第61話『サクラブ』

 ――大輝先輩のことが好きです。


 杏奈からの告白。

 シンプルな言葉に乗せられた杏奈の想いが、体の中にすーっと入っていく。心の中にある温もりがさらに強くなる。その温もりは、普段よりも激しい心臓の鼓動に乗って全身へと広がっていく。一紗に告白されたときと似ている。

 サクラと一紗の方をチラッと見る。サクラは頬を赤くしてドキドキした様子で、一紗は真剣な様子で俺達を見ている。


「そうか。俺のことが……好きなのか」

「はい。さっきも言いましたが、初めて大輝先輩に接客されたとき、先輩の言葉で元気になるきっかけをもらいました。実はそれだけじゃなくて、先輩のことが気になり始めたんです。数回ほど来たときでしょうか。大輝先輩に接客してもらうと元気がもらえるだけでなく、温かい気持ちを抱くようになったんです。葵ちゃんに恋をしたときと似た感覚でしたので、先輩に恋しているのだと気づきました。ただ、友達にはすぐにバレて」

「そういえば、友達と一緒に来ることも多かったな」


 一人で来ていたときも、友達と一緒に来ていたときも、杏奈は俺と楽しそうに話してくれた。それは俺に好意を抱き、俺と会えるのが嬉しかったからなのだろう。接客したときの杏奈の笑顔がたくさん頭によぎる。

 友達にすぐにバレるほどだから、杏奈の家族はみんな、杏奈が俺を好きなことに気づいているのかもしれない。


「四鷹高校に受験したり、マスバーガーでバイトしたりすることを決めたのは、後輩になって大輝先輩ともっと関わりたいと思ったからです。実際に四鷹高校の生徒になれて、マスバーガーの店員にもなれて。中学時代までと違って、今はとても楽しいです。そんな時間を過ごせて嬉しいんです」

「俺も杏奈のおかげで、2年生になってから凄く楽しいぞ。そういえば、放課後はバイトのある日以外も俺と一緒に過ごすことがあるけど、それも友達の計らいか?」

「そうです。同中出身の友達がいて。以前、『先輩との繋がりを作っておきなさいと言われた』って言いましたよね。あれも本当ですけど、好きな人との時間を楽しみなさいとも言ってくれて……」

「……いい友達だね」


 俺がそう言うと、杏奈は首肯した。

 もしかしたら、その同中出身の友達は志気さんと浮須さんの件で傷心している杏奈や、俺に恋し始めた杏奈を間近で見ていたのかもしれないな。


「このまま楽しい時間が続くといいなって思っていました。でも、文香先輩と一緒に暮らしていて、一紗先輩も大輝先輩に告白してフラれたことを知って。2人とも素敵ですから、どちらかと付き合うんじゃないかと不安になって。告白しないといけないと思っていましたけど、せっかく掴んだ後輩ポジション。後輩だからこそいられる距離で、先輩との時間を楽しみたい気持ちもあって。告白して、もしフラれてしまったら……今までのような時間を過ごせなくなるんじゃないかと不安にもなって」

「そうだったんだ。でも、さっきの志気さんを見て、告白する勇気が出たと」

「はい。恋人になれたら……もっと幸せになるかもしれない。そのためには、失敗するかもしれないと覚悟を決めて告白しなきゃいけないって思いました」


 杏奈は両手で俺の右手をぎゅっと掴み、とても真剣な様子で見つめてくる。そんな彼女は始業式の日に告白してきた一紗と重なる。


「もう一度言わせてください。大輝先輩のことが好きです。これからは先輩後輩ではなく、あたしと恋人としてお付き合いしてくれませんか?」


 お願いします、と杏奈は頭を下げる。

 一紗と同様に、杏奈の告白はそれまでに何度もされた告白と違って、心にグッとくるものがあった。およそ1年前から店員と常連客として、今月に入ってからは先輩後輩として一緒に過ごしてきて、それが楽しかったからだろう。

 杏奈はとても可愛らしくて素敵な女の子だ。彼女と付き合ったら楽しい時間を過ごせるとは思う。それは一紗にも言えることだ。でも、


「ごめん、杏奈。杏奈とは付き合えない」


 8年以上も抱き続けている彼女への恋心には勝らない。

 杏奈はそっと俺の右手を離して、ゆっくり顔を上げる。彼女の両目には涙が浮かんでおり、今にもこぼれ落ちそうだ。


「……分かりました。もしよければ、理由を聞かせてくれませんか? 理由次第では、これからも大輝先輩を狙い続けますから」


 右手で涙を拭って、杏奈はニッコリ笑ってみせる。俺にフラれて悲しいはずなのに、こういう顔を見せるとは。それだけ俺への好意が強くて、諦められない恋なのだと分かる。杏奈は強い子だと思う。


「……俺も杏奈のように、楽しい時間を失うかもしれないのが怖くて、今まで言えなかった想いがあるんだ。でも、さっき杏奈が言った『いつまでも想いを心に秘めていたら、幸せになるチャンスは訪れない。失敗するのは怖いけど』って言葉と、俺に告白する姿を見て心を動かされた。杏奈に告白されたとき、始業式の日の一紗からの告白を思い出した。2人に教えられたよ」

「大輝君……」

「杏奈の告白を断る理由は……他に好きな人がいるからだよ」

「……そうですか」


 震える声で返事すると、杏奈は悲しげな表情を見せ、両目に再び涙が浮かぶ。


「……もしよければ、その人の名前を聞かせてくれませんか?」


 杏奈は俺にそう問いかけてくる。

 俺の好きな人はすぐ側にいる。その人の名前を口にしたら、今までのような時間は過ごせなくなるかもしれない。それでも、好きだという想いを伝えたい。


「桜井文香だ」


 俺がそう言うと、杏奈の口角はゆっくりと上がった。やっぱり、と言わんばかりの笑みを見せてくれる。

 ゆっくりとサクラの方に向くと、そこには真っ赤な顔で、潤んだ目で俺のことを見つめるサクラがいる。サクラの側に立つ一紗は落ち着いた笑みを浮かべている。


「俺は桜井文香……サクラのことが好きだ」

「ダイちゃん……」

「8年前、初めて違うクラスになったのをきっかけに、サクラに恋をしているって自覚したんだ。それからずっと好きで。3年前のあの日、サクラにひどいことを言ったのは、好意がバレたらサクラにどう思われるかが怖くて。好きな気持ちを必死に隠そうとしたからだった。あのときは本当にごめん」

「……うん」


 サクラは涙を流しながら、ゆっくりと頷いてくれる。


「サクラと一緒に住み始めるのは緊張したけど嬉しかった。仲直りできて嬉しかった。昔みたいに呼び合えるのが嬉しかった。でも、一緒に住むようになったからこそ、告白して失敗したらどうしようって怖くなった。幼馴染として楽しい時間を過ごしたい気持ちもあって。だけど、告白しなければ、恋人の関係にはなれない。杏奈という後輩の姿を見て、告白したときの一紗が思い浮かんで、ようやく勇気をもらえた。サクラのことが好きです。俺と恋人として付き合ってくれませんか?」


 全身がとても熱い。

 だけど、好きな想いを伝えると心がスッキリして、体が軽くなったような気がした。一紗や杏奈も俺に告白してくれたときはこんな感じだったのだろうか。

 サクラは俺からの告白を受けて、どんな想いを抱いているのだろう。もう決まっているのか。それともダメなのか。はたまた迷っているのか。無言の時間が経つにつれて、緊張感が高まってくる。


「……10年間」

「えっ」


 予想もしない言葉がサクラの口から出てきたので、俺はそんな声を漏らした。

 サクラは真っ赤な顔に彼女らしい可愛らしい笑みを浮かべる。


「私は10年間、ダイちゃんのことが好きだよ。そのきっかけは……小学校に入学したばかりの頃、通学路によく吠える犬がいたじゃない。私は犬嫌いで、その犬が凄く怖かったのを覚えてる。だけど、ダイちゃんが『俺が一緒だから安心しろ』って言って、私の手を引いてくれたの。そのときのダイちゃんのかっこよさと優しさに惹かれて。それからずーっとダイちゃんのことが好きなんだよ」

「サクラ……」


 そのときのことは俺もよく覚えているよ。吠えまくる犬に凄く怯えていたし、手を掴んで一緒に走り去った後、サクラはとても嬉しそうにお礼を言ってくれたから。


「3年前のあの日のことも、ダイちゃんが好きだからこそ凄くショックを受けて、ダイちゃんの頬を思いっきり叩いちゃったの。子供っぽい体つきは当時の悩みだったし。あの直後は嫌いだったけど、ダイちゃんのことばかり考えるのは変わらなかったよ。表情とか言葉には全然出せなかったけど、中3以降も同じクラスになれたことや、距離が縮まってきて一緒に登校するようになったこととか、凄く嬉しかったよ。性格も子供っぽいって言われていたから、クールそうに振る舞っていたけど」


 確かに、体だけじゃなくて中身についても子供っぽいって言ったな。本当にあのときは最低なことを言ってしまったと実感する。一般的に、クールな人は大人っぽいイメージがあるから、サクラはクールに振る舞おうと決めたのだろう。


「お父さんの転勤を知ったときはショックだったけど、ダイちゃんの家に住むことが決まったときは凄く嬉しかった。仲直りできたことも嬉しくて。私も告白についてはダイちゃんと同じように考えてた。だから、ダイちゃんが好きだって告白してくれて凄く嬉しい! ありがとう!」

「じゃあ……」

「はい。ダイちゃんの告白……お受けします。これからは幼馴染だけでなく、恋人としてもよろしくお願いします」


 そう言って見せてくれたサクラの笑顔は、今までの中で一番と言っていいほどに素敵なものだった。

 俺は8年、サクラは10年もの間抱き続けた恋心。それらの恋心が恋人という形で結ばれたことをとても嬉しく思う。ようやく恋の花を咲かせられた感じがする。それが嬉しすぎて、俺はサクラをぎゅっと抱きしめた。その際、「きゃっ」とサクラの可愛らしい声が。


「急に抱きしめられたからビックリしちゃったよ」

「ご、ごめんサクラ。嬉しさのあまり……つい」

「いいんだよ。ダイちゃんに抱きしめられて嬉しいから」


 そう言うと、背中から優しい温もりが伝わってくる。

 サクラと仲直りした際に抱きしめたときにも思ったけど、サクラの体はとても温かくて、甘くいい匂いがして、華奢だな。サクラのことを幸せにするのはもちろんのこと、彼女を守らないといけないなと思った。


「おめでとう……」


 一紗はとても低い声で言う。笑みは見せているものの、一紗は大粒の涙をポロポロとこぼしている。


「大輝君が他の人と結ばれるのは悔しいけれど、相手が文香さんだからかそれ以上に祝いたい気持ちが強いわね。だから、涙が止まらないわ……」


 一紗は右手で涙は拭うけど、涙は止まらない。そんな彼女の頭を杏奈が撫でる。


「あたしもフラれた直後で、好きな人が他の人と結ばれたので凄く悔しいです。でも、大輝先輩の好きな人が文香先輩なので祝福の気持ちも強いです! 大輝先輩、文香先輩! おめでとうございます!」

「おめでとう!」


 パチパチ、と杏奈と一紗は俺達に拍手を送ってくれる。2人の笑顔を見ていると、俺達のことを本当に祝福してくれていると分かる。


「ありがとう、一紗ちゃん、杏奈ちゃん」

「一紗、杏奈、ありがとう」

「2人とも、いつまでも仲良くしなさいね。そんな風に言うと、結婚式みたいね」

「ふふっ、そうですね。じゃあ、2人には仲良くする誓いのキスでもしてもらいましょうか?」

「それはいい考えね。恋人になったのだから、キスしても何の問題はないものね」


 一紗と杏奈はニヤニヤしながら俺達を見てくる。

 サクラとキスか。サクラと抱きしめ合っているのもあってか、凄くドキドキしてくる。サクラも同じなのか、彼女の体が熱くなっていき、はっきりと鼓動が伝わってくる。顔も真っ赤だし。


「ダイちゃんさえよければしたいな……」


 上目遣いで俺のことを見てくるサクラ。凄くかわいい。ここは公園だけど、近くには一紗と杏奈しかいない。だから……するか。


「……俺もしたい」

「うんっ。じゃあ、ダイちゃんからしてくれるかな?」

「分かった」


 サクラはゆっくりと目を閉じて、俺にキスされるのを待つ。

 そんなサクラの可愛らしい顔に吸い込まれるようにして、俺はサクラにキスをした。

 サクラの唇は今までに感じたことのない独特の柔らかさがあって、温かい。マスバーガーでアイスティーを飲んでいたからか、紅茶の匂いをほんのり感じた。

 サクラと恋人同士になれて、キスするときが来るなんて。幸せな気持ちで心が満たされていく。

 どのくらいの時間したのかは分からない。そっと唇を話すと、サクラはとっても幸せなそうな笑顔を俺に見せてくれた。


「とても幸せな気持ちになれました。これがキスなんだね、ダイちゃん」

「俺も凄く幸せな気持ちになれたよ、サクラ。これからもよろしく」

「よろしくね、ダイちゃん」

「……いいキスだったわね、杏奈さん」

「そうですね。キスシーン見るのは、1年前の陽菜ちゃんと葵ちゃん以来です。あのときはとてもショックでしたけど、今回の先輩方のキスは幸せな気持ちになれます」

「そうなの。じゃあ、この大輝君と文香さんのキスシーンの写真を杏奈さんに送りましょうか?」

『えっ』


 サクラと俺の声が重なった。一紗、俺達がキスしているところを撮影していたのか?

 一紗はスマホを横にして、俺達に見せてくる。一紗のスマホの画面にはサクラと俺がキスしている場面が映っていた。


「本当に撮っていたのか。恥ずかしいな……」

「そうだね。ちょっと恥ずかしい。でも、あとで私のスマホに送ってくれない?」

「分かったわ。大輝君と杏奈さんはどう?」

「一応、もらっておきますかね」

「俺ももらっておこうかな」


 キスすると、サクラの顔はちゃんと見えないし。それに、写真を持っておけば、今日のことをはっきりと思い返せると思うから。

 それから程なくして、一紗からLIMEでさっきのキスの写真が送られてきた。……改めて見てみるといい写真だ。さっそく保存した。


「さてと、杏奈ちゃんの件と、大輝君と文香さんが結ばれるところを見届けたから……私はそろそろ帰ろうかしら」

「あたしも帰りましょうかね」

「じゃあ、杏奈さんの家に行ってもいい? まだ3時半過ぎだし。昨日、大輝君と文香さんが家に行ったことを知って羨ましいと思っていたの」

「そうですね。では、あとは恋人になったお若い2人でごゆっくり」


 それって、お見合いとかで言う台詞なんじゃ。あと、杏奈の方が俺達より若いだろ。


「お言葉に甘えようか、ダイちゃん。といっても、お家に帰ろうと思っているんだけど」

「そうだな。一緒に帰ろうか、俺達の家に。じゃあ、2人ともまた明日な」

「また明日ね」

「また明日です」


 一紗と杏奈は俺達に手を振って、こもれび公園を後にする。杏奈の家に行ったら一紗は興奮しそうな気がするな。杏奈のことを抱きしめたり、杏奈のベッドに眠ったりしそうだ。何かあったら、杏奈が俺に連絡してくるだろう。


「じゃあ、帰ろっか。ダイちゃん」

「そうだな」


 俺が返事をすると、サクラは右手を差し出してきた。

 ニッコリと笑みを浮かべるサクラを見て、1年の終業式の日に見た夢のことを思い出した。今は葉桜になっているけど、あの夢が正夢になったのかもしれない。

 ゆっくりと左手を差し出すと、サクラは指を絡ませるように繋いでくる。いわゆる、恋人繋ぎってやつだ。


「いいよね。こういう繋ぎ方をしても」

「もちろんさ。……何かいいな。触れる面積が多いし、温かさがより伝わってくるし」

「……良かった」


 サクラは嬉しそうに言った。これからは手を繋ぐときにはこれがスタンダードになりそうだ。

 俺はサクラと一緒に家に向かって歩き始める。そのことで、俺達の恋人としての時間を歩み始めたような気がしたのであった。

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