第66話『恋人の胸の中』

 4月20日、月曜日。

 目を覚ますと、薄暗い中で見慣れた天井が見えた。カーテンの隙間から光が差し込んでいるので、もう朝になっているのだろう。壁にかかっている時計を見ると、今は午前5時半過ぎか。

 左腕中心に強い温もりを感じる。掛け布団をそっとめくると、サクラは俺の左腕をぎゅっと抱きしめ、脚を俺の左脚に絡ませていた。


「すぅ……」


 サクラは可愛らしい寝息を立てながら、ぐっすりと寝ている。

 そういえば、春休み中に雷が鳴った日に一緒に寝たときも、サクラは今のような感じの寝相になっていたな。


「ダイちゃん……」


 俺の名前を呟くと、サクラは再び寝息を立て始めた。寝言だったか。

 サクラは今、どんな夢を見ているのかな。その夢の中で俺はどうしているのだろうか。笑顔だから、きっと夢の中の俺と楽しいことをしているのだろう。


「いい子だねぇ、ダイちゃん。耳とかしっぽとか凄く触り心地がいいよぉ。猫ちゃんみたいだから、ダイちゃんじゃなくてダイにゃんって呼ぼうかぁ」

「猫になっているのかよ」


 思わずツッコんでしまった。

 この前のデートで猫カフェに行って、一緒に猫に癒されたからなぁ。杏奈とも話したし。あとはゲームコーナーで猫のぬいぐるみを取ってあげたのもあって、猫耳としっぽが生えている俺の夢に出たのかもしれない。

 そういえば、部活説明会で猫耳カチューシャを付けたサクラは可愛かったな。もう一度見てみたい。そのときには猫のしっぽも付けてほしい。想像してみると……うん、絶対に可愛いと思う。


「サクラ……」


 サクラの額にキスする。唇にするキスは柔らかくていいけど、額にするキスもなかなかいいな。首とか手の甲とか、他の場所にキスしたらどんな感じなのか気になる。いずれ試してみたいな。


「うんっ……」


 サクラは目を覚ます。俺と目が合うと、サクラは柔らかな笑みを浮かべる。


「あっ、ダイちゃん。おはよう……」

「おはよう、サクラ。起こしちゃったかな」

「ううん、そんなことないよ。とてもいい目覚めだったから。あと、いい夢を見た気がするの」


 笑顔でそう言ってくれるので一安心だ。


「寝言を聞いちゃったんだけど、猫耳としっぽが生えた俺と戯れていたみたいだぞ」


 俺がそう言うと、サクラは思い出したのかはっとした表情になる。


「生えてた生えてた! 黒い猫耳としっぽ! 耳としっぽを触って、後ろから抱きしめてもふもふした! ダイちゃんがとても可愛くて幸せな夢でした……」


 その夢の内容を思い出しているのか、サクラはとても幸せな笑みを浮かべている。サクラにとって凄くいい夢だったようだ。夢の中での俺……ダイにゃんよくやった。


「夢って目を覚ました瞬間に忘れちゃうこともあるけど、ダイちゃんが寝言を教えてくれたおかげでずっと覚えていられそうだよ。ありがとう」

「どういたしまして。もし、サクラさえよければ、いつか……猫耳カチューシャとしっぽをつけた姿を見せてくれると嬉しい。寝言を聞いたときに見たくなって。代金はちゃんと俺が払うから」

「ふふっ、分かったよ。でも、そのときはダイちゃんも猫耳カチューシャとしっぽをつけてもらうからね。夢で可愛かったから、現実でもきっと可愛いよ!」

「お安いご用だ」

「カチューシャはすぐに買えると思うけど、しっぽってあるかなぁ。ハロウィンの間近になったら、コスプレ用品として出るかもしれないね」

「その時期には出る可能性はありそうだな」


 これでまた一つ、これからの楽しみが増えた。きっと、今のようにサクラ関連で楽しみだと思えることがどんどん増えていくのだと思う。


「話は変わるけど、目を覚ましたら恋人の姿が見えるっていいね。幸せな気持ちになる」

「俺も目を覚まして、隣にサクラがいると凄く幸せな気持ちになれるよ」

「そっか。これからは定期的に、どちらかの部屋で一緒に寝たいな」

「そうだな。一緒に寝よう」

「うんっ。……昨日はおやすみのキスをしたし、おはようのキスをお願いします」

「分かった」


 俺からサクラにおはようのキスをする。

 恋人のベッドで目を覚まして、目覚めたばかりの恋人とキスできて。こんなに幸せな平日の月曜日は初めてだ。これだけで今週の学校生活を頑張れそうな気がする。

 ゆっくりと唇を離すと、サクラは頬をほんのりと赤くして、優しい笑顔を浮かべながら俺を見つめている。


「おはようのキス、とても良かったです」

「俺も良かった。史上最高の月曜日を迎えられたと思う」

「ふふっ、大げさだなぁ。でも、いつもの月曜日よりも気分がいいのは私も同じ。今日はダイちゃんの方が先に目を覚ましたけど、春休みに一緒に寝たときは私の方が先に目を覚ましたんだ。覚えてる?」

「ああ、覚えてるよ」

「……実はね。あのとき、ダイちゃんが寝ているのをいいことに、ダイちゃんの胸に顔をスリスリしながら匂いを楽しんだり、頬にキスしていたりしていたの。あのときは、起きないかどうかずっとドキドキしてた。仲直りをする前だったし。今までのお泊まりでも、私が先に起きたときはそういうことをするときがあったよ」

「そうだったのか」


 10年前からずっと好きなんだもんな。俺の匂いを堪能したり、キスしたりしたくなるか。こっそりとしたくなる気持ちも分かる。

 ただ、こういう話を聞くと、サクラって一紗っぽいところがあると思える。実は一紗よりも厭らしい部分があったりして。

 そういえば、春休みにサクラと一緒に寝たときは、凄くドキドキする夢を見たな。もしかしたら、サクラが俺の胸にスリスリしたり、頬にキスしたりしたからかもしれない。


「ダイちゃんは……そういうことはしなかった? ダイちゃんの方が先に起きたこともあったでしょ?」

「一緒に寝ることが幸せだったからね。髪を撫でたり、可愛い寝顔を眺めたりするくらいだったかな。さっきはサクラの額にキスしたよ」

「そうなんだ。キス……してくれたんだ」


 えへへっ、とサクラは嬉しそうに笑う。良かったよ、そういう反応をしてくれて。

 サクラはゆっくりと俺の左腕の抱擁を解くと、俺を抱き寄せる。そのことで俺の頭がサクラの胸に埋もれる形となる。下着も着けていると思われるが、目元中心に柔らかな感触が感じられる。これがCカップおっぱいなのか。


「サ、サクラさん……?」

「今まで、ダイちゃんの胸にたくさん頭をスリスリしてきたし、昨日の夜はダイちゃんの胸の中に頭を埋めたから。そのお礼だよ」

「……そ、そうですか」


 それもきっと本当だろう。ただ、この前……一紗が俺の顔に胸を押し当てたことがあり、その様子をサクラはすぐ近くで目撃していた。本当は自分も同じようなことをしたかったのでは……とか考えてしまう。

 どんな事情でも、サクラの胸の中に顔を埋められることは嬉しい。多幸感に浸れる。サクラの甘い匂いと、ボディーソープの香りが混ざったものが香ってきて心地いい。


「それで、私の胸……どうかな? 一紗ちゃんよりもちっちゃいけど……」

「……柔らかさをちゃんと感じるよ。目元に当たっているから、アイマスクみたいな感じで癒やされる」

「……そっか。柔らかくて癒やされるんだ……」


 そう言うと、頭に温かいものが触れている感覚が。おそらく、サクラが頭を優しく撫でてくれているのだろう。俺の感想に悪い気持ちは抱いていないようだ。

 目元で感じる柔らかさは同じだけど、さっきよりも温もりが強くなって、トクントクンと鼓動が伝わってきて。この状況にドキドキしているのだろう。


「ありがとう。胸に顔を埋められるのもいいなって思うよ。ダイちゃん温かいし……」

「……そうか」

「もうちょっとこのままでもいいかな? まだ時間の余裕もあるし」

「もちろんいいよ」


 正直、俺もこのままでいたかったから。

 ふと思ったけど、こんなにも幸せだと、これは夢なんじゃないかと思ってしまう。試しに舌を軽く噛んでみると、痛みがはっきりと感じられた。……これは本当のことなんだ。


「ねえ、ダイちゃん」

「うん、どうした?」

「……呼んでみただけ」


 えへへっ、とサクラは可愛らしい声で笑う。きっと、楽しげな笑顔になっていることだろう。


「これぞ恋人って感じのやり取りだな」

「そうだねっ」

「……なあ、サクラ」

「うん?」

「……呼んでみただけだ」

「ふふっ。呼ばれるだけっていいね」

「いいよな。幸せな気持ちにならないか?」

「うんっ! 何だか幸せです」


 サクラの声が聞けるだけで嬉しい。きっと、それがしたくて恋人の間では「呼んでみただけ」のやり取りが行なわれるんじゃないかと思う。今は声だけでなく、優しい温もりや甘い匂い、顔ではサクラの胸の柔らかさも感じられて。本当に幸せだ。

 それからも少しの間、俺はサクラに包まれている時間を堪能するのであった。

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