第36話β 二人で開く始まりの扉
零の話したそれは、幸せになればなるほど、自分が苦しい思いをするという話だった。
その話は、達海に問って聞くに堪えないものだった。
どころか、同じ立場で誰が聞いても、同じ反応にはなっていたはずだと達海は唇をかみしめながら思った。
「...じゃあ、会長は」
「ええ。...能力を使い続ける限り、ずっと苛まれるでしょうね。同じ症状に」
全てを諦めて、零は笑った。
零は自分の幸せを諦めた。諦めるしかなかった。
つまり、能力と幸せの結びつきはこうだった。
時間停止の代償として発生する、強制睡眠。それは、本人が置かれている状況、本人が感じている幸福度に基づいて、悪夢を見せられる。
かくして、使用者は究極の二択を迫られていたのだ。
能力を使用しないか、幸せにならないか。
幸せを感じたいのであれば、阻害する悪夢は邪魔となる。であれば、幸せを感じている状態で能力を使えない。
逆に能力を使うことを望むのならば、一切の幸せを諦めるしかない。諦めず欲しがるものなら、その悪夢の前に蹴散らされてしまう。
どちらにせよ、嬉しい選択ではなかった。
「会長...」
達海は、かける言葉がなかった。
目の前の零が好きで、でも、そうして仮に告白するとして、成功するとして、幸せにしてしまったら、零はもう能力を使えなくなる。
きっと、今回よりもひどい悪夢にうなされて、果てには死ぬかもしれない。
(...いやだ)
それだけは、嫌だった。幸せなのに、その幸せが許されないなど。
それに、零の立場上、戦いから身を引くことは出来なかった。
零自身がにかけられた期待、置かれている立場、そうしたものからはもう逃げられない位置に、零はいた。
きっと、止めたいと言い出したところで、零の両親と同じように止められることは明白だった。
なにより、零自身が逃げることを許さないだろう。その生真面目な性格が、きっと邪魔をする。
いばらの一本道を、零は一人で歩いていた。
その道中、何人もの愛すべき人を亡くして。
「...会長...!!」
悔しくて、今にも達海は泣きそうだった。
零の前では強くいようと決めた心さえ、もう決壊しようとしていた。
そんな達海を、零はただ慰めるように、震えた手を弱い力で握った。
「...いいのよ、藍瀬君。...多分ね、私の人生は、ずっとこうなの。...私のことを思ってくれて、ありがとう。けど、だからこそ、もう藍瀬君は私にかかわらない方がいい」
「...え?」
優しい言葉の中に、達海は認めたくない言葉を聞いた。
「なんで、そんなこと...」
「今、やっとわかった。私の人生は呪われてるの。...果てしない呪縛の海に落とされて、二度と浮き上がることはない。そんな人生に供させて、何人も殺してしまったわ」
それは、いつか獅童に聞いた零の過去の話だった。
「...だから、だからね? こんな私についてきたら、あなたもきっと死んでしまう。...それに、私も戦わなきゃならない。...また、能力を使う時に幸せだったら、私が死んでしまうかもしれないから。...きっと、私の周りには誰もいないほうがいいの」
零はあきらめきった心の中を吐き出す。
言葉と途中に涙と、嗚咽が混ざる。
幸せになりたいのに、なってしまえばすべてダメになる。だから諦めたのに、幸せが欲しくて涙する。
達海は、目の前の零を抱きしめたくなった。
けれど、それは出来なかった。
そんな安上がりな感情で、愛情で、零を慰めることは出来なかった。
覚悟が必要だった。これまでの何よりも、誰よりも、負けない覚悟が。
それがまだ、達海にはなかった。
(...悔しい。なんで俺は、好きな人の一人さえ救えないで、地球を救おうとしてるんだよ...!)
零に握られていない方の手を、達海は強く握りしめる。
何かを殴って壊したかった。ドアでもいい。窓でもいい。
なんなら、零を取り巻く不幸の一切を。
けれど、一番壊したかったのは、目の前の弱い自分だった。
(覚悟してんだろ? だったら...言えよ。口にしろよ。お前は...そんな小さな勇気も持っていない小物かよ、藍瀬 達海...!!!)
心の中で思いはざわつき、やがてそれは沸騰に変わる。
熱い。流れる血と、零への愛と、全て、吐き出したい思いが。
爆発しそうなそれを、達海は言わずにいた。
今言ってしまえば、もっと悪くなる気がした。
(...けど、違うだろ。覚悟ってのは...そんな逃げの先にあるもんじゃない...!)
そして、気づく。
自分のやるべきことは、気の利いた言葉でもなく、ちっぽけな告白でもなく。
零を導く、最大限の言葉を、零に告げること。
不可能に近くてもいい。けれど虚言はダメな、そんな言葉。
叶えれる可能性のある言葉を詰め込んだ、最大限の言葉。
(...そうか。はなからこうしてればよかったんだよな)
冷静になって、達海の身体は震えを止めた。その様子に気づいてか、零は涙で滲んだ瞳を達海の目に向けた。
「藍瀬君...?」
「会長。...聞いてください。俺の答えを」
その言葉の先は、すんなりと出てきた。
あふれんばかりの言葉が胸中を駆け巡ってた中でのその言葉は、自分自身でも驚くほどまとまっていた。
「俺は、ずっと会長を守り続けます。...傍にいます。命令なんかではなく、俺個人の意思で、あなたの傍に。これまで以上に」
「...なん、で...」
零は自分の胸中を整理しきれずに、ぽろぽろと涙をこぼす。
「俺、会長が好きだって言いました。...今は、あの時以上に、好きなんです。...でも、ただ好きでい続けるの、ダメなんですよね。...だから、俺が会長を守ります。幸せになっても、会長が能力を使わなければ、悪夢なんかないですよね?」
「...でも、そんなの」
「分かってます」
零が不可能だ、と言おうとしたことを、達海はすぐに理解できた。
それが不可能に近いことを一番理解していたのは、達海自身だった。
けれどそれは、あくまで不可能に『近い』だけであって、不可能ではなかった。
だから、叶えられる。叶えて見せる。
叶うといいな、なんて願望の一切を、達海はここで捨て去った。
願うもの全てを叶えて見せる。例え、どんな代償を払っても。
「俺が会長を幸せにします。守って見せます。...そのためだったら誰だって殺す。会長を苦しませる全てを、断ち切って見せる。だから会長...もう二度と、幸せを諦めないでください」
大胆な告白だと、達海は我ながら思った。
けれどそこに、後悔の塵一つもなかった。
「...信じても、いいの?」
何気なく零が放った一言は、なによりも重たかった。
これまで幾度となく、信じた人を亡くして、それでもまだ信じる心を零は失っていなかった。
達海はその心を裏切ることはしないと誓う。
「...信じてください。なんなら、命令してでも、信じさせます」
かしこまって、背筋を伸ばして達海が答えると、零は目じりに涙を浮かべたままおかし気に笑った。
「あははっ。...私も、頑張らないといけないわね。...こんなのに命令されてちゃ、副指令なんて務まらないじゃない」
「ちょ、こんなのってなんですか」
割と本気で言った言葉なだけに、零に笑われるのが少し頭に来た。
けれど、零がそれを冷やかしで言ったわけでないことも、達海はちゃんと分かっていた。
零はそのまま、達海に近づくようにちょいちょいと手招きをした。
「藍瀬君、ちょっといいかしら?」
「なんですか?」
手招きに誘われて、達海は零に顔を近づける。
その瞬間、零は達海の唇に自分の唇を重ねた。
二つの唇が重なること、数秒。
ほどなくして、零はその唇を離し、いたずらっぽく笑った。
「信じるわ。さっきの言葉。...だから...そうね。今日からこの施設で寝泊まりしなさい」
「急にキスしたと思えばなんですか...まあ、そうしますけど。...ていうか、なんでですか?」
「決まってるじゃない。一時も私から離れないんでしょう? だったら、起床から就寝まで、一緒に決まってるじゃない」
「あぁ...なるほど」
急な零の命令に、達海も笑った。
けれど、大好きな人からのありがたい命令に、達海は喜んでOKを出す。
しかしその理由を考えると、笑いを引っ込めずにはいられなかった。
「分かりました。...どのみち、これから戦いが激化するみたいなんで、あの家に帰ることは厳しくなるかなと思ってた頃なんです」
「激化...? ...私が眠ってた間に、状況がだいぶ動いてしまったかしら」
「敵の動きというよりかは、内部ですが。一誠さんが帰ってきたことと、黒谷さんが戦線復帰すること、それに合わせての臨戦レベルの引き上げです」
「...そう。分かったわ」
零は普段の仕事モードへと切り替え、ただちにベッドから起き上がった。
体ももう十分に動くようで、おんぶをせがまれたり、などということはなかった。
「本部が立っているはずよ。私たちも合流しましょう」
「分かりました。...側近の任務、外さないでくださいよ?」
「分かってるわ。...ああ、あとそう。達海」
背中を向けたまま名前を呼ぶ零に、達海は答えた。
「はい、なんでしょう...?」
「私の傍にいるなら...。会長、はもうやめて。あと、半端な敬語ももういらないわ。私も、他人行儀な言葉の一切を捨てる。私にとってのあなたはもうガルディアの藍瀬君、じゃない。私を信じて、私の隣にいてくれる、達海という人間だから。...いい?」
変なことを気にするなと思った達海であったが、好きな人間を、会長呼ばわりは考えてみればおかしかった。
達海が好きになったのは会長、ではなく、時島 零という一人の女性なのだから。
そこに敬語も、遠慮もいらない。
一つ息をついて、達海は答えた。
「...分かった。それじゃ、行こう。零」
「...ええ」
零は少しばかり嬉しそうに答えて、達海とともに病室のドアから外の世界へとはばたいた。
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