじゃねえかッ! クソッ!」
いつもの爽やかぶりはどこへやら、口汚くぎゃーぎゃーと喚く勇者様は、たっぷりと一分も費やしながらよちよち歩きでリヒトの下へ向かってきた。そこで、またもたっぷり一分間息を整えると、リヒトへとその濁った赤色の瞳を向ける。
「っていうーか、なんでオマエは生きてんだ!? お前が生きて、なんで俺が殺されそうになってんだ……なんで俺がお前より先に死にそうになってんだよッ! んなの認められるか! 俺は選ばれた勇者だぞッ! その俺が、テメェみたいなクソの役にも立たない能無しより先に死ぬとか、ぜってーありえねぇ! そもそもよぉ、テメェの〝眼〟が効かねえからこんなことになってんだろ! アァ!? 眼だけが取り柄のテメェがよぉ、それすら効きませんとは、何のためにここまで連れてきてやったと思ってんだよッ! このックソがッ! クソクソクソクソクソクソォッ!」
無駄に整った顔立ちを大きく歪ませたクレインは、同じく無駄に長いその脚で――蹴った。リヒトの腹を、腕を、足を、局部を、顔を。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。
仮にも勇者の攻撃を、ただの凡人たるリヒトが防げるはずもなく、痣をつくり、骨を折り、内臓を破裂させ、血反吐を吐く。
「が、はっ……ぐっ…………」
「クソクソクソクソッ! なんで、なんでこの俺が、こんなところで――」
リヒトの身体を破壊し、それでもなおやまない勇者の蹴りに意識が遠のいてきたその時……不意に体を襲う衝撃がなくなった。
……蹴りが、やんだ……?
しかし、あの状態の勇者がリヒトに対する暴行を止めるとは思えず、全身を襲う激しい痛みと朦朧とする意識の中、どうにか瞼を持ち上げると――そこには、ただの灰しかなかった。
コツン、コツン。
耳鳴りの向こうで、そんな音がした。
「……まったく、仮にも勇者がこんな……いや、こういう人間はどこにでもいるよな。アイツらもそうだったし、日本でもイジメは問題になってたっけ……クズに世界は関係ない、か」
まだ若い青年の声。どうにか全身の力を振り絞り、声のするほうへ視線を向けると、そこには一人の魔王がいた。
「…………酷いことを言うようだが、自業自得だ。今のでお前がどんな扱いを受けていたのかおおよそ想像はつくが、それも強さがあれば起こりえなかったこと……同情はするが、恨むなら弱かった自分を恨んでくれ」
自分は今、魔王に慰められているのだろうか。それとも、説教を受けている?
とても魔王とは思えないほどその穏やかな声音に、目の前の存在に対する疑念と動揺が浮かぶ。
「……まぁ、せめて長く苦しまないよう、楽にしてやる。来世があれば、強者になれるよう祈ってる」
そう言うと、魔王の掌に漆黒の炎が浮かび上がる。
――あぁ、俺は死ぬのか。ここで。
別に、死ぬのが怖いわけじゃない。
今まで死ぬような目に遭ってきた回数は両手じゃ足りないし、むしろよく今まで生きてこられたと思う。
だが、何故だろう。
リヒトの心には、言い知れぬ感情が渦巻いていた。
それはロックスとエリアリスの死体を見て、ユリスの死に様を見て、クレインの滑稽さを見て、沸き上がってきた感情。……いや、もっと適格に言うならば、もともとあったその感情が、今さっき大きく燃え上がったかのような。
しかし、リヒトにその感情を確かめる余裕はなかった。
一瞬、視界が漆黒に染まる。熱さは感じない。ただ、自分という存在が漆黒に溶かされていくような、そんな感覚。
自分が生きているのか死んでいるのか。それすらも曖昧となり、思考という概念そのものが薄く微睡に消えていく。
――そうして気づけば、リヒトは永遠の眠りについていた。
その日、聖帝歴998年。
リヒト・クレールのどうしようもない人生は、幕を閉じた。
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