第43話β 憎しみは深く果てなく


 達海は、驚くことなく、見知ったその人間の名を口にした。


「...桐」


「残念です。こうして先輩とは戦いたくなかった」


 そういうものの、目の前の桐の瞳の色は怒りに燃えていた。

 同胞を殺された恨み、だろうか。それが間違いなく根付いていると分かった。


 それを達海は糾弾することも、理解することもせず、ただ上辺だけで話をつづける。



「...俺はな、生きたいんだよ、桐。...だからさ、こうやって生きる権利を侵害されるのなら、容赦なく戦うつもりだ。...そうして、何人も殺した。もう引けないんだよ、俺も」


 してそれは、自分に言い聞かせるようなものだったが。


「...分かりあうことって、難しいものですね」


「そうだな。...だから、もうあきらめた」


 敵か、味方か。

 それ以上の感情は、境界は、戦場に入らなかった。


 目の前にいる人物は、日常を生きた藍瀬 達海の知る風音 桐ではない。

 目の前にいる敵は、ソティラスという組織の戦闘員。


 そこに、ためらいはいらなかった。



「...分かりあうこと以前に、人間までやめちゃいましたか」


「何とでも言え。俺は引かない」



 次第に、雰囲気が戦いに導かれていることを達海は悟った。

 目の前にいるのは、S級能力者。


(...やれるのだろうか、なんてことは、考えるだけ愚問だよな)


 やらなければ、死ぬだけ。

 爆破まであと数分。もう時間がない。


 インカムの奥から聞こえる零の声も、達海の耳にはもう届いてなかった。



「...そうですか」


 その言葉を境に。


 桐の身体は、達海の目の前から消えた。



(!!)


 とっさに後ろを振り向き、ナイフを抜いて桐からの攻撃に対処する。

 ナイフとナイフが、火花を立てながらつばぜりあった。



(くそっ...! 勢いがある分、重たい...!! 重力増加はダメだ! ならここは...!)


 達海はとっさの判断で、重力を減らし、軽くなった体で後ろへのけぞった。

 そして体制を整え、まだ余裕のあるナイフを一本、桐に向けて高速で投げ放った。



「!?」

 

 急なナイフ投擲に一瞬驚いた桐は、ナイフでそれを処理するあまり、一本上にはじいてしまった。

 その間に達海は距離を取り、出口を目指す。


 初めから、分かっていた。

 今は、戦うべきではない。


 それは、心の整理も、戦闘状況の整理も含めて。


「っ! ...この! 逃げるな!」


 桐は全力疾走で達海を追いかける。それは、常人ではありえないほどのスピードだった。いつかの競争よりも、はるかに速い。



(まずい...な。ポテンシャルが違いすぎる。...それに、能力を使ってるか...。くそっ、らちが明かないな)


 廊下をまっすぐ走り、ただ逃げるだけではだめだと悟った達海だったが、正規ルートなるものはもう存在していなかった。

 それでも、爆発に巻き込まれないように逃げなければならない。


(零のサポートが必要だな...。インカムを...。...!)



 そして、達海は気づいた。

 先の一瞬、後ろにのけぞった瞬間、運悪く達海の身体からインカムが離れてしまっていた。


(まずい...まずい! これじゃ...くそっ! 追いつかれる!)


 肌を切るような風が、廊下に吹き始める。それは、桐の射程内に入っていることを、遠回りに暗示していた。

 じりじりと詰まるその距離の中で、達海は焦りを覚え始めた。次第にゾーンも切れていく。

 

 倦怠感。吐き気、めまい、頭痛...。そうした、ゾーンによる副作用が、顕著に表れ始めた。



(最悪窓から飛び降りるしかない...! ...けどそれには一瞬、一瞬の隙がいる!)



 しかしそれは自分では作り出せない。

 悩んだ果てに達海は、狙撃隊のいるビルをふと見上げた。


 そこに零がいると信じて。


 そして、見上げた瞬間、ふと映った零と、一秒足らずの間で目が合う。


 

 その数秒後、一発の弾丸が、桐の頬をかすめた。



「くっ、スナイパーっ!?」


「今しかない!!」


 達海は、まだ割れていない窓ガラスを、体全身に重力をため、突進で割ったのち、流れるようにそこから飛び降りた。



「...!! 藍瀬 達海!! ...次は、必ず殺す!!」


 怒りに震える桐の言葉を後目に、達海は重力の導くまま地面へと落ちていった。

 


---



 結局その後、達海が着地して一分後ほどたって、ソティラス本部第五ビルは大爆発を起こした。その爆発の規模を目にし、達海は本当に死んでいたかもしれないと背筋を凍らせる。

 

 それから数分して、狙撃隊の生き残りがビルから降りてきた。そこで達海は零と合流する。


「...なんとか、なったか...?」


「なったにはなったわよ。...けど達海、どうしてインカム取れなかったの?」


 零はどうやらご立腹の様子だった。一瞬でも不安な思いをさせてしまったのだ、と達海はすぐさま自分の非を受け入れた。



「悪い。...風音と接敵していた。悠長に話せばまず討たれるし、逃げるにもインカムを拾う余裕がなかった。...落としたんだよ、途中で」


「...そう。けど、戻ってきてくれてよかった」


 零は心からそう言った。そう言ったはずだった。

 しかし達海は、どうしてもその表情の奥の曇りが気になった。



「...その割には、暗い顔してんな。なんでだ?」


 聞くと、零は正直に答えた。



「...うん。ちょっとね。もう少し、ギリギリの戦いになると予想していた割には、意外とすんなりいって...」


「気になるって?」


 零はコクリと頷いた。

 その言葉を受けて、達海はそう言えばと納得できた。


 人数こそ十分にいたものの、行動を害するほどの強敵がいなかった。最後に桐と出会ったものの、それ以外のA級以上の能力者は、達海の目の範囲では確認できなかった。


 何より、そんな人物がいたら、この作戦は上手くいっていなかったのかもしれない。

 考えるほど、達海も妙に思い始めた。



「...確かに、強能力者とは出会わなかったな...。まぐれかもしれないのはあるけど、その割には作戦の成功度がいい。...何か裏があるかもしれないな」


「そう。...だからここは一旦、リーダーの指示を...」


 その途中で、零の通信機が音を立てた。


「もしもし...」


『おう、俺だ。作戦、うまくいったみてーだな』


「ええ。...うまくいきすぎて、逆に怖いくらい」


『ま、それはおいおい話すとしよう。零、達海、一旦戻ってこい。次の作戦を立てる』


「リーダーは?」


『まだ本部攻略作戦に出向いてるが...こりゃちょっと厳しい。ある程度兵力を削った後で、撤退すると俺は踏んでる』


「...そう。分かったわ。一度帰投する」


 通信が終わって、零は達海の方を向いた。


「だそうよ?」


「みたいだな。...なあ、俺らが本部攻略作戦に行くってのは...」


「ないわね。...リスクが高いうえに、物資がもう薄いわ。状態も好ましくはないでしょう? ...怪我はしてないようだけど」


「ああ、なんとかな。...もう少し風音と戦っていたら、まずかったかもしれない」


 ゾーンが切れた後で、人間の感情で冷静に振り返ると、先ほどの桐との戦闘は、かなり危険に満ちたものに思えた。

 

 ゾーンがあったからこそ、最善の判断が出来たわけで、ひとつ間違えただけで、即死かもしれないと。

 その結論に至るのに、時間はいらなかった。



「...とりあえず、今は一度帰投しましょう。話はそこから、考えましょう」


「そうだな」


 達海は残った感情を振り絞って、少し微笑んで零に手を差し出した。それを分かり切った顔で、零は掴む。


 こうして、日が頭上より西に傾き始めるころ、ソティラス本部第五ビル攻略作戦は幕を閉じた。



---



 本部に戻ると、雰囲気は意外にも沈んでいなかった。

 組織からすれば、多少の犠牲はどうでもよいみたいで、少々弔った後に、すぐさま戦勝ムードになったそうだ。

 それも戦争の一部と言えば、確かにそうかもしれないが。


 モニター室を覗くと、一人市内の様子を確認している一誠の姿があった。が、特別焦りを見せているわけではなさそうだった。


「一誠さん、お疲れ様です」


「おう。第五ビル攻略、ご苦労さんだった。あそこの破壊、成功したのは相当大きい。それでいて明日以降の作戦が組めるからな」


「他の戦局は?」



 零が尋ねると、戦勝ムードの建物をよそに、一誠は苦い顔を見せた。



「...本部攻略は失敗だ。攻略員の6割が死んだところで、黒谷さんは撤退を始めた。向こうにダメージがないわけではないと信じたいがな。...残りの2~4はそうだな...。2、3は成功しそうだが4がからっきしダメだ。おそらく、全滅している。人員の割り方をしくじった俺の非だ。...あとで丁重に弔っとく」


 その言葉で達海は理解する。

 参謀という役職に与えられた、その責任と重圧感。

 

 そして、指示を出す側がそれを感じるのなら。

 いつかの零も、こんな気持ちだったのかもしれない。


「...そうだ。それでいて、第五ビルはなんでこんなにすんなりいったんだ?」


 一誠も違和感に気づいていたみたいで、その要因を達海らに問った。



「...強能力者と対峙しなかったというか、どこか薄かったというか...。なんか、分からないんですけど、確かに不自然なように思えました」


「...そう、か」


 一誠はこめかみに指をあてて、考えるそぶりを見せた。しかし、答えは簡単に出そうにないのか、あきらめてその手を離した。



「...うし、分かった。こっちでも考えとく。とりあえず今は休んどけ。黒谷さんが帰ってきてからもう一度作戦を...」


「「いいえ、いさせて(ください)」」


 そう返信する達海と零の声が被った。どうやら、思うところは一緒だったみたいだ。


「休むったって、休むに休めません。その間にも、戦闘に出てる人はいます。体の休息は起きててもできますから。今は、出来る範囲で役に立ちたいです」


「...はぁ、分かったよ。それじゃ、モニター監視付き合え」



 一誠はあきらめて、モニタールームにある空き席二席を指さした。

 そこに座って、達海はモニター越しに映る世界を凝視する。




 その一秒で、全てが変わらないように。

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