第40話γ 対話の果てに


 肌を切り裂くような晩秋の風。

 何もない空間にこだまする二つの足音。


 されどここは戦場。紛れもない戦場。

 達海は美雨と市の中心部より離れた区画、いわば裏の白飾を普段より何倍も入念に見回って走った。


 それが任務であることに、文句の一つも言わず、ただ自分の許された範囲で自分のやれることをやる。


 敵は、いまだにいなかった。



「...止まれ」


 美雨の小さな静止の声に、達海は足を止めた。


「なんだ?」


「...妙に、人気が無さ過ぎはしないか? なんどか今まで通った道を歩いてきたことはあるが、ここまで人に出会わなかったのは初めてだ」


「...多分、それほどまでに他の人間が本部に向かってるんだろうな」


 しかしその割には、本部ビルでの喧噪の音すら聞こえない。

 あまりにも妙であった。


 そんな二人の脳には同じ言葉が過る。


「「...能力(なんだろう)か?」」


 重なる声に二人は黙り込む。少し照れ臭そうに口を開いたのは達海だった。



「...悪い。...さっきのことは置いておくにしろ、あまりに不自然に思うんだよ」


「だったら、何の能力だろうか?」


「...神隠し、とか」


 ポツリと達海は慣れない怪異の名前を口にする。正直美雨が知っているかどうか、信じるかどうかも怪しかったが、達海の予想に反して美雨はうんうんと頷いた。



「知ってんのか?」


「あいにく私は白飾外の様子を知る人間でな。多少なりそちらの文化も触れている」


「あ、そっか」


「最も、体験したことなど毛頭ないが...ん?」


 美雨は何かを発見したようで、声を発するや否や目を細め、達海に体を近づけた。



「...左奥80mほどのところの角、あそこだ。...誰かいる。見慣れない顔だ。おそらく...」


 敵であるという推測を受け、達海は背筋をこわばらせる。しかし、それは恐怖、不安、緊張とは無縁の、集中するという感情をのみ持ち合わせていた。


「...俺が行ってけん制して、出方を見るか?」


「...そうだな。危なくなったらいつでもヘルプの合図を出せ」


 美雨に背中を押されて、達海は確かな足取りでそこへ向かう。

 

(...聞こえる)


 耳を澄ませると、必死に殺されている呼吸の漏れが、一つ、微かに聞こえた。

 確かにそこに、いる。


 一歩、また一歩、歩み寄る。


 そして、距離が20mもなくなったところで、空気が揺れた。

 視界が歪み、平衡感覚が崩れる。


 目の前にいたはずの男は、すでに自分のすぐ近くまで躍り出ていた。


「なっ―――――」


「伏せろ! 藍瀬!!」


 後ろから響く美雨の声を信じ、達海はとっさに地面へ倒れこんだ。

 その頭上を鋭くとがれた刃が通り過ぎる。


「!」


 二撃目が来ることは容易に想像できた。できたからこそ、まずは距離を取る。

 達海は素早く体勢を立て直すと、勢いのままに後ろへ飛び跳ねた。


 初撃を行った相手との間に距離が出来て初めて、達海は周りを見回す。

 そこには、先ほどはいなかった人間という存在がさも当たり前のようにいた。


 遠くに何も関知していないような人間の歩く姿が目に映り、近くに武装した人間の姿が目に映った。


 数は4。達海は、取り囲まれていた。

 ここで達海はようやく、目の前の事情を理解した。


(...いかん、冷静になれ...。俺がやるべきことは...)


 一つ息を吸って、周りの人間が攻撃してこないか十分に警戒しつつ、達海は自ずから語りだした。


「...ソティラスの人間か。何の用だ」


 問いかけに対して、リーダー格の人間らしき、白髪交じりの人間が低い声音で対話に応じた。


「用も何もないだろう。...ここは戦場だ。出会ったら、戦うのが定め。それくらい知っているだろう」


「...知ってる。けど、それでいいのか?」


「それ以外は...ない!」


 交渉決裂はあっけなかった。

 達海は一度対話を諦め、自分の集中を極限まで高める。深い海に落ちるように、神経を、体を沈めていく。


 視界が澄み切っていく。自分目掛けて突っ込んでくる敵の攻撃を躱すポイントを見つけるのは苦ではなかった。


「つあっ!」

 

 先ほど自分に刀を振ってきた男の刃を今度はいともたやすくひょいと避け、背後から感じる気配に特別力を籠めず回し蹴りを放つ。


 腹部にあたった感触が達海に伝わったところで、次の人間に目を向ける。手には確かにピストルが握られていた。


(銃は聞いてねえって...!)


 一瞬生まれた焦り。それは表に出る前に凍てつき、砕けた。

 見れば、美雨が達海の左に飛んで入っていた。振り上げた雪輪は、確かにピストルの先端を切り裂いていた。


「なっ!」


 暴発寸前のピストルを男は空へ放り投げる。その隙を待っていたのは達海だった。



「...ごめん!!」


 死なない程度に、しかして全力で。

 達海は重力を拳に集中させ、一気に突き出す。信念が据わった拳は、久しぶりにふるった割には正確に男の腹部、一番ダメージの少ないところを打った。


 しかし、能力は能力。達海は自らの手に骨を砕く感触を覚えた。それに嫌悪を覚えつつ、その拳を振り切る。


 殴り飛ばした男は遠くへ飛ばされたが、ぴくぴくと動く体が、かろうじて生きていることを伝えている。


 それに構うことなく、達海は別の方向を向きなおし、動きをけん制する。一人失ったことが響いてか、ソティラスの構成員は動揺を隠しきれていなかった。

 その隙をつくように、美雨は足元に冷気を張り巡らせた。


 刹那、達海は美雨からアイコンタクトを受け取る。


(足を凍らせるから逃げろってか...。分かった!)


 達海は美雨と場所を変わるように、後方へ下がり始める。


「待て!」


 気づいた男が一人動き出そうとした瞬間、足元の冷気はさらに温度を下げ、瞬く間に目の前に立ちふさがる男たちすべての動きを封じた。


「くっ、冷却だと...!!?」


 動きを封じられた男の前に敢然と立ち、美雨はその刃先を先ほどのリーダー格の男へ向け、そのまま黙りこんだ。


「...なんで殺さない」


「それはこっちに聞け。おい、藍瀬。終わったぞ」


「...ん」


 相手に抵抗するすべがないことを確認して、達海はリーダー格の男に歩み寄る。勝ち目がないことを悟ったリーダー格の人間は、失望の目をしていた。


「どうして殺さなかったか、だって? 簡単だよ。聞きたいことがいっぱいある」


「...脅されたって重要機密は吐かねえ。なにより、知らねえ」


「別に俺が知りたいのはそんなことじゃない。...どうしてあんたらソティラスが、生きることを諦めているのか、それを知りたいだけだ」


「...知って何になる? 俺一人説いたところで世界は変わらない。今日にも明日にもコアは完全破壊される。もう遅いんだよ」


「それでもだ」


 鋭い声音。確固たる意志の前では、前後関係はもはやどうでもいいものだった。

 


「俺はあんたたちを、世界を知るためにここにいる。遅いとか早いとかそんな理論めいたことじゃない。だから、話してもらう」


「拒んだら?」


「拒んでもだ」


 引かない達海にいよいよ諦めたのか、男は自分の過去を淡々と語りだした。

 

 もといた組織に全面的に裏切られたこと。自分の全てを注いだものに真っ向から裏切られたこと。それが響いて、希望の一つも持てなくなったこと。




「だから、ソティラスに入ったって?」


「俺にはもう失うものは何もない。でも同時に、守るべきものも何もない。きっと、俺みたいなやつがこの世界にはたくさんいる。ここにいる奴らだって同じだ。...だから、その負の連鎖を終わらせようと」


「...でもそれは、他人が幸せを得ていることに持っている妬みだな。あくまで個人のエゴ、逆恨みにすぎん」


 言い分を分かったうえで、美雨が横から冷たい指摘を飛ばした。ごもっともな

その言葉に男はなす術もなくうなだれる。

 しかし、言葉はそこで終わりではなかった。



「...本当に、幸せは何もないか?」


「ああ」


「探したか? 目に見えない小さな幸せまで」


「なんだ!? 俺からすべてを奪ったこの世界のことを、俺はまだ信じなくちゃならないのか!?」


 たまったストレスが爆発したのか、男は心の底からエゴを叫んだ。


「いいか!? この世界はな、誰にでも優しくなんてない! 必ず一定層の犠牲があってこの世界がある! これは犠牲になった人間の、虐げられた人間の反抗だ! それすら許されないなら俺は...!!」

 

 次の瞬間、リーダー格の男、その取り巻きはほぼ同じタイミングで自分の舌をかみちぎった。


「!! おい馬鹿! やめろ!! やめ...」


 叫ぶ達海の言葉は届かない。

 たちまち、あたりには四つほどの亡骸が生まれた。



「...」


 目の前に広がる惨状。達海の握った拳は震えた。

 悔しさでどうにかなりそうな心を必死にこらえる。


 震える口先で、とぎれとぎれの言葉をどうにかして紡いだ。


「また俺は...人を...殺すことになったのかよ...」


 達海の肩に優しさと強さを兼ね備えた手が置かれた。

 振り返ると、瞑目した美雨が首を横に振っていた。


「...信じて進んだ道がこれだ。全て分かり合えるなんて思っちゃいない。...難しいな、世界は」


「でも...こんな終わりなんて...!」


「お前がエゴを押し付けてどうするんだ」


 美雨の指摘は鋭かった。的を射たその発言に、達海は反論の言葉を失う。



「違う生き方があることを伝えたいと思ってるのは私の本音、私の正義だ。...でも、それが唯一だと思って押し付けることが果たして正義なんだろうか? 今のお前のその発言は、昔の私を見ているようだ。...だからこそ、辛い」


「...どうすればいいんだよ」


「受け入れて進むしかないだろうな。...お前はあの男の話を知ろうとした。そして、聞いた。だったら、あの男の言った一定数の犠牲のことも思って生きなければいけないだろう。...託された言葉を無駄にするのか?」


「...」


「私が信じた藍瀬 達海という人間は、こんなうじうじした人間じゃない。ちゃんとした信念をもって、胸を張って立つ人間だ。...だから、お願いだ。強く合ってくれ」


 普段の美雨なら達海のことを一蹴していただろう。しかし、今は違う。

 分かってるからこそ、達海は答えたかった。


 悔しさと、ほんのわずかな嬉しさ。全てを背負うにはまだ達海は幼い。

 しかし、それは顔を背ける理由にはならない。歯を食いしばって、達海は自分の頬を一度パンと叩いた。



「...悪い。迷惑かけたな」


「本当だ。分かってるならほら、次に行くぞ。ひょっとしたら次は分かり合えるかもしれない」


「...そうだな」


 美雨の励ましは何よりも暖かった。例えそれが、ただの気休めだとしても。





---



 達海は走った。昼下がりの白飾をパートナーと駆けては、敵と対峙する。

 何度も戦って、何度も言葉を交わす。


 ある人間は、希望を見出して戦いから手を引いた。

 ある人間は、足元に転がった刃で自分の喉を掻っ捌いた。

 ある人間は、分かり合えないとのたまいながらも達海たちと世界がどう在るべきかを語った。


 分かり合えた嬉しさ、分かり合えない悲しさ、悔しさ、それぞれの思いをぶつけあうことへの喜び、達海の胸の中にはあふれかえるほどの感情が流れ込んだ。


 

 やがて日が傾くころには、達海も美雨も疲弊しきっていた。

 殺さない、という無茶な戦い。しかし、どうにかそれを遵守したのだ。


 その対価として、無数の小さな傷を受けたが。



「...っ!」

 

 ふと、美雨が足を止める。例のごとく、美雨は胸を押さえていた。


「大丈夫か? ...よし、辺りに人影はない。いったん休んで...」


 周りに人間がいないことを確認して、達海はわきに美雨を座らせる。


 ...はずだった。


「...え?」


 ふと、視界に映ったのは、大きな血だまり。そこには、見たことがある人影があった。





「あれは...美雨の」


 確かにその人影は、美雨の父親だった。


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