第43話γ その唇が触れる時


 達海は美雨とともに夜を駆けた。

 日中になりふり構わず戦いをするようになってからか、夜は普段よりも人気がなかった。

 

 お互いに動き回ってるのもあるかもしれないが、達海らは日が暮れて以降、誰一人と会うことなく日をまたいだ。この間、美雨に大きな異常はなかった。


 しかしそれでも達海は美雨を憂いてばかりいた。

 建物の脇に身を寄せ、適宜美雨の身体を確認する。



「...どうだ? 問題はないか?」


「体の方は...な」


 その含みのある言い方は、達海をさらに心配させる。


「どこかまずいところが...?」


「生きるのには問題ないと思う...。けど、何だろうな。...温度が、分からないんだ」


「え?」


 美雨は端的に、かつ絶望的な言葉を達海に突きつける。


「さっきまでは体が風を切ってたこともしっかり感じれていた。...けど今は、何も感じないんだ。おかしいよな。藍瀬、今、寒いよな?」


「...どことなく肌寒いよ」


 もう11月も終わり、12月に差し掛かろうとしている。

 せわしく過ぎる日々の中で、いつの間にか達海は様々な存在を忘れていた。


 白飾祭のこと、弥一の事、陽菜の事、そして両親の事。

 何よりも大切にしてきたものの順番が入れ替わったせいか、それらはあっさりとなくなっていた。


 それが証拠に、達海は思い返そうにも感傷に浸ることが出来なくなっていた。大切な存在のはずなのに。忘れたくないもののはずなのに。


 悲しくない。辛くない。いつの間にか自分の心がそのように変わっていることに達海は気づいた。


 それほどまでに、達海は美雨しか見えていなかった。

 今だって、美雨を何よりも大切に思っていた。


「温度を感じないって...そんなこと」


 意地になって、達海は自分の手を美雨の額へ当ててみる。少なくとも人並みの体温を達海は持っていると自負していた。

 その手が真っ白な額へ触れる。


 恐ろしいほど、冷たかった。それはまるで。



 人ではないように。



「...ダメだ。私はもう、お前の体温さえ分からないらしい」


「...くそっ! くそっ!! どうやったら変わるんだよ! どうやったら救えるんだよ!! 守りたいものを守るなんて言って俺は...目の前の大好きな人間さえどう

にもできないのかよ!!」


 無力であることが嫌になって、達海は地団駄を踏む。

 悔しかった。

 目の前の美雨一人でさえ救えないその事実が、何よりも悔しかった。


 そんな達海を、美雨は例になく優しく包み込むように抱きしめた。


「お前が自分を責めることじゃない。これは、宿命みたいなもんなんだ」


「それで片付けることって出来ないだろ...! 少なくとも俺はまだ、美雨とやりたいことがたくさんある!」


「...ああ、私もだ。...だから最後までできることをやるんだろ?」


「そうだけど...!」


「じゃあ文句は無しだ。大丈夫、私は死なない。達海。お前が守ってくれるんだろ?」


「...ああそうだよ。死ぬまで一緒って言ったのはお前だろ? そんなこと、当たり前の話だ」


 自分を鼓舞するように、達海は声を上げる。そうでもしなければ、どうにもならない現実とどうにも出来ない無力さに押しつぶされそうだった。

 美雨は少しだけ微笑んで、それから達海に体を寄せた。


「美雨?」


「まだかすかに分かるんだ、温度。...だから、その間でいい、お前の体温を焼き付けたい」


「...そうか」


 それ以上言葉が出ない。

 達海はただ美雨の望むまま、自分の身体を美雨にゆだねた。

 美雨は柔らかく抱き着くように、その体をさらに寄せる。


 二人は目を閉じる。しかし、意志は共有していた。

 自然と唇と唇が近づく。


 だが、それらが重なり合おうとしたとき、達海の携帯端末が勢いよく振動を始めた。


「!?」


「悪い、俺のだ」


 雰囲気を壊され、少しだけ不満げな美雨をよそに達海はその電話を取った。黒谷からである。


「もしもし...」


『よかった。生存状態に問題はなさそうだな』


「まだまだ動けますよ。...というか、どうしましたか? 定期報告もちゃんとしているはずなんですけど...」


『ああ。そのことなんだが』


「?」


 少し歯切れの悪い黒谷に達海は違和感を覚える。しかしそれを口にする間もなく、黒谷は命令の撤回を宣言した。


『本部への帰投は可能そうか?』


「...出来ないことはないと思いますが、現在地がだいぶ本部まで離れています。そこまで帰るのは少々リスクがあるかと」


『では、近くに休める建物はあるか?』


「ここら辺は廃ビルが多いんで、ばれないように身をひそめることはたぶん造作のないことかと」


『じゃあそれでいい』


「いったいどうしたんです?」


 少し含ませた言い方をする黒谷に少し達海は苛立つ。上がった声音で催促すると黒谷は少しだけ気まずそうに要求を述べた。


『ただちに美雨君を近場で休ませろ』


「え...?」


 夜であることを考えれば道理に合う話ではあったが、達海は納得できなかった。

 今ここで美雨を休ませれば、もう二度と目を覚まさないような気がどこかでしていた。


 無論、それの確率は低いとそう分かっていた。それでも、得体のしれない恐怖がただ達海を取り巻く。


「今の美雨が寝てしまったら...起きないなんてこと、ありませんよね?」


『担当医が言うには問題ないそうだ。もちろん、美雨君が瀕死の状態でなお体をすり減らしてまで戦ってない限りな』


「それは...多分、大丈夫かと」


 それでも心配だったが、命令とあらば仕方がない。

 それに、達海自身も少なからず疲労を蓄積していた。休むにはありがたい命令で合った。


 大丈夫だろうと腹をくくり、達海は命令を受諾する。


「分かりました。本人に伝えておきます」


『ああ。...そうだ。もう一つだけ』


「なんです?」


『...命は、粗末にするなよ』


 黒谷の言葉は、傍から聞けば当たり前のような言葉だった。

 けれど、戦いに身を置くものの言葉ではない。黒谷がそのような思考の持ち主ではないことは、達海は重々承知していた。

 

 だからこそ、自分の信念を後押しするようなその言葉が、達海は嬉しかった。


「...はい!」


『では切るぞ』

 

 そこで通話は途切れる。終わるのを今か今かと待っていた美雨はその様子を見て達海に駆け寄った。


「どういう内容だ?」


「別に大したことじゃない。それより美雨、あそこ行くぞ」


「あそこは...ただの廃ビルだが?」


「お前に、休めって命令が出てるんだよ」


「あぁ...。あれ? いいのか? こんな状況で」


「上からの命令だ。俺たちにとやかく言う権利はないだろ」


「そうか...」


 美雨は、先ほどの雰囲気が壊れたことを少しだけ口惜しそうに口先を尖らせ、俯く。長い間ともにいて、それが分からない達海ではなかった。


(こんな時気が利いた言葉を言えたらかっこいいんだろうけどな。流石にガラじゃないか)


 だったら、本心をちゃんとぶつけようと達海は美雨の背中をポンとたたいた。



「いつだってできるさ。戦いが終わったらな。だから今は休め」


「そうだな」


 それ以上言葉は必要なく、二人は一番綺麗な廃ビルの中へと身をひそめることにした。



---




~Side M~


 廃ビルの内部に入って休む。それが私に課せられた命令だった。

 実際、体力の方もだいぶ限界を迎えようとしていた。その中でこの命令はありがたかった。


 捨てられて間もない部屋。内装は驚くほどきれいで、家具もそのままにしてあった。

 私はマットレスだけ用意されたベッドに倒れこむ。達海はその近くで私に寄り添うように座った。


 互いに目をつぶる。けれど、眠ることは出来なかった。

 どこか目が冴えて、体が休まない。



 今日だけで、たくさんのものを失って、たくさんのものを得た気がした。

 半ば強引だったとはいえ、達海と夫婦の契りを交わした。

 それをお父様に見てもらって...その場でお父様は亡くなった。 


 そして、さっきのこと。


 先ほどの余韻が、まだ体に残っている。

 電話に邪魔されたとはいえ、私はあの瞬間、自分の全てを達海にゆだねようとした。



 唇と唇を重ねる。


 いつかの私ではきっと想像もつかない行動だった。


 けれど今は...それを、欲している。

 私は今、私の意志で、藍瀬 達海の女になりたがっていた。


 もう一度、戦士として戦う氷川 美雨になったつもりだった。

 けれど、愛を知って、私は女になった。


 もちろん、異性愛だけではない。

 

 家族愛。


 私がなくしたと思っていたもの、それを今日、失ってもう一度手に入れた。

 お父様という、大きな代償を払って。


 私らしくあるということは。

 一人間、一人の女性としての私であるということ。


 だから私は、もう戦士になることなどできなかった。

 ただ今はこうして、愛を望んでいる。


 体に埋め込まれた時限爆弾が爆発する前に。

 私が私でいられるうちに。


 だから...私は。



 達海が起きないように体をそっと起こし、私は達海の顔の前に立った。



「...一度だけだ。結婚式の時も、出来なかったからな」


 少しだけ体勢を前に傾けると前髪が垂れた。それを耳にかけて私は...



 



 その唇にそっとキスをした。


「...好きだ、達海」


 例え、私が明日死ぬことになっても。私はお前が好きだ。

 







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