第39話α(1) 閉ざされたドア


 ~Side K~


 気が付けば、白い空間に浮かんでいた。

 直前まで何をしていたのか思い出せない。


 ただ、足も付けない、不思議な空間に、桐は浮いていた。


 目の前には、遠く、大きな舞の背中が見える。



「...舞?」



 桐はそう問いかけるが、反応はない。

 そればかりか、舞の背中はどんどん遠ざかっていく。


「ねぇ! どこ行くの? 舞」


「...ちょっと、遠くまでです」



 背中を見せたまま、舞は無感情で答える。それが桐にとって、どこか悲しかった。

 このまま放っておけば、その背中がさらに遠くなって、もう二度と会えなくなる気がして。



「...やだ、待って! 行かないで! ...このままじゃ、舞が...!」


「......でも、ごめんなさい。...どうしても、行かなくちゃいけないんです」



 そうして、足場も何もない場所で、舞は一歩、また一歩と離れていく。

 桐もそれを追おうとしたが、何せ足場がないので先に進めない。



 せいぜい、その背中目掛けて手を伸ばすことが精いっぱいだった。

 それすら、無意味であるのだが。



「ねえ舞...、舞! ねえって!!」


「...」



 舞は、ついには何も言わなくなった。

 ただ遠くへ、遠くへと離れていく。


 その姿は、足から消え始めていた。



「舞...?」


「...だから、言ったじゃないですか。もうここにはいれないって。だから、行くんですよ」


「...でも」


「みっともないですよ、桐ちゃん」



 いつも叱られてた桐だったが、この言葉が一番しんどかった。



「...大丈夫です。桐ちゃんは、もう一人じゃない。...私じゃない誰かが、あなたを支えてくれる。それだけでいいんです、私は。...だから、桐ちゃん。...どうか幸せに」


「舞!!!!」




 そうして、白い空間ははじけて消えた。




---





 桐が意識を失って、丸一日たった。

 それと同時に、二人が舞を失って、丸一日たった。


 桐はまだ目覚めない。



 時刻は朝。



 達海は、二人分の食事を食卓に並べて、その目覚めを待っていた。

 桐は確かに呼吸をしている。


 けれど、何かにとらわれたように、夢で見ているかのように、全く目を開けなかった。


 しかし、それも終わり。

 眩しい朝の光が目に入ったのか、桐は目を開けた。



「...ん」


「...起きたか」



 達海はそれを特に喜ぶことなく、様子をうかがった。

 桐は、寝かされていた布団から体を起こすと、ふと頭の中をよぎった言葉を呟いた。


「舞は...?」


「...」



 達海は口を結んで、だんまりの姿勢を取った。

 それで桐に伝ったのか、しかし桐はすぐに血相を変えた。



「...冗談、ですよね?」


「...」


「先輩...!」



 桐の怒りの矛先が次第に達海に向き始める。

 しかし、それでもなお達海は動かぬ石像のごとくその視線を一心に受け取った。




 何を言っても、どうも変わらないことが分かったのか、桐はその視線を達海から離し、自分の隣に添えてあった短刀を右手に持った。



 それを目にして達海は玄関のドアをふさぐような立ち位置で桐を足止めする。




「...先輩、どいてください」


「やだね」


「もう一度言います。どいて」


「だから、断るって言ってんだろ。男に二言はないぞ」



 桐の目は次第に殺意を帯びる。

 今までの、誰の視線よりも殺意を感じた。


 けれど、それにおののくほど、達海の覚悟も柔らかい砂のようなものではなかった。



「...どけって、言ってますよね?」


「なんでだ? どうしてそこまで俺をどかせようとする?」


「...決まってるじゃないですか。殺しに行くんです。舞を殺した奴、苦しめた奴、...いや違う。あの組織だ。あの組織ごと、私の手で...!!」



 そう呟く桐からは、黒い霧のようなものを感じられた。

 

 その正体を、達海は知っている。




 憎しみ、憎悪、懺悔、後悔。

 この世全ての負の感情が、きっと今の桐に根付いている。

 


 そして、その感情が、やがて自らの身を亡ぼすことも、達海は知っている。

 だから、引けない。



『桐ちゃんを、お願いします』



 舞に託された、その最後の言葉の前では。




「だったら尚更どけないね」


「...いくら先輩でも、これ以上邪魔するなら...殺しますよ」



 桐はまだ傷の癒えていないからだで、その短刀のさやに手を当てる。

 おそらく、その覚悟は本気だ。



 それまでに、今の桐には殺意しか残っていない。

 それでは、ダメなのだ。


 ここで引けないなら、いっそ強く出ろと達海は一歩前に足を踏み出す。



「...殺してみろ」


「...では」



 そう口にして、桐は肌を切るような突風を部屋の中で発生させる。

 壁には深い亀裂が走り、達海の服も切られたように穴があく。


 ついには、その風は達海の肌を切り始めた。


 腕、足、首元、体のいたるところに切り傷が走り、深い、浅い問わず切り口から血があふれ出す。

 しかしそれでも、達海は一歩も引かなかった。


 無抵抗のままでいた。



 さすがに動揺したのか、桐は殺意を込めたまま声を出す。



「...どうして、避けないんですか」


「避けたら、桐は俺をどかしてそのまま外へ行くだろ。 言ったろ? 引かないって」


「殺されてもですか?」


「だから今こうしてお前の前に立ってるんだろ」



 次第に、達海は怒りを覚えていた。




 桐が悪いわけではないことは分かっている。


 けれど、どこか桐への怒りを鎮めることは出来ずにいた。


 

 今、伝えるべき言葉を桐に伝えることは出来ない。

 感情が落ち着かない限りは、無理だ。


 でも、目の前にいる桐は、自分の感情すら止めることをしようとしなかった。

 それは、駄々をこねる子供のように。



 ...なら、それを叱るのも、保護者の役目だろうか。




「どいてって...どいてって!! 言ってるでしょ!!」



 桐は、ついにその短刀をさやから抜き出し、達海のもとへ突き出した。

 が、冷静さを失っている人間の攻撃を止めることなど、普通の人ではなくなっていた達海にとっては容易なことだった。



 だから、こうしていとも簡単に片手でその攻撃を止めている。



「...え?」


「...馬鹿野郎!!」



 達海は、もうどうなってもいいと全力で桐を怒鳴った。

 その大声に、桐の体は硬直する。



「今のその傷の状態で! あいつら二人倒せるわけないだろうが!! 分かってんだろ!!」


「でも...」



 桐は手元の短刀を力なく落とした。短刀はカランと乾いた音を立てて落ちる。

 桐の顔に達海が目を戻すと、桐は今にも泣きだしそうだった。


 叱られて、緊張が崩れる子供のように。



「俺を殺すって!? それでどうだよ! 現状は!! こうやって簡単に攻撃止められて、目の前で制されて、それでどうやってあいつら殺すっていうんだよ!? 現実を少しは見ろ!!」


 現実を見る。

 それは、舞のいない現状を受け入れること、そのものであった。



「だって...舞が...」


 桐の頬を数滴涙が落ちたかと思うと、そこからは早かった。

 滝のように涙が流れ、そこからため込んだ感情もあふれてくる。



「うっ...うっ...!」


 しゃくりを挙げながら、桐はうつ向く。

 そして、そのまま突進するように達海の元まで駆け寄っていた。


 トスンと、頭を達海の胸にぶつけて、ヒクヒクとしゃくりを挙げながら、桐は泣い始める。

 しかし、どこか意地もあるのか、声は挙げなかった。



 達海は、そんな桐の背中に手を回し、そっと抱きしめて頭に手を置いた。

 泣いている子を慰める、母親のように。


 

「うっ..ひぐっ...!」


 桐は一向に泣き止まない。

 対して、達海は悲しさこそ覚えているものの、涙は流さなかった。


 というよりは、もとよりもう流れる涙が枯れてしまっていたのだ。


 自分はもう、たくさん泣いた。

 舞のことを思って泣いた。


 今は、桐の番だ。

 だからせめて、それを抱擁できる人間でありたいと。




「...とりあえず、戻るか」


「...ぐずっ...はい...」


 桐は手で目元を抑えながら、達海に支えられて食堂の自分の席まで戻った。



 

 そうして目の前に並べられた食事を見て、桐は躊躇うこともなく口にした。



「足り...ないですよ...」


「...分かってる」



 けれど、それをいつまでも引きずるわけにはいかなくて。

 だからこそ、達海はあえてそうした。

 

 批判の一つや二つ、何のそのだ。





「...辛い...んですね...。死ぬ...って...いうのは」


 泣き止んだ桐は、うつ向いたまま、そう弱音を吐いた。

 その一言は、桐だからこそ言えるものだった。



 桐は、舞は、相手のことを思うことなく、それが義務だと相手の命を奪ってきた。

 けれど、奪われる痛みは、辛さは、理解していなかった。


 だからこそ今、直面して、苦しんでいる。


 そんな桐を、達海はただ眺めることしかできないでいた。




---




 桐が目を覚まして数日。

 それ以降桐は、まさに無気力と言わんばかりの人間になっていた。


 隔てるためのドアは固く閉ざされ、声も音も聞こえない。

 声と言えば、時折すすり泣く声が聞こえる位である。


 食事もドアの前に置いておくにとどまっていた。

 最初数回は、食べるにも至らなかった。目を覚ました当日から。

 最近になって、ようやくからの器が廊下に出るようになったが、それでも生気を感じられないことには変わりなかった。



 さすがにどうすることもできず、達海は戌亥に何度も電話を掛けた。


 しかし、その答えは決まって一つ。



『お前が考えろ』




 その一言で、毎度毎度達海の心的疲労は片付けられていた。

 だんだんとそれがたまってきたのか、次第にストレスが生まれてくるのを、達海自身心のどこかで感じていた。


 

(桐のことを任された責任も、桐のことが好きだと思ってる気持ちも、守りたいという気持ちも変わらない...)


(...けど、こうしたままじゃ...何も始まらない...!)



 次第にそれは焦燥に変わりゆく。

 達海自身の顔からも、表情が消えるようになっていた。



 

 このままでは、だめだ。

 だからこそ、達海は決心する。




 どうせすべてがうまくいかないなら、いっそすべてを壊すくらいの覚悟で、桐に向き合うしかない。






 その決意のまま、達海は高く閉ざされた桐の部屋のドアを強引に開けた。



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