第38話α(1) 残されたもの



 そこから戌亥のもとまでたどり着くまで、達海は何も考えなかった。

 考えなかったのではなく、考えることが出来なかった。


 自分の背中に背負っているものの正体を、認めたくなかった。



 建物の中へ入ると、周りの注目を気にもせず、残った体力を振り絞って戌亥のもとへダッシュする。

 

 ドアの前に立ち、そのまま勢いよくドアを開ける。

 中には、険しい表情で何かを見ている戌亥が座っていた。



「おいおい、ノックもないとは失礼だな...。どうした?」


「戌亥さん...!! 舞が...! 舞が...!!」


「...見せろ」


 もとより険しかった戌亥の表情は一層険しくなる。

 血だらけの舞をソファに下ろし、戌亥にその状態を見てもらう。




 しかし、戌亥は残念そうに首を横に振った。

 それだけだった。




「...死んでる、な。...完全に心臓が止まってる。体温もない。蘇生術なんてのはこの世にないからな」


「...そう......ですか」



 ここで、舞の死が確定された。

 確定されてしまった。



 達海は、心に一つ大きな穴ができるような感覚に見舞われる。

 しかし、戌亥は冷静さを全く持って失っていなかった。



「...舞のことは、俺がどうにかする。...といっても、遺体処理班に任せるしかない、か」



 それっきり、戌亥は元の椅子へと戻った。

 その、あまりの冷然とした態度に、達海はいつしか苛立ちを覚えていた。



 自分の一番の部下が死んで、悲しくないのか。

 少なくとも、今の戌亥は悲しんでいるようには見えなかった。




「それだけ...ですか?」


「何がだ」


「戌亥さんは...悲しくないんですか?」




 感情を制御できていない達海は、思ったことをすぐに口走ってしまった。

 

 叱られると思った。


 けれど、戌亥はやはりいつも通りだった。





「...いちいち悲しんでるようじゃ、この仕事は出来ねえよ」


「でも!」


「ちょっと黙れ」



 鋭い戌亥の眼光の前に、達海は次の言葉を飲み込んだ。

 その目は、本気の殺意だった。


 次なにか危ういことを言ってしまえば、自分の首ひとつ簡単に飛ぶ気がした。



「...いいか達海。俺たちは人殺しをしてるんだ。それは読んで字のごとく、敵対する相手の命を己が手で奪う行為。奪われる方の事情なんて考えてないだろ。なら、逆もしかりだ。俺たちは、いつでも命を奪われる覚悟は出来てるんだよ」


「...だから、いちいち悲しめないって言ってるんですか...?」


「自分の仲間の誰かの命が奪われる、それが当たり前の世界だからな。...お前は、そんな世界に軽々しく足を踏み入れたんだよ」



 その言葉は、達海にとって一番痛い言葉だった。

 軽々しい覚悟。


 その通りだった。


 それなのに、芯にしていた部分すら守れない。



 今、この道を選んだことを、ここまで後悔したことはなかった。

 それくらいに、達海は今の自分が悔しい。



 次第に、怒りの矛先は自分に向いていた。

 弱い自分。

 何も守れないくらい弱い自分。


 それを捨て去りたくて仕方がなかった。





 そうして達海の表情が引き締まったことを確認したのか、戌亥は一つ息をついて達海に問いかけた。



「...ちったぁ、頭冴えたか」


「......はい」


「それで? 舞は最後に何か言ってなかったか?」


「最期に...」


「急にぱったり仏様になったわけじゃないだろ。お前の背中で、笑いながら死ぬくらいには余裕があったんだ。なら、遺言の一つくらい残すと思うんだよ。舞のことだから」




 舞が最後に達海に向けて言った言葉。

 それは、桐を頼むとの言葉だった。



 それを思い出して、達海は深く考える。

 

 そして、一つ思うところを見つけた。


 舞が存命の間、舞に桐を任せるなどと言われたことは一度もなかった。

 つまり、死ぬ間際のあの一言が、最初で最後の、舞のお願いだったのだ。



「桐を任せると...そう言われました」


「なんだ、言われてんじゃねえか」




 戌亥は再び立ち上がると、達海の胸を少し強く小突いた。



「なら、お前の中で生きてるそれが舞の最後の欠片だ」


「最期の...欠片」


「せめて、その願いくらい守り通せ。雑魚が無理する必要なんてないんだよ」




 達海は、雑魚呼ばわりされたことにカチンとはきたが、それが事実であることに間違いはなかったため、何も言わなかった。


 代わりに、小さな決意が胸の中で鼓動を生む。



『桐を守り切る』



 それは、胸の中で生き続ける舞とともに。



(舞...頼む。力を貸してくれ...!!)



 自分の弱さを再認識して、それでも目の前の使命からは逃げない。



 弱いなりに、強くあれ。



 舞にそう言われた気がした。



「...うし、じゃあお前は戻れ。戦況が変わった。向こう方、一斉に掃討戦を始めてきやがったんだ。また、お前は戦いに行かなければならない。もちろん、桐もだ。...そうだ、桐は?」


「桐は......。桐は、意識を失ってる状態です」




 その報告に、戌亥は最初のように険しい顔をした。

 もっとも、最初より深く、だが。



「...どこで、だ?」


「家には運びました。あそこなら安全だろうと、舞が」


「処置は?」


「裂傷部分に包帯を巻いて、鎮痛剤を。...それくらいしか、俺にはできなくて...すいません」


「いや、いい。それで合ってる。...あとは」



 戌亥は肘をついて、顔の前で手を組み、その上に顎を乗せた。

 


「あとは心のケア...か」


「...」



 ふと戌亥がつぶやいた言葉。

 しかし、それは達海が今一番考えなければいけないものだった。


 目覚めれば、そこに大切な親友、白嶺 舞はもういないのだ。


 それが桐にとってどれだけ辛いことか。



 そう考えると、達海の胸は痛くなるばかりだった。



「しかし、誰がここまでやったんだ? 戦闘状態にあったことは知ってるが、相手まで特定できなくてな」



 相手。

 零と獅童のことだ。


 しかし、こう敵対関係になり、大切な人の命を奪った相手のことを、達海はもう仲のいい人とは思わなくなっていた。


 二人は、ただの敵に成り下がっていた。

 そのため、その名前を口にするのは苦ではなかった。




「時島 零と、湯瀬 獅童です」


「なるほどな...。S型能力者にはS型をぶつけるってことか」


「やはり...S型なんですね」


「まあ、な。あれはうちのメンバーがもう数十人やられてる。特に湯瀬の方はな」



 それが少し以外で、達海は驚いていた。




 獅童が戦闘の達人であることは、一瞬で見抜けていた。

 

 しかし、体感、獅童の能力がS型には達海は思えなかったのだ。



 それでいて、殺戮の達人だというのが、驚きであった。




「向こうの二人は、どんな能力なんですか?」



 一流の能力者なら、能力は割れている。達海はそう踏んだ。

 



「時島は時間停止。あれははっきり言って対処のしようがない。時間停止されている間は、動けるのは奴しかいないからな」


「それは体感しました」


 それでもって、少し動けたことも達海は覚えている。



「湯瀬の方は獣化だな」


「あれで、獣化ですか?」



 目の前で獅童の姿を見た達海にとって、あれが獣化であるとは到底思えなかった。

 そもそも、何の生き物なのか想像がつかない。


「そうだ。あれは獣化、獅子? だったか。本来ならこの世に存在しない生き物。伝説上の生き物みたいに思えば早いか」


「存在しない生き物...」


 その言葉に達海は頷けた。

 何せ、攻撃のたびにその攻撃が空洞の体を貫いたのだから。


 当然、実在する動物とは思えなかった。



「ただ、あれでもあいつは弱体化している。...過去にな、桐が一度戦闘してんだ」


「そうなん...ですか?」


「ああ。その時に、桐がうまく入れた一撃で湯瀬は戦線から長期離脱することになってな。こちらもずいぶん楽になってたんだ。その傷相まってか、湯瀬はA型くらいまで能力が低下している」



 しかし、それでもあれほど戦えるということは、達海にとっては恐れるべきこと以外の何者でもなかった。



 全てを話しきって、戌亥は達海に少しばかり鋭い目を向けた。



「...いいか? 達海。お前がそいつらに何を思ってるかは知らない。敵討ちだの復讐だの考えてても俺はどうでもいい。ただな、自棄にはなるな。冷静に考えろ。能力には必ず弱点がある。それを見抜けば低能力者だろうと勝てるんだ。...やられたままで終わるなよ?」


「はい...!」



 いつの間にか涙の乾いた顔を、一度強く縦に振った。

 


 もう負けない。



 少年漫画みたいな展開にも思えるが、確かに達海はそう思った。

 



 弱いままでも、勝つ。

 そのためには、最大限、冷静な自分であること。



(大丈夫だ。全部、舞に教えてもらった)




 覚悟を握りしめ、戌亥に背を向ける。




「助かりました。...それでは、藍瀬 達海、戻ります」


「ああ。指示はこちらから送る。もうこっちに来なくてもいいようにな」






 そうして達海はドアの向こうへと出ると、一目散に桐に元へと駆け出した。

 ドアの向こうの戌亥のことなど、とうに忘れて。









---



「...」



「......」



「..............くそっ!!!!!」






 誰もいなくなった部屋で戌亥は、力のままに、強く机を叩いた。


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