梅降る都 -梅咲く舞い手と傘職人-

志奈

第1話

 この作品はフィクションです。

 実在するすべてのものとは一切関係ありません。




梅降る都

 -梅咲く舞い手と傘職人-


 冬は損な季節だとつくづく思う。

 物淋しい枝幹の木立。雪風凍える夜に、人は春を夢見て眠りにつく。

 ただその時を通過するだけ。存在しているだけで疎んじられる。なんと不憫なことか。

 しかし同情心などこれっぽっちもない。だって。

 一番可哀想なのは、引きずられるこの私でしょう……!


「扇が下がっておいでですよ、雪梅せつばい様」

 柔和な指図に雪梅は顔が引きつるのを感じた。

 くそう、簡単に言いやがって。喉元までせり上がるぼやきを飲み下し、手に握る舞扇まいせんを腕ごと頭の高さまで引き上げる。

 木と紙で出来た扇。色鮮やかに梅の花が描かれた扇子は広げれば腕一本分ほどの長さがあり、風を求めるには大分と大きい。さらに銀細工の飾りが扇の先から何本も垂れ下がり、振る度に風に吹かされ音をたてる。ガチャガチャうるさくて涼どころの話ではない。その名の通り、舞いのためだけに作られた扇なのである。

 楽師の笛の音に合わせて雪梅は舞扇を翻し。

 あ。声が漏れるのと扇が木の床を叩くのは同時だった。

「集中なさいませ。扇を落とすなど有り得ぬ粗相ですよ」

 敬語に様付け。最低限の礼儀を引っ提げた声には何度も同じことを言わせるなという憤りが見え隠れ。隠そうとしているからこそ一際目につき鼻につくことを分かっていないのか、この梅干し婆は。

 分かってるわよ、醜態を晒したのはこちらだということは。でも仕方ないでしょうが。かれこれもう三時間以上は踊ったままなんだから。

「なんですかそのお顔は」

「生まれつきこの顔なんですー」

「そういうことを言っているのではありません。いかなる時も梅守うめもりの誇りを胸に、笑顔は絶やさず。梅守一の“舞い手”と名高かった奥様は、雪梅様と同じ年の頃には既にご立派に役目を果たらされておりましたよ。なのに雪梅様ときたら」

「分かったから。ちょっとは休憩させてよ。この服暑いんだから。ねえいいでしょ、婆や」

 雪梅はお目付け役兼、舞踊の師である婆やに懇願する。

 何枚も重ねた衣をこれまた無駄に豪勢な長い帯で締めた舞踊衣装。見栄え重視の服は重く長く歩いているだけでうっかり踏みつけてしまいそうになる。胸元の襟をはためかせると、すぐさま叱責が飛ぶ。

「後生でございます雪梅様」

「婆やに後生をかけられてもねえ……」

 雪梅様。鋭い声は怒りではない、嘆きの色。

「わ、悪かったわよ、ちょっと口が過ぎただけ。本当にそんなこと思ってないわよ」

「まったく……。梅守本家長女である自覚をお持ちください」

 長女とは言っても雪梅の上には兄が四人、下に弟一人という大所帯である。その紅一点として蝶よ花よと愛でられ育った気分は|末っ娘(すえっこ)だ。

「よろしいですか雪梅様。地位とは力。力とは振りかざすものではなく、振る舞うべきものなのです。貴方様の行いには望まずとも重い責任が伴います」

 雪梅は溜息代わりに肩を落とし舞扇を侍女に手渡す。年若い使用人はおろおろと、しかし突き返すわけにもいかず受け取る。

「はい、では朝の稽古はここまでってことで」

「なにちゃっかり終わろうとしているのですか。そんな勝手許されるとお思いですか」

 勝手だなんてとんでもない。「婆やの言う責任とやらを取ると言っているのよ。さっき私は休憩にすると言ったのだから、それを実行するだけ」

 ついでに昼食の刻限も近い。休憩がずれ込んで結果終了ということで。はい解散。と手を打つ。

「そのような調子ではお役目を果たすことなどとてもとても……」

「なんとかなるわよ。降梅祭こうばいさいまであと一週間もあるんだから」

 追いすがる婆やの声を背に流し、雪梅は稽古場を後にした。


 梅華ノ都ばいかのみやこ

 それは何百、何万もの群生する梅の木を土壌に築かれた大地から切り離された都である。

 梅の幹に何本もの枝が隙間なく巻き付き、その枝幹にまた他の枝が絡みつく。老いた梅の上に花咲かす若き木々が育ち。無数に繰り返しては広くもっと高く。小高い山など軽く見下ろす中空へと。それはまるで生きた木々で編んだ花籠はなかごのよう。まさに人々の営みという華やぎ抱えた花籠である。

 桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿という言葉にもある通り強く逞しく。成長著しく伸びに伸びる梅の枝葉。だとしても街一つ抱え込むには悠久にも思える時間が掛かったと伝え聞く。

「その門外不出の技術を継承し、今もなお都を存続させ続けている一族。それが雪梅様。そして梅守一族でございます」

 げんなりと雪梅は頭から畳に崩れ落ちる。

「やめてよ。私が言っているのはそうじゃなく。それと舞踊になんの関係があるのかってことよ」

 やつあたりに靴を土間へと脱ぎ捨てる。底が厚くてその分重いのは偉大な祖先の伝承と同じだ。伝統だかなんだか知らないが歩き難いったらない。

「普通に踊る分にはなにも問題ありません」

 脱ぎ捨てた服を拾って侍女は呆れたように言う。腐ってもそのための靴なのですからと。

「でもでも、動いてたらすっぽ抜けそうになるんだから」

「万が一にもそのようなことはあり得ません。ちゃんと紐で結んでいるのですから」

 にべも無い物言いである。腐らせるあたり汲んではくれるが純然たる味方ではない。身の回りの世話役であるこの侍女は年が近いこともあり、雪梅にとって数少ない他愛のないお喋りができる友人なのだが。

「それでも不自由を感じるのは雪梅様のお転婆が過ぎるだけでは」

「言ったわね。罰としておまえの昼餉から甘味を抜くわよ」

「言では勝てぬから蛮行ばんこうでもって物申すなど、お転婆は過ぎるのにその心は狭量ですか」

「決定。厨房長にこの旨伝えなさい」

 別の下女に命じると着付け最中、袴の紐を切れそうなくらい引き絞られた。蛮行はどっちだ。

「この着物もそうよ。豪華に飾り立ててくれちゃって」

 舞踊装束よりはもちろんましだが、それでも目を引く艶やかな桜色の衣。袖には精緻せいちな細工で施された梅の花丸紋はなまるもん。長い黒髪に絡むごってり太い翡翠ひすいかんざしを差された頭が重い。

「辛抱ください。お役目にございます」

「馬鹿みたい。あの舞いだって本当は何の意味もないのに」

「梅は花を落として実を結ぶ。だから――」

「たとえ舞いそのものに意味がなかったとしても、母なる梅の木と雨に感謝する心を忘れずに、でしょう」

 婆やを真似てそらんじる。耳にタコができるくらい聞かされた説教だ。

「忙しない年末明けて年始。行事に祭事に挨拶回り。やっと終わったかと思えば直後に始まる舞踊の稽古。都で最も重要な祭りなのは分かっているけど、祭りそのものは六月よ?」

 始まる前に息切れしちゃう。半年もの間、意欲を維持し続けるなど出来ようはずもない。そこに意味が無いならなおさらだ。

「民たちにとっては降梅祭なんてただの見納めの花見。私なんて格好の酒の肴(さかな)くらいにしか思ってないんだから」

「そう卑下なさらずとも」

「伝統って言葉で崇めて一方的に有難がって。まったくめでたいことだわ」

「民にとって伝統とはしるべです。そこに雪梅様のご意志は関係ございません」

 なにか気に障ったのか突き放すような指摘にさらに気分が落ちる。侍女はと言えば着付けが終わったのをこれ幸いと後ろへ下がる。あーもう何も考えたくない何もしたくない。

 ――こういう時はアレしかない。

「雪梅様。じきに昼餉が届きますよ。いったいどちらへ?」

「ちょっと外の風を浴びるだけ。連れはいらないわ」

「……また逃げるおつもりですか?」

 そうは問屋が卸さないとばかりに侍女が動くより早く、雪梅は土間にある彼女の下駄に足を滑らせ駆け出す。追いすがる声が人を呼び、侍女たちが廊下の先を塞ごうとするが。

「怪我したくなければどきなさい!」

 わらわら現れた女が今度はばらばらに散っていく。奉公人は眼前の権威に弱く、肉親はやれ仕事だ呼び出しだと方々出払っている。止められる者などこの屋敷では婆やくらいのものだろう。

「雪梅様あ―――ッ!」

 廊下の先に走る雷。噂をすればの婆やだ。猛進する雪梅を受け止めるつもりらしいが。

「なにを⁉」

 雪梅は眼前で袖を翻す。庭園を望む廊下の壁は腰ほどの高さしかない。軽々跳び越え降り立った庭の奥へとひた走る。貯水を兼ねた池の飛び石を弾んで抜けると、驚いた鯉が水底へかい潜る。そうして背の低い梅の枝に足を掛け屋敷の塀へと飛び登り。

 振り仰ぐ空は紅色。夕陽ではない。はるか天穹てんきゅうに広げた無数の大手に宿る梅の花だ。

 他所の梅とは違い、梅華の梅はおよそ半年ほどに渡って美しい花をつける。

 今が散り際目前の最盛期。一番の満開どきだ。

 そして眼下には茶色い枝幹の大地に築かれた美しい都。美しいのはその形である。

 一つ一つ丁寧に編んだ目のよう。街道は計算の元に敷かれ、白桃色の家屋が規則正しく整然と建ち並ぶ。これが雪梅の生きる梅華ノ都。

 断崖の下を覗き込む。おやめくださいお戻りください。声が背に縋る。塀に梯子を掛けにじり寄る用心棒。今日は追いかけられてばかりだなあなんて他人事のように思う。

 よっと。なんの躊躇いもなく雪梅は絶壁を飛び降りた。甲高い悲鳴には耳を塞ぎ、そこここに伸びる枝に器用に足を掛けてやがて地表へと降り立つ。

 母なる大地だろうが子どもにとって梅の木は格好の遊具。どのくらいの太さなら許容されるかは熟知している。枝と枝を飛び交い鬼ごっこをした日々は昨日のことのようだ。要は脱走など雪梅にとっては朝飯前なのである。

「多分、夕餉の前には戻るから。それじゃ!」

 鼻歌を口ずさむ上機嫌ぶりで一本の道を行き、市場の雑踏に紛れ込む。

溢れかえる人々に活気のある声。人目も憚らず下駄で跳んではくるりと一回転。そうしていると心に血が通っていく気がした。

 これよこれ、この開放感。やめられないわ!

 しかし程なくして雪梅の意気は地にあいた黒いうろまで撃ち落とされることとなる。

 異変を告げたのは紅色だった。はらり、はらりと道端に落ちるのは梅の花と――。

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