第5話 始まりの夜



「え、今...なん」


 達海が少女に先の言葉の意味を聞こうとしたその瞬間、その場にすさまじい轟音が轟いた。


「!!?」


 塀を隔ててもその衝撃は達海に伝わる。ほんの少し舞った砂埃から目を守るため、達海は右腕で咄嗟に目の前をふさいだ。



 しかし、衝撃波はその一回で終わらなかった。

 塀の向こうではドスン、ズドンと言ったような、普段なら耳にすることのないような重たい音が一向に鳴り止まないでいる。その中に、金属と金属がぶつかるような音も混ざっている。


 まるで、戦闘でも行われているかのような音だ。



 その塀の向こうの景色を、達海は知りたかった。

 この先の世界では、一体何が行われているのか。

 自分の知りえない世界が、そこにあるのではないだろうか。


 達海は抑えられない不安、恐怖心の中に、ほんのわずか、好奇心を覚えていた。



 塀一枚を隔てて、自分は非日常のすぐそこまで来ている。

 この塀を越えたら、そこは体験できるはずのないであろう世界が待っている。




 けれど、本当に踏み込んでいいのだろうか。

 達海は、持ち上げようとした身体を一度元に戻した。



 そこに踏み込んでしまえば、もう二度と普通の生活に戻れなくなるかもしれない。

 弥一や陽菜と過ごしていた楽しいと思えた時間も、もう来ないかもしれない。



 達海の足は、気づけば竦んでいた。

 この間も、戦闘をしてるかのような音は鳴り止んでいない。



 ...そっと。


 そっと、覗くだけなら、大丈夫かもしれない。



 そう決心して、達海は塀の上のほうから、ほんの少しだけ、顔を覗かせた。






 そこにあった景色は、間違いなく非日常だった。


 最初に視認した二人の男性のうち、少し細身の身体な男は、明らかに法律で引っかかるであろうレベルの日本刀を持っており、もう片方の、がっちりと肉のついている男のほうこそ何も持っていなかったが、右足を踏み込んでいる地面に、尋常ではない大きさの皹が入っていた。


 普通の人間ではない。

 一般人である達海の目からしても、それは間違いないと言うことができた。



 気がつけば、達海は息を殺してその戦闘に見入っていた。

 途中、ソティラスだのガルディアだの、達海にはよく分からない言葉が耳に入ってきたが、そんなことがどうでもいいほどに、目の前の光景は異次元だった。


 

 達海にとってはお互い、戦闘のプロに見えた。

 剣さばき、身体の動かし方、視線の切り方、組み手になった際の足払い、急所を狙っての攻撃...。ずぶの素人がこんな動きはできない。



 しかし、その戦いも、長くは続かなかった。

 ふとした一瞬。何も持っていない男のほうが一瞬体制を崩してしまった瞬間、もう一人の男の日本刀が鋭く相手の胸元を切り裂いた。


 吹き上がる血しぶきで、ようやく達海は現実に引き戻された。

 そして、目の前で行われていた光景が、間違いなく命をかけた殺し合いだということを理解した。


 達海の身体を、10割の恐怖心が支配する。

 逃げなければと、心のどこかで叫んでいる。



 それでも、目の前の光景に釘付けになった身体は心と関係なく固まっていた。

 だから、捉えてしまった。



 目の前の、殺人現場の光景を。

 力尽き、致命傷を負って倒れた男の喉下に細身の男は刀をかざし、一直線に力をこめて貫き通す。

 先ほどよりも広範囲に飛び散った血の飛沫は、達海の頬を掠めた。




「...ふぅ」


 男は刀についた血をピッと払い落とす。そのまま、達海が顔を覗かせていた塀のほうへ歩き、近づいてきた。


 もしかしたら、ばれてるのかもしれない。

 

 そう思うと、次どうするか考える間もなく、達海は大きな声を出した。

 隣にまだ少女がいると思い込んで。



「おい! 何やってんだ! 逃げる...ぞ?」


 しかし、振り向いた先にさっきまでいたはずの少女はいなかった。

 変わりに、その大声で先の男に完全に気づかれてしまった。



「ちっ、目撃者がいたのか。あまり消したくはないが...機密情報でなあ」



 なにやら男は面倒くさそうにぶつぶつなにやら分からないことを言っていたが、少なくとも自分の命が危ないことを、達海の本能は悟っていた。


 そして、それは確信に変わる。



「というわけで、なんだ...。おとなしく死んでくれ」


 男は納刀したはずの刀を躊躇いなく抜刀し、ズンズンと歩いてくる。

 その距離はざっと4メートルほど。一瞬でも立ち止まれば間違いなく切り殺される。



 ...走れ!



 本能とともに達海は持っていた荷物も放り投げて走り出した。

 そこがどこかともいざ知らず、ただ男との距離を詰められないように走った。



 結果から言うと、そう簡単には追いつかれなかった。

 男も先の戦いで完全に無傷だったわけではない。少々手負いな分、走るスピードはおそらく本調子ではなかった。


 しかし、何度か振り向くたびに、男は不気味な笑みを浮かべていたのが視界に入った。それがずっと、達海は気になっていた。



 今、達海が遭遇しているのは明らかな非日常。

 なら、何が起こるのかも予想がつかない。


 空を飛ばれるかもしれない。超能力を使うかもしれない。化け物になるかもしれない。


 何が起こるのか、達海には全く想像できなかった。



 

 さて、現在達海が走っているのは知らない路地裏。

 白飾市民ではあるが、流石に見知らぬ路地はホームグラウンドではなかった。


 そうであれば、いずれ行き着く。



『行き止まり』



 達海は、無常にもコの字の端に追い詰められた。

 背中に冷や汗が走る。目を合わせた先の男の視界には、完全なる殺気が篭っていた。


「やっと止まってくれたか」


 男は退屈そうに首を鳴らした。



 目の前には、日本刀。

 躊躇いなく人を殺せるほどの、日本刀。



 何もしなければ、間違いなく殺される。



 そう思った瞬間、達海の脳裏を仲良くしてくれている人間の顔が過ぎった。

 弥一、陽菜、桐や舞に、生徒会のメンバー...。それに、これから築かれる人間関係だってある。


 (だから...。)


 (...死ねない。)

 (死んでは、いけない!)


 

 その信念が心に根付いた瞬間、どこからともなく立ち向かう勇気が湧いてきた。

 相手は刃物。こっちは丸腰。不利なのは分かっているつもりだ。


 それでも、と、声を出してみる。



「...おいおい、抵抗するのはやめてくれよ。こっちも楽に殺してえんだ。あんまり部外者の苦しむ姿、見たくないからよ」


 立ち向かい、戦闘できるようにと身構える達海に、男は明らかな呆れを覚えていた。


「だったら、どいてくれませんかね...!」


「お前さんの記憶がなくなるならそうしてやりたいんだがな。そんな能力を持ってるわけじゃねえだろ? じゃあ、殺すか施設で記憶を奪うしかない」



 そういって男は剣道の構えで両手で刀を構えた。臨戦態勢のようだ。


 (落ち着け...落ち着け達海。)

 (まず、真っ向から勝負に行くと間違いなくやられる。)


 (なら、どうにか回避して...)


 (...!)


 そんなことを考える間もなく、刀が振り下ろされる。

 達海はそれをギリギリの範囲でサイドステップでかわした。



 (くそっ! 考える暇も与えてくれないのかよ!)



 男は初撃をかわされたことに少し驚きつつも、二撃目を放つ。

 達海は再びそれをよけてみせた。



「ちっ! このクソガキ!」


「...っ!」



 結果、その後数回の攻撃を、達海は上手くよけてみせた。そのうちだんだんとコツを掴んできたのか、かわすことはたやすいと達海は感じていた。



 ただ、問題はそこから。

 かわせるにはかわせるものの、完全に逃げ道を封じられてるため、くぐり抜けて端って逃げるという行為は自殺行為。


 つまり、男を倒す必要があった。



 それをどうにかして考えなければいけなかったわけだが、攻撃をかわしながら思考を練れるほど、達海に余裕はなかった。



 (せめて...せめて、攻撃を反射でよけれれば...!)



 そんなことを思いながら、男の身体をじっくり観察しながらよける。すると、右わき腹に、少しばかり深そうな傷を達海は見つけた。



 (なるほど...、あそこを、もし全力で殴れれば...!)


 達海は浮かんできた案に全てを賭ける様に、攻撃の機をうかがった。

 


 わき腹に隙を作るのなら、おそらく縦に攻撃が振られたとき。その時、しっかり腕を振れるだけの空間を作るのが今やるべきこと。


 達海は、気持ち右角によるように、横攻撃を避けた。



「ちぃ! さっきからちょこまかと! いい加減...当たれ!」


 痺れを切らした男は精彩を欠いたのか、力任せに刀を縦に振った。

 それがまさに絶好の好機だった。



(空いた! ...そこ!)


 達海は上手く左側にかわし、右足でしっかり大地を踏みしめ、そのまま利き腕の渾身の右ストレートで男の右のわき腹を、力強く殴った。


 その時、地面が沈み込むような感覚に見舞われたが、そんなこと達海は全く気にならなかった。



達海の拳は、完全に男のわき腹を捉えた。

 傷の上に攻撃を食らった男は、刀を振り下ろしたままの腕を上げず、そのまま固まっていた。



(これで、よろめいてくれれば...!)


 しかし現状は違った。

 男は依然として反応がない。



 やがて、男の身体が動いたと思えば、その身体はズンッと前に倒れた。

 そのまま、ピクリとも動かない。



「...え? 嘘...だろ...?」


 命の危険がないと分かった瞬間、さきほどまで冷静だった達海の思考は大きく乱れ始めた。

 発狂とまではいかないが、明らかなパニック状態に見舞われる。



 そうなったのは他でもない、自分のせいだった。

 倒れた男の様子を見る際、自分が立っている足元が目に入ったからだ。



 足元のコンクリートは円方になるようにひびが入り、踏み込みの起点となった右足の場所は、完全に陥没していたのだ。


その大きさは、先程殺された男の踏み込みによるひびよりもさらに大きなものだった。


 

先ほどまでこのひびがなかったことを考えると、この状態は達海自身が作ったことになる。



 けれど、それが達海には信じられなかった。

 当然だ。まさか自分が、こんなことが出来るなんて思っていないのだから。



「これを...俺が? 何かの冗談だろ」


 そう思って達海はぴょんぴょんと二回ほどはねる。地面には、何も起こらなかった。

 ならばと右足に全力をこめてみる。すると、グッと力を入れた瞬間、先ほどよりほんの少し小さい、円形の陥没が出来た。


「...まじ、かよ」



 達海には笑う余裕も無かった。

 目の前の非日常に、自分も大きく踏み入れてしまったのだから。



「ははっ...まいったな。どうするよこれ」


 幸い、男は死亡まではいってないようだった。ならば話は早いと、男のポケットからこぼれていた紙を拾って、荷物を回収した後、達海は急いで家に戻った。

 

 


 その後、達海は携帯を取り出し、弥一と陽菜に『悪い。明日休む』と、短い文章を送りつけて、そのまま倒れこむように眠りについた。




 

 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る