第34話β また逢う日まで


 日は頭上まで上るころとなった。ちょうど昼頃だろうか。

 達海は一人、本部の外で足をぶらつかせていた。


 もちろん、再検査状態にある零はまだ目覚めない。それの結果も、もう少しかかるとのことだった。

 その間、達海はこれと言ってやることはなかった。

 

 臨戦レベルが上がるにつれ、日中の偵察も増えるだろうと予想していた達海ではあったが、かえってそれは逆効果だと黒谷からくぎを刺された。


 それに加え、達海ははっきりと、黒谷に諜報部員をやめるように命じられた。零の傍にいることで、相手にも存在が知れているだろうという黒谷の意見に、達海は間違いを感じなかった。


 達海も、もう人を殺している。向こうからすれば、憎むべき対象となっていた。

 そんな人間が諜報に出ることは、やはり危ないのだろうという推測は、達海に問って容易なものだった。


 だからと言って、特別他の行動ができるわけでもなかった。


 当然、もう数日間学校に行ってない分、帰ることもまた不可能と化していた。

 けれど、それはある意味、達海自身が望んでいた状態でもあった。


 中途半端に学校に名前を憶えられてしまっては、動きづらくなるのは目に見えていた。あちこちで動き回ることを考えると、存在は強烈でない方がいい。それは、誰が見ても分かる事実だった。


 そうして、次第に達海の居場所は狭まっていく。まばらだった相関係数が、1に近づいていくのを考えれば分かりやすいだろうか。


 そんな達海だったが、決してそれを悲観してはいなかった。

 

 自分には零の隣という、強い居場所がある。


 その考えだけで、達海は十分胸を張れていれた。

 それは、達海のみいれる場所。と同時に、それを守れるのも達海しかいない。


 自分の居場所が分かってるからこそ、達海に動揺はなかった。



(...不思議だよな。...これからもっと人を殺すことになるのに...何も、怖くない)


 本来あってはならないであろう、そんな思考。けれど、その思考がこの世界を生きるにはちょうど良いみたいだった。



(...笑っちまうな。この世界って、そんなに残酷なのかよ)


 達海は人知れず苦笑いを浮かべた。それは、考えれば考えるほど、むなしい答えにたどり着く。

 けれど、そんな世界にも光明が必ずある。


 達海含めガルディアは、それを信じて戦っているのだ。

 人生が、世界が優しくないことくらいは...知っている。




 そうした中で、達海はふと自身の携帯端末を操作してみた。

 長いこと使用してなかった気がするその端末には、意外と連絡は入っていなかった。


 達海が学校から抜け出し、帰らなかった昨日には、それこそ弥一から数回コールが入っていたが、それ以降は全く何もなかった。


(...今、昼休み、くらいだよな...。連絡してみるのも、ありか)



 そう思った達海だったが、コールを促すその指は自然に止まった。代わりに思考が動き出す。



(...いや、何を言うんだ? 学校に戻れない旨...? これからの自分? ...組織のことは当然いえるわけじゃないけど...。変に心配されちゃ、かえって巻き込むことになるよな。...ならいっそ、突き放す方がいいのか? ...ああ。そうだ。そうしたほうが...きっといい)


 

 一見、苦渋の判断のようなそれだったが、達海は迷わなかった。

 この戦争に、弥一を、陽菜を巻き込むことは出来ない。


 ならば...きっと、ここが別れ時なのだろう。


 ちょうど臨戦レベルが5になるタイミング。戦いが激化する前である今が、ちょうどチャンスだった。


 しかし普通、そうした急な発想にメンタルは追いつかない。手は震え、言葉もまっすぐ届かないだろう。

 

 されど、達海に迷いはなかった。



 慣れた番号を、慣れた手つきで入力する。

 ボタンに耳を当て、数回のコール。


 そして、電話はつながった。



「よお、悪いな。こんな時間に」


『おいおい、もっと謝ることあるだろ』



 弥一は、いたって普通通りの声音だった。

 達海はそれを気にすることもなく、自分の話をつづける。


 組織の名前は上げずに、これからの話を。

 ひょっとしたら、弥一は知っているのかもしれない。達海自身が置かれている今の境遇について。


 それでも、達海は構わなかった。



「...急で悪いが、俺、学校、もう行けねぇわ」


『...そうか』



 驚いたことに、弥一は否定をしなかった。

 さすがに小言の一つ言われると思っていた達海は、驚いて聞き返す。



「...え、それだけ?」


『それだけ。...それに、いまさら言ったって、変わんないだろ。お前の決断だ。俺がとやかく言うことじゃない』


「そうか...。なんか、悪い」


『...けど、すっきりしたぜ。...すべてが始まる前にちゃんと、お前の決断、聞けたからな』


 弥一には弥一なりに、思うところがあったのだろう。達海はそれを考え、深く尋ねないことにした。



 けれど、達海は別に世界を滅ぼそうとしているわけではない。


 機会があれば、未来があれば、きっともう一度、巡り合うことが出来る。

 だから、さよならは言わないでおくことにした。


「そうか。...それじゃ、またいつか」


『おう』



 そうして、数分に満たない短い通話は終わった。



 秋の更けた太陽は、ぬくもりを失いつつあった。

 ひょっとしたら、人の心も、世界のこれからも、季節と一緒に冬に向かうのかもしれない。明けない冬に。終わりの冬に。



(...それだけは、やだな)


 だからこそ、達海は戦う。

 もう一度、春を迎えるために。



---



 それから30ほどたって、達海は本部の中へと戻った。

 すれ違った医療班から声を掛けられ、小さな診療所の先生の部屋のような場所へと達海は通される。


 達海が丸椅子に腰かけたところで、主治医は答えた。



「とりあえず、時島さんの状態ですね」


「はい」


「単刀直入に言うと、体、および脳には何の異常も見られませんでした。全てにおいて異常なし。体の状態は、もう健康そのものですよ」


「そうですか」


 変な様子ではあったものの、特別調子が悪そうには思えなかったため、この結果は、達海はすぐに納得がいった。

 しかし、全てを許容できているわけではなかった。


 ならばなぜ零の様子がおかしかったのか。達海はそれを理解できていなかった。



「でも、明らかに状態はおかしかった...んです。それは、どういうことでしょうかね」


「そうですね...。こればかりは何とも言えないでしょう...。そもそも、その状態を知ってるのが君と獅童君しかいないのですよね?」


「そうです」


 もとより、その零の状態を知るものが少なかった分、確たる証拠は得れないでいた。



「幼児退行...といったところですか。これは、一回目を覚まさない限り医者は何も言えません。目に見える結果で出ない以上、医者に仕事はないんです」


「分かりました」


 それ以上に手の打ちようがないなら、これ以上の話は無意味だった。

 しかし、そうではないと医者は続けた。



「...ですが、時島さんの傍にいること、それはあなたにしかできないことです。...たとえ目を覚まさないとしても、あなたがいるだけで変わるかもしれません」


「...俺って、そこまで重要な人間なんですかね?」



 医者は心から頷いた。


「もちろんですよ。だから...お願いしますね」



 その言葉を励ましにして、達海は立ち上がる。

 医者からの助言を受けた達海の、次のやるべきことはもう見えていた。



 そのまま無言で足をすすめ、達海は再三のごとく零の眠っているベッドのある部屋へ向かった。

 零は、いつものように眠っていた。けれどそれは、決して健やかな顔ではない。どこか悪夢にうなされて、苦しそうなその表情が、どこか達海の心を苦しめた。


 それで達海はふと思う。


(もし...、この悪夢が会長を傷つけてるっていうなら...)


 幼児退行は、目に見えない精神の問題ではないのか、と。


 しかしそんなものは、本人の口から聞くほか手段はなかった。その肝心の本人は、いまだ眠ったまま、目を覚まさない。



(...ていうか、そうか。今眠ってるのは、能力のせいじゃなく、麻酔打ったからか。...なら、そう気を立てて待つ必要も...あまりないかな)



 冷静に考え、目の前の状況を整理して、達海は零の状態がさほど気に留めることでもないことに気づく。

 とはいえ、零の傍から離れたくない達海はその場にとどまり、ただ零の目覚めを待った。



 10分。


 20分。



 長い間、達海はその時を待ち続けた。

 そうして、その時は来る。


 ぎゅっと閉じていた目の筋肉のこわばりが次第に緩まり、その瞼は重たげに開く。


 かくして、もう一度零は目覚める。

 今度は確かに、その目に光を宿し、落ち着いた言葉で達海に声を掛けた。




「...おはよう、藍瀬君」

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