第41話γ 馬鹿おやじ


「俺、行ってくる!」


 美雨を傍で休ませ、自分は血だまりの元へ行こうとする。

 しかし、ひときわ強い力が、達海の服の裾を引っ張った。美雨だった。


「私も...行く」


「だいぶ無茶してるだろ。そんな危険なこと...」


「...多分、行かなければいけないことだと思う。だから」


 その意志の堅さに達海は比較的早く折れた。


「...分かった。一緒に行こう。...立てるか?」


「...お願いする」


 差し伸べられた達海の手を、美雨はしっかりとつかんでどうにか立ちあがる。

 その手の冷たさを、達海は忘れることは出来なかった。


「...」


 確実に、美雨の死期は迫っていた。能力というものへあまり精通していない達海でも、それは一目瞭然だった。

 不思議と焦りはなかった。ただ黙ったまま、目の前の現実を受け入れる。


 そして何より、今はやらねばならないことが。


「...行こう」


 達海は美雨の手を引いて歩き出す。

 視界に広がる、血だまりのもとへ。


 

 足元に鮮血がにじんでくる。

 顔を上げる。


 そこにいたのは美雨の父親だった。



 最も、その体から無数の血を流して倒れた状態で、だが。


 深く切り裂かれた無数の傷。いくらか致命的なものも垣間見える。

 反対側まで見通せるほどの穴ですら、体に開いていた。



「嘘...だろ」


「お父様っ!!!!」



 普段は冷静でいるはずの美雨でさえ、大声を上げずにはいられなかった。

 目の前で死にかけているのは、自分の父親である。無理のない話ではあった。


 どれだけ厳しくても、自分を戦いに駆り立てようとも、親子であることには変わりない。その間には確かに情というものが存在していた。



 明らかに冷静さを欠いた美雨は血だらけの自分の父親の元へ我も忘れて駆け寄る。

 自分の手が血でぬれることもいとわず、その体を抱いた。


「お父様! 返事をしてください! お父様!!」


「...大きい声、出すな。...敵が、勘づく、だろうが」


 

 低くしゃがれた小さな声。しかし確かに、美雨の父親はまだ生きていた。その現実に美雨は表情を明るくし、達海は、目を伏せてうつむいた。


 ゾーンの抜けきっていない達海の脳は、目の前の男の状態が死の寸前に燃え上がる灯のそれだと分かっていた。


「お父様...!」


「泣くな...、全く、情け...ない」


 威勢のないその声に従うことなく、美雨は涙を流した。

 このままでは冷静な話は出来ないと踏んだ達海は、自ずから前に出て言葉を交わす。


 遺言を、聞き逃さないために。



「...一体、何があったんですか?」


「お前は...。......脇に、迷い込んだガキが...一匹...いてな。...なんでかなぁ、助けて、しまったんだよ...。ソティラスの...人間に...殺されようと...してたところを...」


「そんな...」


「おかしな...話だよな...。俺たち、...秘密を守るため...何人も...そうやって...切り捨てたって...いうのにな...」


 白飾の裏の情報統制は厳しい。

 迷い込んだ一般人は、大概が殺されるか組織に連れ去られるかどちらかである。


 それを無視してまで、美雨の父親は一人の少年を助けた。

 

 明日を迎えるためなら犠牲を厭わない。そう言っていた美雨の父親の行動とは、達海はとても思えなかった。



「...なんで、そんなこと。少なくとも、あなたは...」


「...お前の言った...言葉が...頭をよぎって...な。...そう、なんだよ...。明日を迎えるのは...いつも...若い...人間で...。...全く、慣れねえことは...するもんじゃ...ねえな。...ゲホッ!」


 大きくせき込んで、美雨の父親は血を吐き出す。それは美雨の動揺を駆り立てた。


「...!! 藍瀬! 今すぐ救護班を...」


「...」


「...藍瀬?」


「...知ってた、みたい...だな」


 美雨の父親は自分の死期を達海に悟られていることを理解した。今にも崩れ落ちそうな、震える腕で美雨の腕をつかむ。



「...美雨、...こんな父親で...悪かったな」


「お父様、何を...?」


「...いいか...よく聞け...。...これが、多分、...最後に...なる」


「最期だなんて...そんな。...藍瀬! ねぇ!」


 目元を真っ赤にはらしながら、美雨は達海の胸を掴む。しかし、達海が言えることは何もなかった。

 言わない方が、優しさだった。


「...死んでしまう、なんて」


「ああ...そうだ...。...ここが...終着点だ...」


 美雨は力なく、その場に崩れ落ちる。そのつらそうな様子が、美雨の父親への愛を示していた。


「...いつまで泣いてる...! それでも...氷川家の...人間か...!」


 そんな美雨を、父親らしく叱り飛ばす。美雨は泣きながら、背筋を張らした。

 目元をごしごしとぬぐって、その顔を父親に向ける。それを受けて、ようやく美雨の父親は語りだした。


 遺言ともとれる、言葉の数々を。


「お前が...生まれて...17年...か。...父親らしいこと...一つも...出来なかったな...。悪い」


「いえ...いえ! お父様は...立派に私の父親でした! いつも...いつも、その背中にあこがれて、強い人間になりたくて...私は!」


「...美雨。お前は...優しい子だ...。...本当は、戦いなんて...してほしく...」


「それは言わないでください! ...これは、もう、私の意志なんです」


「...そう、か」


 きっかけを作ったことを後悔するのは美雨の父親だったが、もはやそれは美雨の覚悟となっていた。

 洗脳に近い状態で戦っていた日々はもう遠く昔の話。


 今この場所に立っている氷川美雨は、間違いなく自分の意志で戦いを望んでいた。


「...俺も、案外...馬鹿おやじ...だったんだろうな...。...なぁ、小僧」


「ああ。馬鹿おやじですよ、ほんと。...馬鹿みたいに、娘想いの、最高の...おやじさんですよ」


 達海は唇をかみしめた。

 願わくば、目の前の人間に死んでほしくなかった。


 しかし、それは叶わぬ願い。目の前の命は、間もなく潰える。

 何もできない自分が悔しくて、唇をただかみしめる。


「...あーあ...。...死にたく、ねえなぁ」


 ふと美雨の父親から零れた言葉。

 その言葉は、達海の涙腺をたちまち壊した。

 とうとう達海の目からも涙が零れ落ちる。


「...こんな馬鹿おやじでもよ...時々、夢を...見るんだ。...自分の...娘の、幸せな姿を...。...いつも、見てた」


「お父...様...!!」


 美雨は嗚咽を漏らし始める。赤の他人である達海が涙をこらえられないというのに、美雨自身が涙をこらえるのは無理な話であった。


「...幸せ、か。...俺たち、それを求めて...戦ってた...んだよな。...そうだよな」


「いつだって、俺たちは...それを思って戦ってますよ」


 そう思わないと、あまりにも目の前の死が空虚すぎた。


「...だったら...最後くらい...幸せに...なりてえよな...」


 

 それは、一人の兵士の願い。

 長い間、自分を駒として費やしてきた男の、ほんの些細な願い。

 

『幸せになること』



 それを聞いた瞬間、達海は美雨の手を取って立ち上がった。


「藍瀬...!?」


「...美雨。結婚しよう」


 突然すぎる求婚。

 幸せの形の一つである結婚を、達海は最愛の美雨に申し込んだ。


 もちろんそれは、美雨の父親のためだけではない。

 何より達海自身が、そこまで美雨を欲していた。


 もう存在が無くなろうとしている美雨に、傍にいてほしかったから。


「...本気、か?」


「俺はいつだって本気だよ...。最後の時まで隣にいるってんなら...契りくらい交わしてほしい。俺はそんだけ、お前のことが好きなんだよ」


「...分かった」


 美雨は嗚咽を無理やりに止め、もう一度涙をぬぐって達海の左隣で達海の腕を取った。


「...ベールも鐘もドレスも何もないけど...ここで結婚式をしよう」


「...ああ」


 達海は瞑目して、知識の限りで言葉を並べる。


「...新郎、藍瀬 達海。あなたはここにいる氷川美雨を、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しきなる時も、...世界が終ろうとする時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」


 目を開けて、美雨を見つめる。


「はい、誓います」

 

 再び向き直して、今度は美雨のための言葉を告げる。


「新婦、氷川 美雨。あなたはここにいる藍瀬達海を、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しきなる時も、世界が終ろうとする時も、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」


「はい、誓います」


 美雨は少し恥ずかし気に、はっきりとその言葉を口にした。


「...っと、誓いのキスはどうする?」


「そんなのお預けだ! まだ...ちょっと...心の準備が...」


「ぷっ。だよな。俺もそうだ。...じゃあ、代わりに」


 達海は顔を赤らめてうつむく美雨の身体に思い切り抱き着いた。


「...キスはまた今度、な」


「...そうだな」


 そうして夫婦の契りは終了する。二人は晴れて夫婦となった。

 一息ついて、達海はしゃがみこみ、美雨の父親へ声を掛ける。



「...というわけで、俺たち結婚しました。...お義父さん」


「...若者、だな」


「若者ですから。行動力には富んでますよ。...何より、これが俺の本気です。...俺は美雨と、幸せになります。絶対美雨を...美雨さんを、幸せにします」


「...ふん。...いっちょ前に...新郎気どりか...」



 もう動かなくなりつつある口の端を動かして、美雨の父親は笑う。


「...もう、十分だ...。...娘の...結婚も、...目の前で見れたしな...。...ああ、...こんな終わりも...悪くない」


「お父様...!」


 美雨はもう泣いていなかった。必死に歯を食いしばって、涙をこらえる。

 そんな美雨の頭をもう一度だけ美雨の父親は撫でた。


「...達海、と...幸せにな...」


「...はい。任務、了解しました」


「...いい、返事だ」


 そして美雨の父親は美雨の頭から手を離すと、達海に明後日の方向を指さして告げた。


「..あそこに...俺の...刀が...ある...。...もってけ...ご祝儀...だ」


「刀、ですか? ...これを」


 刀を回収し、確認したことを美雨の父親に告げる。


「...そいつの名前は...陽縁ようえん...。きっと...前なら...使いこなせる...」


「ありがたく、受け取ります」


 その返事に満足してか、美雨の父親はいよいよ目を閉じた。

 達海と美雨は、それぞれ両の腕を取る。


 それはもう力なく尽きようとしていた。


「...ああ。...こんな終わりも...悪く...ない。...そう、だろう...? 美希...」


 通っていた神経がぷつりと切れる。

 美雨の父親は確かに、逝った。


「お父様...! お父様! お父様あああ!!!!」


 こらえきれず、美雨はこれまで以上に涙を流す。

 その背中を達海はただ支えることしかできなかった。





 そうして二人は初めて、身近な人間の命の大きさを理解するのだった。





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